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思い出してホローリくる家族との思い出Part2

1 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/30 00:00 ID:0wfviUXv
思い出したら涙がホロリとこぼれてしまう、
そんな家族とのステキな思い出、ぜひ聞かせてください。
思い出に大小はありませんので、いろんなお話を宜しくお願いします。

前スレ
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/996065986/

2 :スレ汚し:01/11/30 15:47 ID:5Pz2Pk90
      ∧∧    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
     (,,  )  < 2ゲットしようと来てみれば
     .(  つ   |  こりゃまた ずいぶん放置されてんなぁ オイ
     | , |    \____________
     U U



 |  まあ せっかくだからやっといてやるよ  |
 \  ハイハイ 今だ2ゲットズザー っとくらぁ  /
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

            ∧∧
           (゚Д゚O =3
      ⊆⊂´ ̄  ソ ヤレヤレ

3 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/02 00:58 ID:AA1CrSDF
前スレが表示されないのでage

4 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 16:09 ID:H1hlbJfB
10日ほど前のことなので、まだ思い出とは言えないけど。(ワラ

チャペルで結婚式を挙げたので、父と2人で入場。
控え室で緊張して待ってる時に、普段無口な父が
満面の笑顔で私を見て「(花嫁姿が)素晴らしい」と一言。
あと数分で入場なのに、涙がどっと出て困りました。
あの父の笑顔と台詞は一生忘れられない。

5 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 16:26 ID:x9Pju+9L
>>4
を読んで涙が・・・

6 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 17:02 ID:BxuVuxHC
俺の家は母子家庭だった。
俺が4歳の時、親父は海で亡くなった。

親父は趣味で、海に潜っては魚をモリでとってたらしい。
親父は本当に俺のことを可愛がってくれたらしく、
暇さえあれば、俺の為に海に行って魚をとってきてくれた。
俺は大きい魚を見るたびに、はしゃいでたらしい。

事故で死んだ日は、海が荒れててかなり危険な状態だった。
しかし俺が風邪を引いていたこともあり、
是非俺に鯛を食べさせたいと、食べさせて元気にしてあげたいと、
親父は危険を承知で海にでた。
母親は危険だからと泣きながら説得してたらしい。
でも親父は、俺の喜ぶ顔が見たいからとそれを振り切って海にでた。
しかし残念ながら、親父は二度と帰ってこなかった。
母親は27歳。弟は2歳だった。

葬式の日、母親は泣き崩れてどうしようもなかった。
俺は親父が死んだ事よりも、母親が泣いているのが、
どうにも悲しく
「お母さん泣かないで、俺がお母さんを助けるから」
と言っていたのをかすかに覚えている。
あれから25年、俺は母親を助けてきたのかと自分をに問いただしても、
ハッキリと助けてきたと言えない。
どっちかと言うと心配ばかりかけてきたと思う。
今考えると、子供2人。それも男の子2人となると苦労をすごくしたと思う。

そんな俺も今年結婚して、来年には子供が出来る。
親父のいなかった俺は、子供にどう接していいか分からない。
うまく育てられる自信も無い。
でも子供が大きくなったら、親父とお母さんの話だけは
きちんと話してあげたい。それだけは誇りをもって話したい。
最後にお母さん本当にありがとう。
来年は孫が出来るから楽しみにしといてくれ。

しかし俺は、親父を越える事は絶対に出来ないだろうなと、最近しみじみ思う。

長文スマン

7 :とりささみ:01/12/03 17:37 ID:xCOnh309
ホロリと来るほどではないが。

家はわりと貧乏していたが、サンタクロースを信じていた私のために
親は毎年ローラースケートや一輪車なんか買ってくれてたよ。

8 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 18:10 ID:d7erwA2N
>>7
俺は貧乏すぎて小学校高学年までクリスマスという概念を持ってなかったよ。
プレゼントなんて貰ったこともなかった。
まああまりにも昔なので世間的にもさほど騒がれてなかったんだけどね。

初めて家でパーティーらしきことをしたのは、年が離れた姉がそんな弟を不憫に思ったのか、
不二家のショートケーキを買ってきたときかなあ。
ケーキだけの地味なもんだったけど、嬉しかったな。

今思えば物質的でなく精神的に、いろいろ姉から教わった気がする。
クリスマスを前にこの場を借りてあの日の姉に礼を言っておこう。

9 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 18:46 ID:c/8u/dx4
自作自演バレバレだぞヲイ。。

10 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 20:56 ID:NEatU8f2
>>9 まぁまぁ…マターリマターリ…しようYO。。

11 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 21:20 ID:Ci3zYf0K
高校チャリ通だった。雨ふると父親が車で送迎してくれた。
というと美談だが、バスは数が少なく遠回り乗り換え340円
かかるので、友達はみんなレインコート着てチャリ飛ばす中、
車に乗るのはすごく嫌だった。
冷やかされたり嫌み言われたりするしね。
父親も毎回ひどい不機嫌で(仕事を中断してくるから)、
「いい年して恥ずかしい。ヤメテよ」という私に、
「雨の中自転車なんてお父さんのほうがもっとヤメテヨだ!」
と到着までケンカし続けるんだよね。

今日雨だから思い出したよ。
あのギスギスした車内に愛はあったんだろうか。

12 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 21:26 ID:PgcO57bn
>>9
エッ!(゚Д゚ ≡ ゚Д゚)エッ!
どれどれ?

13 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/03 23:52 ID:gUd82UM0
クリスマスが近いからクリスマスの思い出を1つ。

毎年、寝る前に枕元に靴下を用意しておくように言われて、1番長い靴下を
準備して寝るんだけど、翌朝靴下に入ってるものが、みかんや飴はまだわかるが、
なぜか赤いビニールテープがよく入っていた。
(ちなみに兄には緑色のビニールテープ)
ホームセンター好きの父親だったから、今となっては笑えるんだけど。

お願いしていたプレゼントの横にけったいなものが詰まった靴下。
でも、靴下にビニールテープとかを詰めてくれてる父親の姿を考えたら
ホローリしてしまう・・・。

14 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/04 00:58 ID:9Huzig7k
うう、クリスマスかー。
サンタを信じてたどうかは覚えて無いけど、
頑固だった父が
毎年寝てる私達を起こさないようにプレゼントを靴下に入れといてくれたのは
ホローリくるなぁ。
しかも、よく伸びるからってお父さんの薄手のオヤジソックスを貸してくれた。
それが、中学になったらお金になってた。
好みがうるさい年頃だからって気を使ってくれたんだな。
ムードないけど、今思えばホロリ。

15 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/04 01:47 ID:9QdAHxyL
うんこもれちゃった・・・

16 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/05 00:26 ID:wiMkQuAZ
ちゃんと拭いとけよ

17 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/05 13:36 ID:fn/LTUpM
キタネーな。ホローリ(w

18 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/06 03:06 ID:tzGQJhHi
最近ホローリという言葉を思い出すだけで、全スレ思い出してホローリ。

19 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/06 03:17 ID:GW8gdWgU
ウンチ漏らした弟を家まで連れて帰ってやった。
その弟も今や赤ちゃんのパパ。ウンチおむつを代えてやってる。
人のウンチの世話ができるまでになったのね。ウンチタレの弟よ。

20 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/06 18:09 ID:gmWXqb/i
留学出発日に、母親が見送りに来る予定だったのが、仕事で抜けられなくなって、
一人寂しい旅立ちだと思い、とぼとぼと空港へ向かいました。
そろそろ搭乗しようと搭乗口に向かうと、「○○〜〜〜!!」
と私の名前を大声で呼ぶ声が。その時は何も考えずに、反射的に
振り返るとそこには、駆け寄って来る兄弟たち(兄、姉、兄)の姿が・・・
え?何でいるの?という感じで、その時は、時間があまり無かったのと
照れもあって、あまり話も出来ず、飛行機に乗りました。
飛行機に乗ると、なぜか、自然といろんな事が思い出されてきて、
泣いては泣き止み、泣いては泣き止みを繰り返していました。
家族っていいなと、心から思えた時でした。

P.S. 飛行機で隣だった方、ご迷惑おかけしました。

21 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/06 18:17 ID:pXGNDKB8
>20
私も留学中。
飛行機ではいつも泣いてるよ。
JALのお姉さんが優しくお絞りを渡してくれた。

22 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/06 20:29 ID:Dny8azSh
小学校1年の秋に、母親が病気で他界。
それからは、他県の親戚のうちに預けられていた私達(姉弟)。
お盆休みに父が会いに来てくれたんだけど、その親戚っていうのが
死んだ母方だったので、遠慮もあってすぐに帰ってしまう。
小さな駅のホームで弟の手を引きながら、動き出す汽車を
追いかけて走った。何だかよく判っていなくってむずがる弟の
手を握って、汽車が見えなくなるまで見送っていた。

これはまだ、JRが国鉄っていってた時代の話し。
どちらかというと、私よりも父の方が良く覚えているらしい。
酒が入るとこの話しをはじめる。

23 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/07 00:21 ID:vxYoYAPu
大学合格し、一人暮しを始める準備をしてた頃。
母親が一人暮し先で使う布団を用意してくれて、
「この布団はあまり干さなくてもだいじょぶなやつだから・・・」
と、めんどくさがりなおれを気遣いながら布団をたたむ姿を見てホロリ

24 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/07 02:01 ID:gwyflmP5
会社の環境が理由で精神的にまいっていて
ここ1年半くらい精神科に通っているんだけど、親には話してなかった。

今年の年末年始、帰省する予定にしていたんだけど、
母に頼んでおいた新幹線の切符が取れなかったと電話がかかってきた。
どうしても実家に帰って気分的に楽になりたかったので、
「今ホームシック気味やけ、どうしても帰りたい」とつい本音を漏らしてしまった。
母は「わかった。何とかする」とだけいい、電話は切れた。

昨日、私にとっては決定打とも言えるつらい出来事があり、たまらなくなって
たまたま電話をかけてきた母に全てを話してしまった。
母は、「あんたがどうしても帰りたいって言ったとき、何かあったんだなと思った。
もっと早く話してくれてたら、もっと早く楽にしてあげられたのに、、
心配かけたらいけんって、お母さんに遠慮して黙ってるより、
あんたが精神科に通うほど精神的に追い詰められて、
つらい思いをしてる方がいや。
お母さんはまだまだ元気やし、まだびくともせん。
そんな会社辞めてしまいなさい。しばらく休めばいい。
多少の援助は考えるから。」と泣きながら言ってくれた。

子供のころからただ厳しいだけの母で、
「もっとやさしいお母さんの子に生まれたかった」とずっと思っていた。
実家を離れてからも時々愚痴ったりすると、
「社会とはそういうもの。あんたは甘えとる。
人間はそうやって何回も挫折や苦渋を味わいながら、生きていくの。
逃げることは簡単。現実から目をそらすな。
何でも自分の思い通りになるわけない。」などと説教をはじめ、
絶対に子供を甘やかさない人だっただけに、母の意外な言葉にとても驚いた。
心配をかけてしまって申し訳ないなと思いつつ、母の言葉で一気に気分が楽になった。
しばらく母と共に号泣した。

25 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/07 02:06 ID:yaoGS34b
>24
夜中に泣かせるなよぉ・・・
無理しないでね>24さん

26 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/10 00:02 ID:bW1ms1Mp
母は私に何もしてくれない、と思っていた。

子供の頃、ピアノ教室に行っていたのにピアノを買ってもらえなかった。
大学へ行かせて貰えなかった。上京もなかなか許してもらえず、
自分でお金を貯めて上京して一人暮ししてからは何の援助も
してもらえなかった。
何もしてくれないくせに口だけは出す母、かんしゃく持ちですぐ
手を上げる母、よく私の目の前で父と喧嘩をしていた母。
母が亡くなってからは前にもましてそういう嫌なことばかりを思い出して
気を滅入らせていた。

先日職場で、ディスプレイに使うためにいろいろ小物を作ることに
なった。私は率先して作り、最後にかぎ針編みで小さな帽子を編んだ。
それを見ていた同僚が、「すごいですね、編みものはいつ習ったんですか?」

その言葉で私は唐突に思い出した。
かぎ針編みは、母に習ったのだった。
細編み、長編み、鎖編み、みんな出来る。
それだけではない、我が家にはミシンもずっとあった。
私はそれで服を縫うことを覚え、それが今の職業にもつながっていたのだ。
今は時々しか使わないが、私の部屋には母が無理して私のために買った
高価な家庭用ミシンもあるのに…。

「してくれなかった」ことばかり思い出して「してくれた」ことを忘れて
いたなんて。
母ちゃん、ごめんなさい。
母ちゃんの教えてくれたことは、私の天職になりました。
ありがとうね。

27 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/10 08:48 ID:iSpY6nv+
>>26
そうだよね。
なぜ悪いことって滅入るほど思い出してしまうんだろう……。
でも記憶のもっと深いところに「良かったこと」が埋まっていたんですね(涙)
いいなあ、よかったね。

28 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/10 13:37 ID:Rd3fMM0P
小学校に上がるまえに祖父が亡くなった。
祖父は戦争中に列車事故にあい、片足を切断していたけど
今のように高品質な義足のない時代に
重たい義足をつけて杖をつきながら、私や弟を可愛がってくれていた。
何時の頃からか家の仏壇の前には
祖父の命日頃になる高価なお線香と共に一通の手紙が添えられていた。
やがて祖父が亡くなってから25年は過ぎ、私も結婚し子供も出来た頃
長年同じように仏壇に供えられる手紙の疑問を母に尋ねてみた。
その手紙とお線香は祖父の戦友であった人からの毎年の贈り物だったそうだ。
添えられる手紙もその人がまるで祖父が生きているかの如く語りかけているような
読む人が涙を流さずにはおれないほどに、切々と心情を達筆な字で
便箋にびっしりと書き綴ってあった。
母も毎年そうやって頂く手紙は祖父も待ち望んでいると思い
毎年お仏壇に供え、またその手紙の主が少しでも長生きしてくれることを祈っていた。
結婚して実家から離れた場所に住んでも
実家に帰るたび、僭越ながらも祖父の代わりに読ませてもらい
祖父の分も長生きをしてくれる事を私も祈っていた。
そしてとうとう祖父の戦友であった人のご子息から訃報が届いた。
祖父の命日に手紙とお線香が届き出して30年は経っていた。
戦地で生死を共にした祖父とその友人は今頃はあの世と言われる場所で
きっと酒でも酌み交わしているに違いないと思う。
亡くなってからも30年経っても一向に友情が薄れることのなかった祖父達。
今はもうお仏壇に供えられる手紙はないけれども
そんな祖父を持った事を誇らしく思う。
子供達にも必ず話して聞かせようと決めている。

29 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/10 20:14 ID:SnAo15k/
うーん、いい話だ・・(iдi)・・age。

30 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/12 07:24 ID:2wu4eIEW
私の家庭はいわゆる両親揃った普通?の家庭だったんですが
実際は。父親→仕事(浮気相手の所に逝ってばっか)
母親→遊び(夜は全く家にいない)
中学生くらいまでその環境でした。
でも、私の母代わりになってくれたおばぁちゃん。学校からのプリント
とか目ぇ悪いのに眼鏡かけて一生懸命目を通してくれたり。
授業参観の時には若いおかぁさんに囲まれて気まずい思いをして
でも最期までいてくれて。遠足の時のお弁当も作ってくれて。でも、
その頃の私は友達のみたいな色鮮やかなのが羨ましくて泣いて怒ったけど。
その時にすごく寂しそうな顔をしたの覚えてるよ。
その事を謝る前に逝っちゃったけど。
私も少しは大人になってきた今。
おばぁちゃんがどれだけ私を愛してくれたか。どんなに私を可愛がってくれたか。
すごく実感してるよ。
いまさらもう遅いんだろうけど、おばあちゃんありがとう!
私はおばあちゃんが居てくれたから今こうして生きていると思う。本当に。
明日かも、一年後かも分からないけど、天国でもし会えたらありがとうって
言うからね。絶対に。
私も今、肺癌で転移しまくってヤバイ感じになってる。でも、おばあちゃんに
会えるんだったら死ぬのなんて怖くないよ。ありがとうって言いたいし。
私が逝くまでにはあと7〜8ヶ月かかると思うけど待っててね。
あ、ちなみにおばぁちゃんにもう一つ。
勝手な自己満足って分かってるけど書かせて下さい。(このスレ常連の方スマソ)
気持ちの整理つけたいんで。
お父さんは志乃さんと離婚したけど、志乃さんの子供と一緒に仲良く
やってるみたいだよ。
お母さんは相変わらずラブラブ中。みんな幸せだからね。
だからおばあちゃんも私が行くの待っててね。
ありがとう。


>all 勝手に感情の捌け口にしてごめんなさい。
でもどこかに書きたかったんだ。私がすごくおばあちゃんに感謝してるって
事を。でももしかしたら私自身まだ受け止められてないのかも。
自分がもうすぐ死ぬって事を。
いずれにせよスレ汚しスマソ。

31 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/12 08:24 ID:xFwo+s6v
>30
辛いね、がんばってね
これしか言えないけど。

32 :おさかなくわえた名無し:01/12/12 08:31 ID:mi6bMfAI
>30
多分あなたの今の気持ちだけで
おばあさんはきっと嬉しいと思うよ。
あなたの力に何もなれなくてごめんなさい。
どうかあなたの毎日が幸福になるように祈ります。

33 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/12 14:45 ID:P6T8OlKv
>>30に幸あれ。

34 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/12 15:32 ID:uAomXjSl
泣ける話じゃないけど・・・
私は昔、兄とは他人以上に仲が悪かった。顔を合わせても4年間位一言も話をしなかった。

そんなある日、私は痴漢にあった。
夜中に友人宅から帰宅したとき、玄関を開けた瞬間に後ろから男の人に抱きつかれた。
まさか玄関前で痴漢に遭遇するとは考えておらず、触られたことの怖さよりも、
まずは驚きで大音量の叫び声を上げた。

その時、マッハの速さで飛び出してきたのは兄だった。
私がへたり込む姿を見て察したのか、玄関に置いてあったビニール傘を持って
裸足で追いかけて行った。が、徒労に終わった。

後から押し寄せた恐怖に震えが止まらず、泣いていた私に、兄は何も言わず
頭をポンポンと軽く2回たたいただけだった。素直じゃない私は冷戦中の
兄にお礼すら言えなかった。

今では、大人になりいつの間にか終息を迎えた戦いの良い思い出になっている。

35 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/13 01:06 ID:mIm2xY3a
ナンダこのスレ。
ほんとに2chか?
まさか2chみて涙が出るとは思わなかったよ。
また来る。
なんか分からんが頑張らなくちゃと思う。

36 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/13 08:20 ID:R7dVYVIb
>>35
ガンバレ。
2ちゃんでもいいトコロはあるのさ。
また来いや。待ってるよ。

37 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/13 12:51 ID:IO0ml8Da
繰り返しでスマソだが、30と、30のばあちゃんの魂に幸あれ。

38 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/13 13:52 ID:BVLhZCtL
うちの母、姑(祖母)と折り合いが悪く
そのせいで父ともあんまりうまくいってなかった。
というわけで家にいたくないらしくずーっと共働きだった。
家にいるときも、姑の目が厳しくて(すぐ嫌味とか言われる)
母は座ることもなく家事をこなしていた。
だから、私は子供の頃
母親と一緒にのんびり楽しい時間を過ごした記憶があまりない。
ただ一つあるのが
私が幼稚園から帰ってきたとき、珍しく祖母が出かけていて
母は一人でキッチンの椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。
(座ってる母を見るのも珍しいくらい!)
私が道ばたでつんできたつくしを見せたら
「じゃあこれをバターソテーにしようね」って言って
つくしのバターソテーをつくってくれた。
そして向かい合わせで一緒にそれを食べた。
それだけなんだけど、
あのときのバターのちょっと焦げる匂いまで記憶に残ってる。

39 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/13 16:15 ID:1Chnyx0U
>>38
いいホローリ具合です。
こういうのがいいね。
号泣はホローリではない。

40 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/14 05:09 ID:CFRbQJ9/
>>30(T-T)ネタだよね?ネタって言ってよ!
ネタじゃなかったら…
  (ノ_;)ウワァァァン

41 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/14 16:08 ID:dP6uyx4l
今日の未明におばあちゃんが亡くなりました。
朝、実家の母から電話で知らされて・・・。
母はもうパニック状態だったので、泣きたい気持ちをこらえて努めて
冷静に話しましたが、私自身が心ここにあらずといった感じです。
私が少し離れたところに住んでいるのと、突然で親戚中がパニックに
なっているので、今連絡待ちです。

おばあちゃんにとって私は初孫だったので、すごくかわいがって
もらいました。
9月にうちに電話をくれたらしいけど、呼び出し音声を留守電と勘違いして
「いつかけてもいないよ」といってたおばあちゃん。
それを聞いて声が聞きたい、会いたいと思ったのですが、「お正月に
うち(実家)に連れてくるから」と母に言われ、それを楽しみにしていました。

あれこれ思い出して・・・泣けてきます。
ホローリじゃなくて号泣です。ごめんなさい。

42 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/14 16:34 ID:7FYwZfSm
>>41
身内の死はつらいね。
でもそのことから見えてくることがきっとあるよ。
おばあ様が安らかに天国にいけるように、
みんなで送ってあげてね。

43 :名無しのお兄さん:01/12/16 00:45 ID:DEvYmTSd
もう!なんで、みんな泣かせる話しばかり
なんだよ。
最近涙腺が弱くなって来ているのか
泣けてくるじゃないか〜〜〜。
ageちゃうぞ

44 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/16 05:09 ID:ga9IuC1S
>>43
そりゃ思い出してホローリくる家族との思い出Part2
ですもん。でもほろーりどころじゃすまなくなるけどね。自分。
関係ないレススマソsage

45 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/17 02:14 ID:bFZnpqjv
良スレあげ

46 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/18 08:29 ID:XumwIoWr
小学校2年のとき学芸会のお芝居でシカの役をもらった。
各自お面を家で作ってくるように言われて、父にクレヨンでバンビの絵を描いてもらった。
父が描いてくれバンビの絵はものすごく上手くて、友達にも誉めてもらえたのに
先生に「あんたのちょっと小さ過ぎるわね。作りなおしてらっしゃい」かるーく言われた。
父は毎日12時ぐらいまで働いてるのに、それから作ってくれたものなのにとくやしくて
もういちど作りなおしてもらうのは申し訳なくて、
自分で作り直そうとしたけど、ぐちゃぐちゃになってしまって泣いてしまった。
父は何も言わず黙って、わたしの隣で前に作ったのよりも大きいおめんを作りなおしてくれた
その横顔を思い出すと、今でも泣ける。
わたしはそのときいらい、「先生」が大っきらいになった。

47 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/18 10:52 ID:ijAN+/WF
世の中の「2ch=ヤバイ系」と思ってる人たちに見てもらいたいね。
このスレは。
もっとホローリしたいのでage

48 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/18 11:18 ID:c0n3tAwG
このスレ泣けるage

49 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/19 14:28 ID:mKx7UrmV
良スレage

50 :長過ぎかも:01/12/20 03:06 ID:HexFP7xO
小さい頃から両親が共働きで、いつも帰りが遅かった。
そんな訳で、ほぼ毎日、私と3つ上の兄は、近所の叔父(母の兄)の家に
学校が終わると直接行っていた。その叔父夫婦は、漁師だったので、
私と兄が、学校から帰る頃には、もう家へ戻っていて、「おかえり」
という声で毎日迎えてくれた。そして、夕食の時間まで、
兄とチャンネル争いをしたり、喧嘩をした日もあった。
そんな時、叔父と叔母は、私たちを強く叱った。
そして、夕食が済んで、夜8時を過ぎた頃になると、母が迎えに来ていた。
さすがに兄は、中学生ともなると、部活などで帰りも遅くなり、
叔父の家に行くという事はなくなった。
私も小学校を卒業すると、近所なのにも関わらず、
月に一回顔を出すが出さないかの程度になっていった。
しかし、私が中3だったある夜、家に叔母から電話がかかり、
叔父がいきなり強い腹痛を訴え、うずくまってると言ったらしい。
叔母は動揺して、何も出来ずとりあえず家に電話をしたようだった。
両親と私と兄は、とりあえず叔父宅へ向かった。
小さな田舎町なので、救急車を呼べば近所の人たちが出てきて嫌だ。
と言う理由で叔父はそれを頑なに拒否した。
という訳で、父の運転する車で、かかり付けの町医者へと向かった。
しかし、原因がわからないということで、結局、近くの救急病院へ。
とりあえず入院となった。その日は、叔母だけが残り、私達は帰った。
病名は何だか忘れたが、しばらくの入院が続いた。
そして、ある日突然病院で、叔父は激痛を訴え、緊急手術。
もともと小柄で、痩せ型の叔父には負担が大きいと言われたが
手術をした。親戚一同成功の知らせに安心したのもつかの間、
その日の夜、手術跡の傷口からの出血が止まらないとの理由で
再手術。それは、次の日の朝方まで続いた大手術だった。
手術の日、私と兄は、病院から家へ帰って来ていた。
その次の日の朝、父が私の部屋に私を起こしに来た。
父は、暗く泣きそうな声で「おいちゃんが亡くなったよ・・・」
「えっ???うそっ」私は、それしか言えなかった。高1の4月だった。
そして、葬式も済み、あっという間に叔父の死後から
もう5年が経とうとしている。
叔父は生前、漁師だったため、首から海に関連したお守りを下げていて、
いつも、(たぶん)冗談で「おいちゃんが死んだらこれをおまえにやるけの。
(これをおまえにあげるからな。)」と言っていた。
そのお守りは、叔父が亡くなった日からずっと、叔母が首から下げている。
もちろん、私も、その方がいいと思うし、5年経つ今でも毎日叔父の遺影に
話し掛けている叔母の姿を見ると・・・
あの時の叔父の言葉は、心にしまっておこう。
けど、幼稚園の遠足にいつも付いて行ってくれていたなどの、
母親の代わりをしてくれていた叔母が亡くなった方が、血が繋がって
いなくとも叔父の時より数百倍辛いだろうなぁと思う今日この頃。

51 :あくびちゃん:01/12/20 21:24 ID:RgSnt+Cc
ふぁ〜あ(涙)ねむ。

52 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/20 22:22 ID:o/G3aHh0
小学生の頃の話です。
私の父は少年野球チームの監督をしていました。
毎週の日曜は野球の試合や練習でどこにも行けなかったのを覚えています。
わたしの卒業式が近くなったある日、父が
「お父さんもお姉ちゃんの卒業式に行くわ」と言いました。
父は仕事だと聞いてたので「何で?」と聞くと「休み取れたから」と。
わたしは今思えば何でこんなことを聞いたのかほんとに謎なのですが、
「お父さん、卒業式には何を着てくるの?」
と父に聞きました。父は
「野球のユニフォームを着ていく」
と答えました。
わたしは野球のユニフォームを着て出席している父を想像すると恥ずかしくて、絶対そんなカッコで来ないで、
来たら無視する!と泣きました。
卒業式の朝、枕もとに父からの手紙がありました。
「卒業おめでとう。お父さんは式には出ません。何を着ていてもお父さんはお姉ちゃんのお父さんです。」
父をすごく傷つけてしまったこと、父が私の顔も見ないで出て行ったこと。
悲しくて泣いた。

今遠くはなれて暮らしている。
両親も年老いて会うたびにあと何回こうして会うことができるのかと思うとつらい。
親孝行したいけど素直になれない。
なるべく会いに行くようにたくさん話すようにしている。
最近父はメールのできる携帯を買ったので私は父のメル友になっています。

53 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/20 22:39 ID:OR6KWeAE
小4の時に父が亡くなった。酔っぱらって道路に飛び出して、車に轢かれて死んだ。
普段あまり顔を合わせないので(父は漁師だったので)、悲しいながらもそこまで
大きなショックを感じていなかった。今考えたら、冷たい話だけど、子供だから命の
大切さがまだわかってなかったんだと思う。
そんなこんなで、父が亡くなって数年後、中学生になっていた私は、暇にあかせて
父と母が使っていた古いタンスを色々漁っては、昔の写真を見たりしていた。
母は父の遺品になかなか手をつけたがらなかったので、家の中には整理していない遺品が
まだ山のようにあった。もちろん、古いタンスの中にも。

その中で、父が使っていた箱を見つけた。まぁ中身は、手帳とかメモ帳とか、古いコインとか、
どうでもいいようなものだったんだけどね・・・。
その中に、小汚くって微妙に血のしみがついた、包帯があった。??と思ってしばらく
考えていたら、思い出した。小学校2年の時、父に自転車の後ろに乗せてもらって
街をくるくるまわっていたとき、父がふざけて電信柱にぶつかるフリをしたら、私は本気で
びびって、足が車輪の中に入って結構なけがをしたんだった。
それで何針かぬって、しばらく包帯生活をしてたんだけど、何故か包帯に私は名前を
書いていた。多分、ギプスにいたずら書きをしたりするっていうのをどこかで知って、まね
したかったんだと思う。2年3組 **・・・・・・。あぁ、あの時の包帯だ〜と・・・。
どうして父が、あの時の包帯を保管していたのか謎だけど、なんだか色んな気持ちがごちゃ
まぜになって、すごく切なかったのをおぼえてる。

54 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/21 16:26 ID:7ICJKqgp
age

55 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/21 18:19 ID:9Gqy/z2f
2年前に我が家で初めてビデオカメラを購入し、
家族全員が大興奮の中、撮影会が行われた。
その翌朝、前日までピンピンしていたおばあちゃんが
心筋梗塞で亡くなった。
最初で最後になったおばあちゃんのビデオの映像を
僕は何度も見返したけど、
緊張して記念撮影のときみたいに固まったままでいる姿を見ると、
いつも笑いたいような泣きたいような気持ちになる。

56 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/23 23:34 ID:dBDRBuVk
namidaage

57 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/23 23:55 ID:gBqrZgTj
一家全員泣き上戸。
弟の結婚式前夜、新郎側の家族が泣いたら
みっともないから最後まで頑張ろうね
と両親と私、妹で励まし合った
当日、何度かうるるんとなる場面がありつつも
何とか全員耐え、やがて宴も終盤、一番キケンな
花束贈呈、父による親族代表挨拶も無事終了
やれやれ..となった直後なんと当の新郎が
列席者に謝辞を述べる内感極まって泣きやがった。
ソレ見た瞬間、一家全員たががはずれて大号泣〜。
新婦側が本人を含め全員気丈だったので
ますます恥ずかしかった..

58 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/24 00:08 ID:iV7IxVUr
ママンが逝って、お葬式を済ませ
残された家族でぼーっと脱力していた。

ふと妹が留守電にメッセージがはいってることに気づき、
再生したら、ママンの声。
「もしもーし、もしもーし、あれー、誰もいないかな?」って。
しかも3回も続けて入っていた。

留守電の録音があった日を見ると、
入院してたけどまだかろうじて元気だった頃だった。
普段は早起きの家族なのに、偶然そのときだけ、
みんな寝ていて、ママンからの電話に気づいてあげられなかったんだ。

何か嬉しいことでもあったかのように浮き立ったママンの声を
何度も何度も再生して聞い

59 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/24 03:18 ID:f5fF88gz
幼稚園の時のクリスマス、私はリカちゃんかバービーちゃんのおうちの
セットが欲しくて、サンタさんに手紙を書いた。
しかし、兄からその手紙をぐちゃぐちゃにされてしまい、「サンタさんが
私の手紙を読めなくなった」と大泣き。

「サンタさんはわかってるから大丈夫」と両親は慰めてくれたが、クリスマスの
朝、やはりお願いしたのとは全く違うままごとセットが枕元にあった。

「これじゃない〜」と号泣したが、今となっては、きっと苦労して手紙の解読を
してくれたんだろうなー、とか思う。

子供の頃のクリスマスって、良い思い出だよね・・・。

60 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/25 10:16 ID:l28Qqew1
僕が幼稚園ぐらいの時。
「母の日」に何かプレゼントをしようと考え、お小遣いを貯めていた。
当時うちの風呂のガスは手で火を点けなければならず、
母がマッチで火をつけるのだが、たまにマッチが湿気ていると
なかなか火がつかずに苦労していた。
僕はそれを見てライターを買おうと思った。

やっと100円くらい貯まって母の日当日、
タバコ屋さんなどをまわったが、ライターは危ないからといって
どのお店も売ってくれなかった。
あちこち歩きまわっても結局買えず、泣きながら家に帰った。

泣いている理由を聞かれ、母に全部話すと
母は「ライターもいいけど、お花もいいな。
女の人はお花をもらうのが一番うれしいんだよ。」と言った。
僕は母に手をひかれて花屋に行き、赤いカーネーションを一輪買い、
もうバレバレなのにとりあえず背中に隠して母にプレゼントした。

うちに帰ると母がおやつにホットケーキを焼いてくれた。
母はカーネーションを一輪挿しに活けて、ずっとニコニコ眺めていた。
花をもらって嬉しいという気持ちは全然わからなかったけど、
母がよろこんでいる様子を見て僕は満足だった。

61 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/25 15:42 ID:glRpLUsi
ぼんやり覚えている記憶
縁側でおばあちゃんとシャボン玉を飛ばしながらシャボン玉の歌を歌って、
ずーっと飛んでいくシャボン玉を見ながら「お歌とおんなじー」と笑ってた。
そんななんでもない思い出がホローリ。

みなさんの、なんでもないけどホローリな思い出も聞いてみたいです。

62 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/26 07:19 ID:h8opdhtO
う〜ん・・・ホローリだろう。多分。
自分の一番古い記憶。家のじーちゃんは私が3歳の時に死んじゃったんだけど
じーちゃんの部屋に行って雪○の6Pチーズの一切れもらった。
嬉しくてちょっとづつ食べてたなぁ。
でも、そんなおじいちゃんも私が4歳位の時に逝去。
今、残ってるおじーちゃんの唯一の記憶。大切にしていこう。
ってホローリじゃないからさげ

63 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 00:03 ID:fqOtAbL7
>>62
結局おじいちゃんはいつ亡くなったのよ?
3歳?4歳?

64 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 00:06 ID:wjMncDAY
私もおじいちゃんとの思い出。
(ちなみにまだ存命だけど、ずっと入院&ボケが始まってしまっている)

小さい頃、祖父母は2階で同居していたんだけど、おじいちゃんの部屋に
行くと必ずバターボール(飴)と明治のチョコレートがあった。
虫歯になるから、と母は甘いものを食べさせてくれなかったけど、おじいちゃんは
角砂糖が3個入ったココアをよく作ってくれた。
嬉しかったからカップの色までよく覚えているよ。

65 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 00:54 ID:gNPzAlgD
俺は母方の祖父が逝ってしまう直前に生まれたのだそうだ。孫誕生の報が入って
すぐに逝ってしまったらしい。
しかも俺は事故で亡くなったという兄の後に生まれた、待望の子供だったようだ。
親族は哀しみと喜びがないまぜになった、何ともマターリとした通夜を迎えていた
とのこと。

母に聞いたことは無いが、親の死と子供の誕生をほぼ同時に体験した母の気持ち
というのはどんなものかと考えるときがある。

66 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 00:54 ID:WF9xij9O
母は私よりも子供っぽい人で、母親としてのたくましさも
とりえもなくて密かにバカにしていた。でも離れて暮すように
なってイラストレーターの仕事についてから、ふと絵が好きに
なったきっかけは何だったか考えた……母だった。
母はよく幼児の私をだっこして美術館に行った。好きな絵を見るのに
子供は邪魔なはずなのに留守番したり預けられたことはなかった。
こないだ電話できいたら「あれが私にできる情操教育の方法だったの」
と言っていた。泣いた。母さん、ありがとう。頑張るよ。

67 :スリムななし(仮)さん:01/12/27 01:39 ID:pPRZvaa5
おじいちゃんの思い出を私も
なくなった祖父は田舎の山間部に住んでいた。
本を読むのは良い事だと考え新聞はみっつも取っていた。
私が小学校二年生の頃、用があってうちに泊りにきた。
祖父を連れて家族で街に出かけての帰り道、私たちはバスを待っていた。
バス停の前の本屋で、なにげなく手にした本を
「○○(私の名)はそれが欲しいのかね?」といって
値札も見ずにさっさと買ってしまった。
ハードカバーの、二年生には難しすぎる内容の本であった。
少しづつ読んだ。全部理解するのに4年かかった。
でも大事にした。咀嚼しながら読んだ。何度も読んだ。
大人になって
自分ひとりで書店に行く様になって
自分の読む本を自分で選ぶ子どもの少ない事を知って
祖父の孫に生まれて本当によかったと思っている。
なくなる前、母に「あの本をまだ持っているだろうか」と聞いたそうだ。
大事に持ってるよ、おじいちゃん。
他にも、裏の山で木の実を採って一緒にたべたり
海に石を投げると、おじいちゃんの石だけピン、ピンと跳ねながら飛んだり
楽しかったよ、ありがとうおじいちゃん。

68 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 02:07 ID:nhjysM0b
>65
私はおばあちゃんが亡くなった日の夜に生まれました。初産て結構時間がかかるのが
当たり前だと言うのに、陣痛が始まって約1時間半での超安産だったそうな。
きっとおばあちゃんが力を貸してくれたんだと、今でも親戚が集まる時には
話題にのぼります。
それと、私は食いしん坊で、ハイカラだったおばあちゃんに良く似ているとも・・・。
写真でしか顔を知らないのが今でも残念です。
一度でいいから会いたかったよ、おばあちゃん。
来年の春、結婚します。天国から見ていてね。
長々と書き込んでごめんなさい。

69 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 02:18 ID:gDWjVX67
泣くとさ、鼻が赤くなってカッコワルイから泣きたくないのよ。
でも、泣かずにいられないんだよ。このスレ。

このスレ読んでいると、自分はまだまだ甘いなぁって思う。
強くて優しい人になりたい。

70 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 02:25 ID:8KYUXnw0
父方の祖父の話。祖父は若いころ交通事故で足を悪くしてから
ずっと車椅子だったが俺が生まれるとすごくかわいがってくれて
大変なのによく俺を公園に連れて行ったりして一緒に遊んでくれてた。
俺が小学校に入学したときくらいに脳卒中で倒れてから寝たきりだった
けれど、俺が学年代表で退職される校長先生へお別れの手紙を読む役を
やるといったらすごく誇らしげに思ってくれてとても喜んでもくれた。
うちは孫が女の子が多くて男の子は俺と従兄弟一人しかいなかったので特に
俺の成長が楽しみだったらしい。
その後祖父は回復することなく亡くなってしまったが俺は祖父が亡くなる直前
チューブだらけの姿を見てわんわん泣いた。
親父は「泣くことはおじいちゃんにとって最高の供養だよ」と言って
俺を慰めていた。今でも思い出すのは車椅子の祖父の横を歩きながら
公園に行く道すがら、そして公園で遊んだこと。楽しかったよ、おじいちゃん。

71 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 03:10 ID:JQIHUsik
みんなじいちゃん、ばあちゃんの話が多いね。

そんな俺は、恥ずかしながら小6までサンタクロースというのを信じていた。
というのも、毎年枕元に英語?でサンタさんからの手紙というのが置いてあって、
親にそれを読んでもらっていた。ちゃっかりお礼の返事なんかも書いたりして。
けど、小6の時にラジカセを頼んだら、近所の電気屋の保証印が押してあって
親がプレゼントくれてたんだと悟って、子供心ながらちょっとショックだった。
でも、そんな親の気遣いが嬉しかったので敢えて問い詰めたりしなかった。
自分の子供にも小学生のうちはサンタさんはいるんだよと言ってあげたい。

ちょいと時期をのがしちゃったよ。

72 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 03:39 ID:VPtC2+Lj
2ちゃんで泣かされるとは・・人に愛される程の財産はないね。

73 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 04:59 ID:TAgtEJof
私は愛された記憶以上の財産は無いと思った・・・
ここに書いてあるような号泣ものの思い出はないけど、
ほのぼのした思い出はいっぱいある。
家はありがたい事に父母、祖父祖母全部生きてるからこれから
いっぱい孝行します。このスレみて本当そう思った。
そして凄い感謝の気持ちでいっぱい。
こんな事気付かせてくれてありがとう・・・2ちゃん。

74 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 21:48 ID:CIkH51dC
良スレあげ〜

75 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/27 21:54 ID:8A8qOKS5
>73
それはうらやましい・・・
私の場合は私が生まれる前に、みな死んでいません。
それどころか、父母も年齢のわりには老けて、病気がち・・
短命の家系なのかも。
ある意味、身近に祖父母がいるってことは、
ある程度「老い」にたいする心的クッションになってくれるんじゃないかな。
なんというか、優しいおじいちゃんとかには子供の頃あこがれた
ものだけど、自分が老いたときのモデルがない、というのは
なんか切ない。どうやって理想的な老いを迎えるか、その指標がない。
なんら、知恵を祖父母から継承していない。そんなきがする。
・・スレの内容とは関係ないのでsage

76 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/28 17:21 ID:Z2xaJ2P3
うちのおじいちゃんはすごく大柄で無口な人だった。
でもお酒が入るとばかでかい大声で笑い、顔は真っ赤。まるで赤鬼。
子供の自分にはものすごく怖かった。
あんまりいい思い出ってないな……と思ったけど、ひとつだけ。

母が入院して祖父宅に預けられた5歳の私、ある朝突然歯が痛み出した。
特に虫歯ではなかったんだけれど、母がそばにいない寂しさもあって
わんわん泣いていた。
すると出勤前でスーツをきたおじいちゃんが、服のしわも気にせず私を
抱き上げ一生懸命あやしてくれた。
とても心配そうな顔をしていたことを覚えてる。
子供なんて好きじゃないと思い込んでいたから、抱き上げられて驚いたんだった。
今になれば、普通の、ちょっとシャイな男の人だったんだってことがわかるよ。
もっと話しをすればよかった。怖がってごめんね、おじいちゃん。

77 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/30 17:28 ID:rhQ9Uv9K
age

78 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/31 03:26 ID:YSwlhlJj
           
      ∧_∧  
     ( ・∀・).。oO(イイ!)
    /     \
   / /\   / ̄\
 _| ̄ ̄ \ /  ヽ \_
 \ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__)
  ||\            \
  ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
  ||  || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
  ||  ||           ||

79 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/02 20:23 ID:IKqY0bHq
正月、実家に帰ってちやほやされて、家族のありがたみを改めて感じた。
よってあげ。

80 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/04 22:40 ID:NtZjDuOQ
ついこの前のクリスマスの朝。
実家に帰って小1の娘と一緒に寝てた。
起きた娘が「サンタさんがきた!」って無邪気にはしゃぐ様子が凄く嬉しかった。
それは当然娘が眠った後に私が置いておいたプレゼントなんだけど。
「おかあさん、サンタさんいつ来たかわからへんの?」とツッコまれたけど
「う〜ん、おかあさんも寝てたしなぁ」くらいしかいいようがないし。
布団の上でプレゼントを広げてる娘の様子は、いつまで見られるかな。
もうちょっとサンタさんの存在を信じていてもらいたいです。

81 : :02/01/10 10:07 ID:N9edyg8+


82 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/10 10:27 ID:HUbrNQK5
私に対して全く無関心だから大嫌いだった父親が、
学生のとき、インフルエンザにかかりかけてた自分を
(陰ながら)看病してくれたこと。
夜中目を開けたら、1分ごとに頭のタオルを替えててくれて、
朝6時頃もまだ起きて同じ事をしてくれてた・・。
それまで自分は父親に愛されてないと思っていたから
本当に嬉しかったよ。

今は頭に貼るのが主流みたいだけど、私は自分の子供には
絶対氷水で冷やしたタオルにしています。
貼りっぱなしとまめにタオル交換とでは
後々かなり違ってくると思う。自分の経験上。

83 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/11 09:50 ID:wt59ZYeh
age

84 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 01:28 ID:QXp+4LF2
今、日テレでやってる大家族のテレビ番組見てるんだけど、
他人の家族だけどホローリしちゃう。

子供達は当たり前のように家の手伝いをしている。
そして、子供1人1人に、毎月のある1日が「その子の日」と決められてて
ちょっとした贅沢ができるらしいんだ。
6日は長女(小6)の日で、長女が望んだのが母とのファミレスでの
食事。長女は嬉しそうにメニューをいろいろ見て、そして注文した
ステーキをおいしそうに食べてるんだな。
「おいしいよ、お母さんも食べる?」
とか言いながら。

ところで、今まで見た大家族のテレビ番組って、ワイルド系
ばっかりだけど、こんなの始めてだなあ。

85 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 01:29 ID:3I1/ruy8
宝くじの賞金(が当たった場合)のお金の使い道で
喧嘩になった平和な我が家

86 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 01:47 ID:AgTOsa5f
一人暮らししてます。
ちょっとしんどい事があって
「死んじまったほうがラク・・・」とか思っていたら
普段は正月に顔を合わすだけの母から電話が。
なんかすごく悪い夢を見たらしい。どんな夢かは言わなかったけど。
びっくりしたよ。

87 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 13:58 ID:yHncJifw
私の父親は、私が子供の頃にインスタントラーメンを良く作ってくれました。
普段は仕事ばかりで、家事や炊事を全くしない父親なのですが、
仕事が休みの時にだけ、時々作ってくれるラーメンは子供心に嬉しい瞬間でした。♪
竹輪を輪切りにしたものをトッピングした簡単なものですが、
今でもその時の味は覚えています。

そんな不器用な父親も、胃癌の為7年前に他界したので
そのラーメンは食べる事が出来ません。

今では父親と同じトッピングのラーメンを思い出しながら、
妻や娘に私が作ってあげています。
天国にいる親父にも私の作るラーメンを食べさせたかったな・・・

88 :おかいものさん:02/01/14 14:32 ID:ofSgVK93
寝ている時に突然、母が私を呼ぶ声が聞こえるときがある。
脳梗塞を患っているので、もしや…とその度実家に恐る恐る
電話をかけるのだが何も無くて安心する。

89 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 15:59 ID:JttREoaI
最近ちょっとせいしんがイカレてて、
両親に大きな口を叩きまくりなんだけど
このスレ読んで、少し自粛しなくちゃ菜と思いました

90 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 16:41 ID:LZ1eXIcM
がんばれぃ。

91 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 16:41 ID:3mg6y9aO
がんばれぃ。

92 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 16:42 ID:6MNBAsN/
がんばれぃ。

93 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/14 16:54 ID:BdqYZVgi
>84
私も見ました〜。
確か、
1日生まれの子だったら毎月1日はその子の日って
決めてるんですよね。
大家族ならではの良いルールだな〜って観てました。
御両親の愛情が本当に満ちていて、ホロッときそうでした。

94 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 00:59 ID:HLZZflk1
皆さんは西原理恵子(さいばらりえこ)という漫画家をご存知ですか?
絵も乱雑で言葉遣いも悪く、世間からはあまり良い評価を
うけてはいないみたいですが私は好きな漫画家の一人です
彼女が全国各地の高級グルメを食べ歩く「恨ミシュラン」という作品は
「げろまず」「店員馬鹿ばっか」「人間の食うものじゃない」等の言葉が
頻繁に飛び交い取材された店からクレームも殺到するというすさまじい内容の
ものでした
しかし彼女のお母さんが故郷の高知から娘の様子を見に東京に
来たときの話の最後に「お母さんは高知に帰りました たくさんご飯を作って
いってくれました 私は高いお店の料理よりやっぱりこっちの方が大好きです」
とあり普段のサイバラとは違う一面にほろりときてしまいました

私自身の話ではないのでsage

95 :φ人:02/01/15 07:38 ID:FC0F3yF3
ウチの4歳になる長男が、ある幼児向け雑誌の表紙に書いてあった
「かぞくといっしょに」というひらがなをたどたどしく読んだ。
そのあと、これは雑誌の表紙には書いていなかったが、
「くらしましょう」と続けて口に出した。

その日は一晩中長男を抱いて寝た。

96 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 07:53 ID:tSBUMIEL
なんとなく。自分がそういう年代だったせいか
「裕福でもなかった両親が それでも自分達子供(たち)の
ためにいろいろしてくれた話」に 「くる」。

また成人式がどうの やってたね。
十分裕福な世代にとって 親はなにを与えられるんだろう。
とか考えちゃった独身男性。

97 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 08:45 ID:cAthhDvt
>94
たしかにその話だけ聞くとホローリとせんでもないが、
あの人のマンガに出てくる母親の他の逸話の数々を読むと
せっかくのホローリも即座に凍り付いちゃうよ・・

98 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 08:49 ID:pE91pGtH
いやいや数々のすさまじい逸話を越えてやっぱり最後にほろりと来るところがあるよ。

99 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 10:16 ID:1KqzN+8e
たぶん、他人はコレを聞いてホローリとはしないと思うけど、
小さい頃クリスマスにはケーキにキャンドルともして、そのあかりでお姉ちゃんが
ピアノを弾いてきよしこの夜をみんなで歌った。
ツリーのまわりにプレゼント。絵に描いたようなクリスマス。
本当に幸せだった。
今は亡きお父さんを思い出します。

100 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 15:49 ID:3gUhXEcs
年末の話。付き合ってた彼氏と別れた。
彼とは遠距離で、神奈川に住んでたから、彼を訪ねに行っていた。
そこで切り出された別れ話に、彼の家を飛び出し、近くに住んでいた兄の家に身を寄せた。
兄は仕事だったので、一度電話をかけてから鍵の隠し場所を聞き、家に入った。
結局彼と話し合い、次の日に最後のデートをしようと言うことになった。
兄は必死で止めた。妹がこれ以上悲しむ姿を見たくなかったんだろうな。
昼間に電話したときも、声の感じですぐ別れたって気付いたみたい。
なんでわかったの?と聞くと「何年お前の兄をやってると思ってる」だって。
兄弟ってすごい。このときはホントに泣きました。
それから次の日になって、彼氏と出かけるか出掛けまいかで、
一人で錯乱状態になってしまった。そして何故か母に電話していた。
普段からこの付き合いに賛成してたとは言えなかった母なので、
「だから言ったでしょ、バカねえ」と罵倒されると思っていた。
でも、母は一緒に泣いてくれた。「可哀想にねえ」って言いながら一緒に泣いてくれた。
母の立場、女の立場からアドバイスをくれて、一言「帰っておいで」と。
ああ、私には帰るところがあるんだ、待っててくれる人がいるんだって思いました。
そして実家に戻ると、母は何も言わず抱きしめてくれました。
ちちの会社が傾いて、私が小学校一年の時から、やったこともない水商売を
始めた母。お客さんのツテも、コネもないのに、突然スナックを開いた。
でも、持ち前の明るい性格で、苦しいことも辛いことも笑い飛ばしてきた母。
どんなに忙しくても、晩ご飯だけは絶対作ってくれた。
13年店が続いたのも、みんなあなたの人柄に惹かれてのこと。
お店継げなくてゴメンね。継いで欲しかったよね。
お母さんには長生きして欲しい。親孝行出来るほど甲斐性が無くてゴメンね。
お父さんといつまでも仲良くね。

101 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 18:25 ID:g9Q5EUsQ
良スレあげ

102 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 19:01 ID:6Ya2SwVi
今月でた、「月刊マガジン」の「クソガキ」を読んで、
かなりホロ〜リきた。
母とサヨナラすることなんて、考えられなかった。
「私が死ぬまで死なないでくれ〜」と、思っていた。
そんな母が事故で逝って、早九年。
あの時は、気が狂うかと思うくらい泣き叫んだ。

103 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 19:13 ID:S/ctD7Im
うちのおじいちゃんの口癖は
「あんたの為におじいちゃんちゃんと貯金してあるから大丈夫やからな。」
だった。あと、宝くじを買うたびに
「一等当たったら全部○○ちゃんにやるからな。」

 結局宝くじは当たることなくおじいちゃんは死んでしまったが、私名義の通帳を
見てみたところ、「ちゃんと貯金してある」額は10万足らずだった。年金の中から
毎月1000円、2000円ずつ貯めてその額。

 1000万円遺されるよりも余計に泣けた。

104 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 21:46 ID:W4Qjt+Bi
社会人になって初めて帰省したときに、給料で何か買って上げる、
って両親に行ったんだ。
そしたらハイキングに行けるような夫婦ペアの靴が欲しいって
行ったんで買ってあげたんだ。
嬉しかったみたいでその靴がボロボロになるまで履いてたよ。

105 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 23:28 ID:Qo+sN6Nx
>>95
なにげに、とっても(・∀・)イイ!

106 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/15 23:45 ID:eBkgc9Ya
>105
こういうのが「ホローリ」てやつなんでしょうね。
最近の話は皆・・・ほろりどころか涙ダーだよ。ポポンSのCM状態

107 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/16 10:07 ID:/8WKE6d6
>103
ううっツボにはまった・・
目に入れても痛くないほどあなたをかわいく思ってた様子が見えるようだ・・
苦しい中からも「○○ちゃんの為に。○○ちゃんが何かあっても
これで困らないように。」って貯めてくれてたんだね・・
めちゃくちゃ大きな愛情を貯めておいてくれたんだね・・

108 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/16 23:41 ID:EHU5k3uG
良いスレだ・・・しみじみ

109 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/17 04:10 ID:xH4UchvC
ホントに涙が止まらないよ。

私は私の子供にこんなにいい想い出を作ってあげられるのだろうか?
親がしてくれたことを次世代に伝えることができるのか
果たして疑問・・・。もうすぐ赤ちゃんが生まれるけど
不安しかない・・・・。

110 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 16:50 ID:dKnICgmf
http://life.2ch.net/test/read.cgi?bbs=kankon&key=1007046017&ls=50
嗚咽スレより転載ここの >163べらぼうに泣いた!

娘が6歳で死んだ。
ある日突然、風呂に入れている最中意識を失った。
直接の死因は心臓発作なのだが、持病のない子だったので
病院も不審に思ったらしく、俺は警察の事情聴取まで受けた。

別れた女房が「彼氏」同伴でやって来たが、
もはや俺にはその無神経に腹を立てる気力もなく
機械的に葬式をすませた。
初七日も済んで、俺は独りで映画を観にいき、娘が観たがっていた
ゴジラととっとこハム太郎の二本立てを観ることにした。
とっとこぉはしるよハム太郎♪の歌を聴いた瞬間、やっぱり俺は泣いた。
6歳にもなって活舌の悪い娘が、この歌を一生懸命覚えて、
とっとこぉ、はしゆよ、はむたよお♪と歌っていたっけ。

ハム太郎の紙コロジーだってクリスマスに買ってやるつもりだった。
女親のいない家庭だったが、少しでも女の子らしくと、
服を買うときだって、面倒がらずに吟味を重ねた。
学校だって、行きたいところに行かせてやるつもりだったし
成人式には、ちゃんと着物を着せてやるつもりだった。
女房と離婚してから俺は100%子供のために生きることにして、
必死にやってきたのに、この世に神様なんて絶対いないんだと知った。



111 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 17:58 ID:HWJ9LYnT
age

112 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 18:03 ID:EBKzY7H0
>110
つらすぎる・・・泣けた。

113 :110:02/01/18 21:48 ID:Y7K+u5ox
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=middle&key=997509116&ls=50
ここです。嗚咽スレ。ここのURL貼ってどうするんだ。私。

それにしても・・・何回見ても泣く。



114 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 22:31 ID:NstEgfbb
しみじみ泣けるよ・・・


115 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 22:58 ID:UThgK/ur
俺の父は古いタイプの人間で、一度も俺の前で涙を見せた
ことがなかった。

俺が生まれたのは長屋で借家で木造の平屋だった。その頃から
親父は黙々と会社勤めを続け、俺が目が覚める頃には出勤、寝た
後に帰宅という日々が続いていた。母も内職のミシン作業をして
いたので、小さい頃に親と旅行したり、遊んだ記憶は全く無い。

俺が小学生になると同時に引越し、祖父の家で同居となった。
古い木造家屋だったが一軒家であり、また二階建てでもあった。
あいかわらず父は黙々と働き、母は近所にパート。俺と弟はカギ
っ子だった。

俺が中学生の時、父は脱サラして古民具の行商になり、ようやく
貯まったお金で家を新築した。祖父は父の兄の所へ引っ越したの
で、名実ともに父と母はマイホームを手にした。ローンがあるのに
本当に嬉しそうだった。

大学卒業した俺が隣県で働き出して3年目の今年。友人から携帯で
「お前の家が燃えている」と言われた。何とか父に連絡すると「家
族は無事だから、明日帰ってこればいい」と言う。
翌日、俺の家は全焼していた。母は泣きそうな顔で俺を出迎えたが
父は苦笑していた。

火事の後片付けに駆けつけた親戚、知り合いを前に父は事情を説明
した。原因は放火だが、放火と報告するとしばらく現場をそのままに
しておかなければならないこと。最悪、半年もの間、何もできない
こと。それを避けるために警察と消防には自分のタバコの不始末とし
て頼んだこと。
「悔しいけど」と言った父の両手は堅く握られていたけど、泣いてい
た。母も泣いた。二人の顔を見たら、二人の数十年の努力が思い出さ
れて俺も泣いた。泣きながら4トントラックに燃えた柱や焼けた写真
やら壊れた窓ガラスやらをみんなで積み込んだ。

一ヵ月後、帰省したら家の改築工事が終わってた。「前よりいいや
ろ」と自慢げに話す両親を見て、また泣きそうになった。


116 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 23:01 ID:FAlipVvx
全部読んだ。
泣けるはずなのに泣けない・・・

自分が汚れている証拠かもしれないなぁ。
こんな自分がとても嫌な気がする。

でも、貧しくても暖かかった頃の昔を思い出した。
クソレスですまん。

117 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 23:05 ID:UThgK/ur
age

118 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 23:28 ID:7sjRCJfx
>115
そうなんだ。放火って…初めて知ったよ。
その犯人が呪われますように。
貴方やご両親が涙した分、関係ない人間ですが
怒りを覚えさせてください…

119 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/18 23:49 ID:ZqihG6Z1
teikiage

120 :ちょいと:02/01/20 13:44 ID:Ow4hoyz4
>>116
そんな事書き込んでるオマエ! オマエはたぶん・・きっと(・∀・)イイ奴!
誰も「クソレス」とは思わねえよ。

121 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/20 13:57 ID:bJGnVHUY
>>115
ご両親が無事で良かったね。

122 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/20 14:16 ID:bZ8EfTC+
>>115
私には両親いないけど、働き者の御両親がいて羨ましいよ。
大切にしてあげてね!

123 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/21 12:55 ID:TvaVpB38
http://curry.2ch.net/test/read.cgi/train/1010584211/l50
趣旨違いもあるが、鉄ヲタの青春…


124 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/23 23:49 ID:4/j+wFRM
今日、仕事から帰ってくると実家からFAXが届いていた。
父の字で「花子(実家で飼っているインコ)が天国に行きました。○○(私の名前)も元気でね」。
花子は私が実家にいたときから可愛がっていたので、驚いて実家に電話。
「花子、死んじゃったの!?」と半泣きになりながら聞くと
「お母さんが踏んづけちゃったんだよ…」と父。
「お母さんは?お母さんに代わって!」と言うと「お母さん、泣いてるもん」と父。
が、その後ろからは「笑ってるよ〜」と母の声。
「なんでお母さん笑ってるの?花子死んじゃったんでしょ!」と言うと
「うん。死んじゃったよ」と言う父の声と共に小さく「死んでないよ」という母の声。
しばらくして母に代わってもらうと「元気だった?仕事ちゃんと行ってるの?風邪ひいてない?」と母。
最近、職場が変わったばかりの私。仕事が忙しく、なかなか実家に電話出来なかった。
前の職場では人間関係に悩み精神的に追い詰められ、
実家に電話するたびに愚痴ったり泣き言を言っていた私。
父はそんな私を心配し、かと言って素直に「元気か?」と電話するのは照れくさい性格の人。
なので、私の可愛がっているインコをネタにしたらしい。
「まだまだ寒いから風邪ひいちゃダメよ。新しい仕事頑張りなさい。
何があってもお父さんとお母さんはあんたの味方なんだから」と母。
その母の後ろで「頑張れ頑張れ○○(私の名前)〜!」と叫んでた父。

さっきまで泣いてました。

125 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/24 00:01 ID:m0xPuBx5
>124人でもペットでも死をネタにしちゃうのって、なんか…
いやごめんそういうスレじゃないよね。うーんでもなんか…

126 :124:02/01/24 00:20 ID:AIvWta07
すみません。逝ってきますね…

127 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/24 02:43 ID:2mN2UWfl
>126
いやいや、良い話だよ。
最後まで貴方の味方でいてくれるのはご両親だよ。
大切にしてください。

俺は、保育園のとき母がに迎えに来たとき
必死で母のところへ駆けて行く光景&夕焼け
を思い出すとホロっとくる。
その日は大好きなミニカーを買って来てくれたっけな。

親孝行しよう。

128 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/24 03:26 ID:pYtc4iKY
>124
結局インコは死んでないの? ネタって事は生きてるの?
生きてるんだとしたら、ご両親があなたのこと心配してのことだろうけど
あまり気持ちの良い話じゃなかったよ・・・


129 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/25 07:18 ID:kfJaA5zC
留学して 現地の男と 結婚した。(カナダ)
親とは なんだかんだあったけど 結局認めてもらい家族そろって こっちの
結婚式にきてくれた。
母は 着物をきてくれた。
色々観光もして、2週間ほどで、親は日本へ帰った。
空港まで、送っていって彼と うちにかえったら ベッドのわきのテーブルに手紙が
あった。
日ごろ 無口で、口下手で照れ屋の父からだった。
”寒い国に住むことになったな。風邪にきをつけるように。”
これだけだったけど、泣いた。
春がきたら 日本へ帰る予定。今度は 孫(男の子1歳4ヶ月)を見てもらいに。

130 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/25 07:40 ID:GXez2jmS
>>129
いいなぁ!
私はハワイ在住で今度結婚(再婚)する事になってるんだけど、
うちの家族は全員来てくれない。確かに再婚だけどちゃんと式するのは
初めてだし、私の花嫁姿見て欲しかったのに・・・。
もともとそういった人生の節目のような出来事にすごく無関心な家族。
私は小さい頃から淋しかったんだよ。くすん。

131 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/25 10:36 ID:q17+0R0Z
>>124
涙が出てしまいました。最後に叫んでくれたお父さん。いい人だ。
インコは言葉わかんないだろうからいいじゃないですか。


132 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/25 11:51 ID:hsL3g89A
インコの死因にほのぼのしてしまったよ

133 :おさかなくわえた名無しさん:02/01/29 09:55 ID:Ql6G6ihd
ageとこう

134 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/02 11:15 ID:Ubd/J9ZT


135 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/02 15:34 ID:C9BYOvWC
>>88
かなり遅いですが…
いやな予感がしたときは電話するのがよいそうです。
電話の音で相手が目覚め、意識が戻ってくると
聞いたことがあります。

だからもしかしたらお母さんに何もないのは、
あなたが電話してるからかも知れないですよ。

136 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/03 19:43 ID:JtZf4MGi
劇団式の異国の丘を見にいって、ふと父親の事を思い出した。
父親は戦中生まれ。
父親の父親(つまり私の祖父)は、シベリア抑留され、運良く生きて
帰ってきたものの、それからすぐ、父親が物心つく前に亡くなったそうだ。
自分の事をあまり話さない父親が、最近になってぽろりと言った。
「お前達はいいな、ちゃんと父親がいるからな(笑)
…お父さんは、物心つく前にもういなかったから、父親の思い出が全くないんだ。
もし生まれ変われるなら、今度は父親に甘えてみたいんだ」

…その言葉を思い出して、劇を見ながら号泣しました。
お父さんも、つらかったんだね。
(劇は、シベリア抑留の話なのです)

137 :長くてすいません。:02/02/03 20:50 ID:PdvsdRK1
高校3年の時の話。私は進みたい専攻学科のある大学が近くになく(実家の
近くには大学自体少ない)、卒業後は県外へ出て一人暮らし→通学を
する事が決まっていた。中3の妹はスポーツ推薦で、授業料免除の
高校(寮生活)へ行く事を決めた。
うちの家族は祖父、祖母、父、母に娘2人、皆とても仲が良かった。
しかし二人の娘が二人共出て行ってしまう事になり、祖父母は
毎日「寂しくなるねぇ。」と言っていた。
私は妹と違い、専攻予定の学科が特別に他人より優れているわけでも
ないので、せめて家から通える距離の大学を受け直そうかとも
考えていたが、そんな私の気持ちを察したのか、母は一度も
寂しい、という言葉を口にはしなかった。
2人の引越しも近づいたある日、いつものように、夜両親と私、妹の
4人でテレビを見ていた。テレビでお好み焼き特集みたいなのをやっていて、
つられて食べたくなり母に、コンビニまで連れて行って、と
妹と頼んだ。何せ田舎なので一番近いコンビニが車で5分はかかる。
時間も12時近くだったので、車でないと寒くて行けたもんじゃない。
しかし母は私達が何度頼んでも、面倒くさがって行こうとしない。
そんな母を見て父が「もう3人でコンビニに行くのも最後になるかも
しれないんだから、行ってやれよ。」と言った。母はそれまで一度も
寂しい、とすら口にしなかったのに、父にそう言われ、壊れたように
泣き出した。
やっぱり寂しかったんだ、と改めて思い、私も妹も泣いた。
現在、私も妹もまだ在学中。なるべく休みは実家へ帰るようにしている。

138 :137:02/02/03 20:51 ID:PdvsdRK1
うわ、たいした話じゃないのに長っ。
私最悪だー

139 :名無しさん:02/02/03 20:58 ID:wcHbu/7a
>>137-138
うっさいボケ!!
家の娘はまだ3歳だが

読んで泣いてしまったわい!
お母さんの事大事にしろよ!
おやぢはもっと寂しいと思うぞ!

140 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/03 21:58 ID:Dj5DM9Aq
>137
ウチと全く一緒だよ。
私はやたらと遠い県外で独り暮らし、この春から妹も遠い県で独り暮らし。
父も母も寂しいなんて一言も言わないんだけど、やっぱ寂しいんだろうなあ。

141 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/04 00:26 ID:k7so4PgG
父の酒には家族全員、随分イヤな思いをしたものだ。
酔って帰っては同じ話でクドクドと母に絡み、
と思うと、外で飲みつぶれて倒れ、警察のお世話になったり。

母の苦労を熟知していたから、体力的に追い越して以降、
私は、きつい言葉で父の「だらしなさ」をなじり続けた。

そして話は昭和45年春。
就職のため上京して賄い付きの下宿で荷物を解いたところ、
バッグの中から見覚えのない紙包みが。
おかしいな、何だろう?
開くと、半紙に墨汁で押した父の手形と、小さなソーセージの
缶詰が2、3個。

手形の周りに書いてある。
「いくらボロクソに言われても、子供が可愛いのは当たり前。
おかずが足りない時、食べてください。また小遣いを節約して送ります。
お母ちゃんには内緒で」

肉好きの私を思い、あの飲んだくれの父が、そっと……。

上京第一夜、枕が濡れるほど泣いた。

もっともそれ以後、荷物が届いたことはない(笑)。
「愛すべき」父は、遅れて来た母と4年前から空の上で一緒だ。


142 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/04 17:45 ID:Iqokrt2S
age

143 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/04 21:20 ID:ULHfbBoo
まだ小学生だったころ。
卒中で意識不明の状態が続いていた祖父を見舞いに行った時、
母に「おじいちゃんって呼びかけてあげて、目を覚ますかもしれないから。」と言われたのに
なぜか気恥ずかしくて呼びかけることができなかった。
祖父はそのまま目を覚ますことはなかった。
声をかけても同じだったと思うけれど、今でもせつなくなる。

144 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/04 21:47 ID:yHYWhdxE
age!

145 :101:02/02/06 15:25 ID:07ceFpAy
age

146 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/06 16:03 ID:AaoCRYEj
age

147 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/06 16:54 ID:BEPgY+mT
大学生の頃、彼氏と旅行に行くことにした。
正直に親に告げて「行かせて欲しい」と言うと
母は「好きな人と一緒にいることがどれだけ楽しいことか、
お母さんにも経験があるからわかる。楽しんでおいで」
父は「おう、そうか」とだけ言って許してくれた。
車で行くといったら、道まで調べてくれた。
なーんだ父さん、ものわかりがいいジャン!なんて思っていた。
出発する時、2階の窓から手を振って見送ってくれた。

その後父が、母とたまに行くスナックで
「娘よ」を唄いながら号泣していたと聞いた。
何度も何度も、泣きながら唄っていたらしい。

赤ん坊の頃、どんなに夜泣きしても一言も文句を言わず
泣き止むまでおぶってあやしてくれた父。
俺が生涯現場仕事で出世もせず、人に怒られることが
多くて、他人から見たらずいぶんとしょぼい男だったと思うけど
大学まで出してくれてありがとう。慈しんで育ててくれて
本当にありがとう。親心のわからない娘でごめん。

148 :147:02/02/06 16:56 ID:BEPgY+mT
あぁ、「俺が」は余計でした…
ネタみたいになっちゃったよ、逝きます

149 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/06 17:42 ID:L9jh4isK
>147
どういうこと?
あなたは女性だよね?
でも、俺って…?男って…?

150 :147:02/02/06 19:32 ID:BEPgY+mT
>149
すみません、私は女です。
父に「俺が娘にしてやれることなんてこのくらい」だとか
色々言われた言葉などもあって
それを書いたり消したりしてたら
消し忘れて残ってしまって。申し訳ない。

151 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/06 23:57 ID:TdI0/FR1
じゅうぶん伝わってるよ>147

152 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/08 23:24 ID:OgdmC/02
感動したからよし!

153 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/08 23:36 ID:tCW6+TQ1
宝くじの当選賞金(がもし当たった場合)の使い道で
喧嘩になった平和な我が家・・

154 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/08 23:55 ID:xgOlRBO4
いいなあ>147 感動だよ。
わたしは中学1年の春に
祖母(母の母)と母親から「父が女子大生と浮気してる」って言われて
そこの家に電話をかけさせられた。
初めはその女性のお父さんが電話に出て
「あなたは誰か」とさんざん問いつめられた。
まさか本当の事をその人のお父さんに言っては行けない事は
12さいでもわかったのでしどろもどろで誤魔化した。
もいちどかけなおして(かけなおさせられて)
その彼女と繋がったら
「お父さんをかえしてください」と言うように祖母と母に言うように
言われた。
機械のようにそれだけ言って電話を切った。
そのときは「わたしが力にならなきゃ」
と、思ったけど、フツー娘にそんなことさせるかぁ???

30代になった今でも胸くそ悪いオモヒデ。

でも、その父との思い出の方がほのぼのほろり、としたことが多い。

155 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/09 12:44 ID:2kXVlNEm
>154
子供ながら必死の思いだったんだよね。
わかるよ、わかる。
似たような経験あるよ。。
私の場合は親の借金や夜遊び問題の仲裁や
近所への言い繕い。
うちに取り立てやが来たことも何度もあった・・
いやなものざんざん見せられたよ。。
小学校から帰るとビールを買いに行かされたり、
明け方にだらしなく酔っぱらって帰ってくる親の姿見せられたり。




156 :154:02/02/10 02:26 ID:wg8YnnHY
>155 
ありがと。
でもそんなアフォな父もとっくに酒の飲み過ぎで逝ったので
今ではホロニガイ思い出だわ。

あっ、ここは ホローリとするスレだったわね。
ごみんなさい。

157 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/10 12:10 ID:DaR4V3su
父の日のプレゼントを渡しそびれていたので実家に帰ったある日のこと。

母の誕生日も近かったので、その両方を兼ねてとプレゼントは仏壇に供えておいた。
母の遺影は冬の写真なので、衣替えをしようかという話を以前からしていた。
候補だと言って父が出した写真は、えらい若い頃のもので姉とともに即却下。
父はイチオシの写真をあっさり否定されてややショック気味。
いや、お父さん、気持ちはわかるんだけどね...

父におれの証券を解約して換金したい旨を伝えると、
「それは税金対策でおまえの名義を借りているだけで、おまえに渡す金は全部渡した」と言われた。
そこから将来の展望について話すように促されて、ぽろぽろと話してはみるものの、
不安からきた無関心のために語る言葉など見つかるはずもなかった。
それでも父は語気を荒立てることなくニュースを見ながら、
お父さんはどうでもいいんだよというようにやわらかい説教をはじめた。
母が死んでから父は威厳を見せつけるようなことをしなくなり、
まるで母のやさしさが乗り移ったかのように丹念に、少し眉をしかめたりして
ゆっくりとしゃべった。
それがおれの心をチクチクと刺してじわじわと追い詰められていった。
天気予報で夜から大雨になると言っていたのでそれを口実に帰ることにした。
サンダルを履くのをもたついている間に背後でなにやらぶつぶつとつぶやく父の声を聞き
こらえきれなくなった。
久しぶりに父に抱きしめられ、わぁわぁと泣いた。
おれのほうが体がでかいから少し窮屈だったがとにかくわぁわぁと泣いてやった。
父はつられて泣いている。
まったく母が死んでから父は泣き上戸になりやがった。男のくせに情けない。

母が死んだとき父と姉は真っ先に指輪を分け合った。二人で勝手に。
その代わりに引き継いだ母の愛用の赤い自転車。
ペダルをこぐとキコキコと哀愁漂わせて鳴くでもなく、
スイスイと走るんだこいつがまた。気が利かん。

帰り道、2回ぐらい泣きそうになったけど通行人がいたので羞恥心のほうが勝った。

158 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/10 12:33 ID:+Ex32ksT
>157

正直意味がよく分からない部分もあるのですが、気持ちがよく伝わってきました。
親が小さく見えるときって悲しくなっちゃいますね・・・。

159 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/11 01:53 ID:jFUlv1MM
>157
正直、感動的なことを書いてあるんだろうが意味がわからん。

160 :157:02/02/11 18:16 ID:gDMWK5eJ
スレ汚しスマソ...
逝ってきます.........

161 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/11 21:10 ID:97R5mgwU
>>160
とんでもない。私はホローリしたよ。
むしろこの書き込みがスレ汚しか。スマソ

162 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/13 04:28 ID:4GcL9gRC
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=middle&key=997509116&ls=50
ここです。嗚咽スレ。ここのURL貼ってどうするんだ。私。

それにしても・・・何回見ても泣く。





163 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/16 01:58 ID:4MlqEpIC
あげるよ

164 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/16 02:36 ID:jGuSBo9i
>>153はサザエさんかちびまるこちゃん

165 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/19 06:13 ID:tVLLzV99
あげさせてください

166 :名無し:02/02/19 23:16 ID:5LeKbBVr
age

167 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/20 00:20 ID:jyAq49Ql
厨房と甲坊がいるスフです。
一昨日より思い立って、写真の整理をしていました。

出てくる出てくる・・・独身の頃の写真から厨房&甲坊の
産まれたてホカホカの写真。
もういない私の父、昨年亡くなった義母や私の祖母の写真も。

一枚一枚手に取りながら昔を思い出していると、普段はあまり
口をきかない厨房&甲坊までが写真を手に取り、いろいろな
話をボソボソと語りだすのです・・・。

なんだかうれしくもあり、ホローリもありの気分でした。長文スマソ

168 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/20 00:22 ID:0XG1HvNc
>スフ
ワラタ
>長文スマソ
短けぇyo

169 :167:02/02/20 00:27 ID:jyAq49Ql
>>168
短けぇかったでしょーか?レスどうもです。ペコリ

170 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/20 00:49 ID:2WBAQAfa
>167のようなおかあちゃんっていいな!(w

171 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/20 00:54 ID:7vTExno0
>>162のリンク先読んでる。。。泣いてます。

オレも友達二人を列車事故でなくしている(運転してたのも友達でその子はまだ生きてる。
神様なんかその事故以来信じていないどころか憎んでいる。
まだ26だけど二度とあんな思いはしたくない。


172 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/23 23:37 ID:ACb4Rwp7
age

173 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/24 23:11 ID:e3REaVuS
すごくいいスレなので上げさせてください


174 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/24 23:12 ID:e3REaVuS
良スレにつきあぐぇ

175 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/26 00:59 ID:qUSPmFMV
あげます

176 :おさかなくわえた名無しさん:02/02/26 07:30 ID:h2XmpXXD
age

177 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/01 12:48 ID:rIE4wc7q
保全

178 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/03 23:17 ID:VEWQgJcf
あげますっ(泣)

179 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/04 19:02 ID:pHHw72Xd
あげさせてくださいっ!


180 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/04 21:51 ID:lQYMKkVX
このスレと、嬉しかったちょっとした気遣いのスレが大好きです。


181 :おさかなくわえた名無しさん :02/03/05 05:46 ID:50tV+e71
上げさせてください(ノ_<。)

182 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 05:39 ID:K+FbVNi8
age

183 :sage:02/03/06 07:15 ID:LdzROU3h
ネットだから語れる人生スレはどこにありますか?
だれかログとってます?

184 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 07:36 ID:Ekl1qGhw
父が幼い頃、産みの母が家を出ました。
すぐに後妻がきて弟妹が産まれ、父だけはおばあちゃん(わたしの曾祖母)
に育てられました。
「ひとつ屋根の下、家庭がふたつあった」と父は言います。
仲睦まじい母子を横目に見ながら、早く家を出ることだけを考えて
高校卒業後すぐ東北から関西に就職したそうです。

わたしは曾祖母にとって初曾孫。
年に数回、会うたびに「○○の髪はきれいだねぇ。本当にいい髪だ」
必ずほめてくれました。父がスキカルで切ってくれていた髪です。
曾祖母はわたしが小3のときぼけました。
誰のことも区別がつかず、名前もわからず、穏やかな幼女になりました。
亡くなる少し前、お見舞いに行ったとき
「あら、この子はきれいな髪ね。きれいね。」
そう言って髪をなでてくれました。わたしも、父も、泣きました。
ひいおばあちゃん。
あなたがほめてくれたから、ずっと髪は大事にしています。
わたしの唯一の自慢です。ありがとう。




185 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/06 07:40 ID:R4ysLA7s
おととしの忘年会で行った温泉街のソープのおばちゃん(推定55歳)は、かれこれ30年以上やってるって言ってた。
やはりオマンコは凄い事になってた。しかも上の歯が入れ歯だった。孫もいるんだってさ。
オマンコすっかすかで全然挿入感無いのにトレーシーローズばりの喘ぎ声で、「お兄さん固い!すごく固いよ!当たってるよ!はぁ〜!」
って叫ぶんだけど、全然6分勃ちなわけ。ティンコはどこにも触れてないような感覚。
そうだなぁ〜、例えると350mm缶をくり抜いたのに突っ込んでる感じかな?オマンコなんか全体的に飛び出してて、発情期のサルみたいなワケ。
そんでもって「おっぱい揉んで〜、はぁ〜」とか言ってんだけど、ほぼ棒読み。学芸会のレベル。
で、当然ながら口臭も結構凄いわけよ。ティンコもいい加減にゲンナリしちゃってね〜。
そんな事にはおばちゃんも慣れてるようでね、右手に唾液をたっぷり付けてさ、シゴクんけどさ。
これが逆手なんだ。逆手。シゴクというよりも刃物を突き刺す手つきなわけ。
少しすると唾が乾くでしょ?摩擦で。蒸発して臭いんだ、これが。緑亀の水槽の臭いに近い。
そんでおばちゃんの顔みると、次の唾を口の中で貯めてるわけだ。まだやるかって感じ。
そんな条件なのに、俺のティンコ、また勃ってきてさ。何だろね?自分でもビックリ。
そしたらおばちゃん、大量の唾をティンコにベッタリ塗りたくって。そしてやおらバックスタイルに構えてさ、こう言うわけ。
「お尻の方に入れていいよ〜、お兄ちゃんの、少し大きいけど、早く〜ぅん」言っとくけどココまで生だぜ?
で一瞬躊躇してると、おばちゃんテメェの肛門にも唾塗ってるわけ。
で、その指をもう一回自分の口に持ってって唾追加してんの。今度は指入れて中にも唾塗ってさ。
不思議なもんで、俺のティンコ、ギンギンになっちゃってさ。肛門に突き刺したよ。メリメリと。
いや、メリメリではなかったな。スポーンって入った。後はガムシャラに腰振って、振って振りまくった。
そんで射精した。中出し。おばちゃんの絶叫聞きながら果てた。ティンコ抜いたらさ、やっぱ糞がすげえ付着してんだよね。
まだら模様になってんの。で湯気が立ってた。。。

スレに参加するつもりが随分脱線しちゃったなぁ。誰かに話したかったのかな、、フッ、、。


186 :24才:02/03/06 09:51 ID:3E1K97MG
>>184 さんの話と似てるけど、

うちの父は4人兄弟の次男で上に兄姉、下に弟がいます。
うちの父以外の伯父・伯母(父の兄弟)は祖母と実家に同居、
父だけ離れて(と言っても同じ市内)私たちと住んでいます。
家が近いせいか、祖母は週に何回もうちに遊びに来てくれ、
昔ながらの遊びとかたくさんのことを教えてくれました。
小学校に上がる時、お祝いにと祖母は家族から「危ないからダメ」
と反対されていた自転車を買ってくれました!
欲しくて欲しくて嬉しくて乗り回していました。
そんなある時、私は自転車ごと壁に激突し、大ケガをしました。
するとそれを聞いた祖母は「私の買ってやった自転車でケガを
させてしまって・・・」と大泣きしました。
私のせいで転んだのにと申し訳なく思いました。

その祖母が5年前に倒れ、意識不明になりました。
意識が戻ると、脳障害のため痴呆症に・・・。
祖母は誰の顔も、私の顔すら分からなくなっていました。
それから1年後、祖母は亡くなったんですが、祖母が亡くなる
1ヶ月前、父と一緒に祖母の家に遊びに行くと、誰の顔も
分からないはずなのに座ろうとしたうちの父に
「A(父の名前・仮名)、寒いから座布団敷きな。」と
突然話しかけたのです!
心配症の祖母は、兄弟でただ一人離れて暮らしている父が
気がかりだったのでしょう。
私は涙が止まりませんでした(泣
おばあちゃん今までありがとう!

187 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 00:14 ID:UPSk+qTu
>>183
http://yasai.2ch.net/company/kako/975/975110674.html


188 :183:02/03/07 03:58 ID:INe63jkU
>>187
ありがとう

189 :ちくび:02/03/07 16:07 ID:uNbkhoZB
小学生の時、学校で「生い立ちの記」を書くことになって、
先生に子供の頃の写真をたくさん持って来るように言われた。
家に帰って親に「私の写真ある?」と聞くと「当時、家の
ローンを返してたからカメラを買う余裕なかったんだよね。
だからおばあちゃんが持ってたカメラで撮った数枚しかない
よ」と言われて写真を見せてくれた。
本当に少なくて、生まれた日に産婦人科が撮ってくれた小さい
写真1枚、家の前で撮った1才半の写真1枚、幼稚園の餅つき
大会の写真1枚、幼稚園の入園式と卒園式の写真計2枚、
卒園式で卒園証書をもらっているところ(写真屋撮影)1枚の計6枚しかありません・・・。
友達はみんな専用のアルバムに100枚くらいあるのに。

母親に「どうしてウチだけ写真がないの!みんなたくさんあるんだよ!」と怒った時
「ごめんね、でもお父さんとお母さんの目に焼き付けてあるからいいんだよ。」と涙ながらに言われて
私は今までなにをこだわっていたのだろうと自分が恥ずかしくなり、泣きました。





190 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 16:14 ID:RtbTGtNH
いいスレだ
どのエピソードもほろりとします。

191 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 16:15 ID:mF9cdDWs
>189
くぅー私も泣いた…。
だがそのコテハン、チョトイヤー。

192 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 17:35 ID:UfMvbX8o
子供の頃のおやじは、すっごい厳しかった。
食事の時は正座。テレビ禁止。口で言われるより先に手が出る人だった。

糖尿病が悪化して腎臓病に。そして足を切断(壊死してくる)
少しづつ体も気力も弱って行き、昔の父は無くなっていた。
自力での排便ができず、指を入れてだしたりもした。
そんな入院生活が3年続き、俺が18の時に入院先で死んだ。

子供の頃、「あんな父ちゃん死んじゃえ」と思っていたが、
入院中は一日でも長生きして欲しいと思っていた。

叶えられなかったのは、父親が言っていた、
「お前が大人になったら一緒に酒を飲もう」という約束。
酒を飲むと今でもたまに思い出す32歳。

193 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 22:25 ID:j3tlXP4r
>>192
号泣!!

おととし、伯父(父の兄)が末期の喉のガンで亡くなりました。
伯父さんの家(父の実家)が同じ町内だったのでよく遊びに
行きました。
私は子供の頃から偏食で神経質、野菜と果物は大嫌い!好きな食べ物は肉類だけ。
よその家に行くと勧められても食べられない性格でした。
伯父さんはそんな変わりものの私を特にかわいがってくれ、
毎週遠くの有名肉屋に行っては私のために高級ハムを
「OOちゃん食べな〜」と言って買ってきてくれました。
専門学校に合格した時、報告に行くと「受かったの!よかった
ねぇ」と大喜びしてくれ、入学手続きの保証人になってくれました。
その年、祖母(伯父と父の母)が亡くなり、祖母が亡くなった
翌年、伯父が末期ガンと宣告されました。
喉にガンができたため、声帯を取る大手術をし、鼻をつままないと声が出せなくなりました。
私はガンが末期であると知らず、一人で毎日毎日千羽鶴を折りました。
父に病院に持っていってもらうと、伯父は私に2万円をくれました。
→つづく


194 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 22:25 ID:j3tlXP4r
>>192
号泣!!

おととし、伯父(父の兄)が末期の喉のガンで亡くなりました。
伯父さんの家(父の実家)が同じ町内だったのでよく遊びに
行きました。
私は子供の頃から偏食で神経質、野菜と果物は大嫌い!好きな食べ物は肉類だけ。
よその家に行くと勧められても食べられない性格でした。
伯父さんはそんな変わりものの私を特にかわいがってくれ、
毎週遠くの有名肉屋に行っては私のために高級ハムを
「OOちゃん食べな〜」と言って買ってきてくれました。
専門学校に合格した時、報告に行くと「受かったの!よかった
ねぇ」と大喜びしてくれ、入学手続きの保証人になってくれました。
その年、祖母(伯父と父の母)が亡くなり、祖母が亡くなった
翌年、伯父が末期ガンと宣告されました。
喉にガンができたため、声帯を取る大手術をし、鼻をつままないと声が出せなくなりました。
私はガンが末期であると知らず、一人で毎日毎日千羽鶴を折りました。
父に病院に持っていってもらうと、伯父は私に2万円をくれました。
→つづく


195 :193:02/03/07 22:59 ID:j3tlXP4r
↑投稿した時エラーになりましたスイマセン・・・

学校帰りに駅で会うと「お母さんにナイショね」と言って
おこづかいをくれていた伯父。
2万円は入院中の伯父の精一杯の感謝の気持ちだったのだと
思います。
私はお礼が欲しくて鶴をあげたんじゃないのに・・・
それからしばらくして伯父が退院しました。
私はさっそく伯父の家までお見舞いに行くと伯父は手術をして
出なくなってしまった声で一生懸命私に
「OOちゃん、ありがとう!病院で評判になっちゃったよ〜、
丁寧に折ってあるって。ありがとね!」
それが伯父と話した最後の言葉になりました。

春になり、伯父は自分で選んでホスピス(末期と宣告させられ
た人の療養所)に入りました。
そこに入ったらもう二度と生きて家には戻れません。
夏のある日、お見舞い帰りの父から電話があり、
「マクドナルド買ってくけど何がいい?」と言うのです。
ハンバーガーなんか食べたことのない父なのに急におかしいな
と思いました。
父がハンバーガーを買って帰ってきた時「どうしたの急に?」
と聞くと「伯父さんがハンバーガーでも買ってやれって、お金
くれたんだよ」
私は泣きながらハンバーガーを食べました。
その3日後、伯父は亡くなりました。
お線香を上げに家に行くと伯母(父の姉)が「ありがとね、
伯父さんも喜んでるよ」と泣きました。
玄関では、伯父がかわいがっていたインコが鳴いていました。
伯父さんの「ピーちゃん〜おい、ピーちゃん」と呼ぶ声が
聞こえてきそうでした。
ホスピスへ行く日、伯父はどんな気持ちで家を出たのかと思うと今でも涙が止まりません。
伯父にはいくら感謝しても足りません。
春のお彼岸に行くから待っててね!


196 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 23:05 ID:jBPoRiZA
泣く。

197 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/07 23:15 ID:H+Rvm0Hw
俺も泣く。

198 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 01:37 ID:6eQFwCuu
この曲を聞きながら読むともっと泣けますよ!

http://www.asahi-net.or.jp/~qh7y-tym/midi/lib/cavalleria.mid

199 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 09:24 ID:+FkaE44c
伯父さん幸せだね

200 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/08 13:55 ID:/qEBpwX8
200

201 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/09 00:37 ID:8sWSunLb
感動age

202 :「父の親友」:02/03/10 01:35 ID:yC2vuxEX
1年前、父が25年も勤めていた会社を定年退職しました。
その会社の方達が父の送別会をしてくれた日のこと。
夜中、私が寝ていると父が酔って帰ってきたのか、母が
しゃべっている声が聞こえてきました。
どうやら誰かが酔い潰れた父をわざわざ家まで送ってくださっ
たようで、
母「ホラ、あんた酔ってないでしっかりしなさい、靴ぬいで」
父「おらぁ酔っちゃいないよ〜」
母「O村さんすいません〜遠いのにわざわざ送っていただいて」
O村さん「いえいえ、いいんですよ、じゃあこれで」
母「暗いですからどうぞお気をつけて」

酔ってどうしようもない父をO村さんはわざわざ送り届けて
くれたんだ、優しいなとその時は思いました。
その日の朝、母に「昨日、O村さんって人が送ってきてくれた
んだね、いい人だね同僚の人なんでしょ?」と聞くと母は、
「は?O村さんが?知らないよ、昨日お父さんは一人でタクシー
で帰ってきたわよ、それにO村さんって3年前に胃ガンでもう
亡くなってるのよ。」と言いました!
私の夢の中の出来事だったのでしょうか・・・
でも確かに夜中に母はO村さんにお礼を言っていたし。

それからしばらくして朝、父から電話があり、
「家に定期を忘れた、古い手帳にはさまってるからバス停まで
持ってきてくれ」と言うので父の手帳を探しました。
ふと、ページを見るとある日付の所に父の字で、
「O村くん今までご苦労様、安らかに」と書かれていました。
O村さんの命日だったみたいです。
あとで母に聞くと、O村さんは父と1つか2つ年下の同僚で、
とても親しくしており、親友だったそうなんです。
父の送別会の日、O村さんも父の送別会に参加していて、家
まで送ってくれたのかもしれません。
父は本当に幸せだなぁと思いました。

203 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/10 02:18 ID:oSSLdksX
>>202
オカルトっぽいけど、ホローリくるね。こういうの好き。

204 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/10 14:16 ID:O8c1fVnX
ココ読んで、「北の国から」を借りてきた。
もう、号泣でした。
なんとなく、私は北の国からを見るとやばいです。



205 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/10 14:32 ID:b4mS2nmQ
>>195
涙がでます。

206 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/10 18:40 ID:kkrxa7QZ
5年くらい前に、うちで10年飼っていた犬が亡くなりました。
動物専用の火葬場で火葬してもらっている時、「もう動物は一切飼わない!
死んだ時にかわいそうだ」と私たちの前で言ったのです。

それから半年後、私はハムスターを飼って父にひどく怒られました。
動物好きの父でしたが、ネズミ系は苦手なのです。
それに、死んだらかわいそう・・・。
私がハムスターを抱いたりしていると父は文句を言い、最初はかわいがろうともしませんでした。
でも、だんだん芸を覚えるようになると「こいつネズミなのに芸もするよ、
すごいよ、昔のネズミはこうはいかなかった、頭いいもんだな〜」と、かわいがり始めました。
ですがやはりハムスター、どんなにかわいがっても短い寿命に代わりありません。
2才を目前にした夏の夜、老衰で死んでしまいました。
ハムスターが死んだ朝、父はハムスターの遺体の前にお線香をあげて手を合わせて
「生まれ変わったらまたウチに来るんだよ、そうしたら○○子(私の名前)にかわいがってもらいなさい、さようなら今までありがとう」と、
今まで家族の前で涙ひとつ見せたことのない父が泣きながら言ったのです。
愛犬の死後、あんなに動物を飼うことを反対していた父なのに。
愛犬を亡くしてから心に大きな穴が開いてしまった私たち家族でしたが、また動物に救われました。
今も思い出してもうるうるきてしまいます。

207 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 03:14 ID:qJIzU9GL
age

208 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 03:30 ID:ti5ou1SD
去年家族3人で焼肉食いに行ったときの話。
「昔は外食っつーとうどんかラーメンくらいしかいかなかったのに、出世したね(笑)」と
私が冗談まじりに言うと、母が「昔はそんな余裕なかったんよ」とぽつり。
父が「んなもん毎日の生活に必死で、そんな余裕あるかいな」。

そうやなぁ…娘2人の養育費に、家のローン、母も毎日フルタイムで働く日々。
父も3交代のきついローテーションで仕事してたし。
それが今みんな手が離れて、やっと外食の一つでも楽しめるようになったんだもんなぁ…
しみじみと父と母のありがたみを感じたよ。
このエピソードを結婚式の「娘から母への手紙」コーナーで話しながら
恥ずかしながら号泣しちゃったよ。

209 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 05:10 ID:+TvPxrka
俺今カゼ引いてて、ただでさえ鼻水じょろじょろだったのに、
このスレ見て涙ボロボロ流れて鼻水は余計に大変なことになっちまったよ。
冗談抜きでティッシュ一箱使っちまった。
鼻のかみ過ぎで、鼻の周りがズキズキする…。

ところで、母親は我が子の危機を察知する能力があるのかなぁ。
俺一人暮らししてるんだけど、病気や怪我をした時には教えたわけでもないのに
必ず母から電話が掛かってくるんだよ。「元気してるかい?」って。
今回もアパートの部屋で一人ぐったりしてるところに母から電話が掛かってきて。
一人暮らしで病気するとさ、なんか心細いでしょ。
そういう時に母から電話が掛かってくると、なんかすごく安心しちゃうのね。
なんかさ、あったか〜い声してるんだよ。

こんなことを人に言うと「いい年こいて、マザコンか?」とか言われそうなんで、
これはここだけの秘密です。

210 :209:02/03/12 05:25 ID:+TvPxrka
なんか全然どうでもいい話だったね…スマソ

211 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 12:15 ID:8Q0Hwh6P
>>209
いえいえ、感動させてもらいました(涙

212 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 12:27 ID:TjzHPzGB
>>209 わかるわかるー、うちは長女の私にすごく両親とも
厳しくて、弟たちは許されることでも私は叱られたりして、
「私の事はかわいくないのかな」とも思ってました。
ひとり暮らしをするようになって親のほうからちょくちょく電話が
かかってくるようになり、いつも話の内容は「ごはんは食べてるのか、
仕事はきつくないか、彼氏とはケンカしてないか…」
去年の夏、ひどい風邪で倒れていたところ、父から電話。
「う〜〜ちょっと具合悪い…死にそ〜」と言って(半分本気半分冗談)
電話切ったら、翌日だるいカラダを押して会社に行こうと駅に向かうと
な、なんと駅に母と弟が。父に差し向けられたらしいです。朝イチの
新幹線で来たとの事。
母いわく「あんたねっ!!あんたが死にそうなんて言ったらお父さん、
一晩中眠れなくなるような人なんだからね!」
ほろりというよりその場でワンワン泣きそうになっちゃった。

213 :554:02/03/12 12:38 ID:oPf/6eIA
>>212
うううう、もらい泣き。
>>209
いやいや、一人暮ししたことある人なら
その気持ちよく分かるよ。いくつになっても親は大事だし特別。

214 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 13:33 ID:jH4LAKQ7
工房の頃、母が「一番上が○○(私)でよかった。男の子だったら今頃口もきいてくれない」
と言ってくれた事。
服だの靴だの金はかかるし、勉強は出来ないし、手伝いもしなかったのに。
女の子でよかったという意味かも知れないけど、嬉しかったよ。


215 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 13:50 ID:+g1PgJfA
>209
オカ板に以前、かあちゃんはエスパー??みたいなタイトルのスレがあったよ。
母は偉大だとしみじみします。

216 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 18:29 ID:Z+IOEZVc
父と母の話ですが。
私は学生の頃、ある腸の病気になってしまい、
卒業後も体調が悪くて思うように働けませんでした。
悪いことは重なるもので父も定年になり会社を退職し、我が家
の収入は一気に減ってしまいました。
体調の悪くて働けない私を見た父は私に
「お前、履歴書持ってるか?1枚か2枚くれ」
父は定年になってもまだ私の為に働こうとしていたのでした。
持っていた履歴書を渡すと「こんなの書くの30年振りだよ」
と言いながら一生懸命に履歴書を書く父を見て私は両親に申し
分けない気持ちでいっぱいになり、涙が出ました。
定年になった父には本当は、今までご苦労様って言わないと
いけないのに、履歴書を書かせてしまって...。
それからしばらくして私が両親に
「働けなくてごめんね、体調が良くなったらきっと働いて
返すから」と言うと父と母は涙で目を真っ赤にさせて、
父「何言ってんだ、お前が毎日家で留守番しててくれるから
安心して働きに行けるんだよ」
母「だから病気をゆっくり治しなさいね、仕事なんかその次で
いいんだから、そんなこと心配しないの!」
>213さんの言うように、両親は偉大ですね。
私はこれから両親にたくさん親孝行していきたいと思います。

217 :ナミダ−:02/03/12 18:42 ID:+SnIF5cR
パパンとママンの言うとおりだね
元気な姿を見せるのが一番の親孝行!


218 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 20:03 ID:PgaliGqN
アメリカに留学する時,空港で母が今にも泣きそうな切ない顔してた.
こっちに来て一週間ほど経ってから始めて電話した時もうバレバレな位泣いてた.
こっちは生活が合わなくて大変で愚痴る為に電話したんだけど
逆に向こうの感情をぶつけられてすごく嫌だった.
どっちが親かわかんないじゃんって思ってた.
それからはこっちからは殆ど電話してないし来ても邪険にしてた時もあった.
でもここ読んでそんな子供じゃいけないって思ったよ.
子供の頃マザコンだったし母親にとっても俺が生きがいなんだろうから.
明日にでも電話してみようかな. と思いました.

219 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 20:21 ID:xSWJvpng
結婚して親のありがたみが分りました。
私は仕事の都合で週末になるとよく実家に泊まるのですが、毎週必ずというわけ
ではないので、父親が『今週は帰ってくるのか?』と確認の電話をくれて、
『帰ってくるならご飯の用意するし』と言ってくれます。
父親は料理好きなのでいつもおいしい物を作ってくれて、『ダンナにも持って行ってあげなさい』
といってお土産までくれます。

自分でご飯を作るようになって、大変さが分ったし自分はいつも親に甘えていたんだなって
すごく感じました。今でも甘えていてほんとにスミマセンと思います。

220 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 21:16 ID:q3nZ/7fA
思い出ではないんだけど、この前知った事実。

うちの母はケーキなどの甘いものが嫌いだとずっと思ってたんだけど、
本当はとても好きだったらしい。でも私達が子供の頃はお金がなくて
ケーキ二つを買うだけで精一杯だった。(うちは母・姉・私の母子家庭)
そうして我慢しているうちに年をとり、
今では食べたくても胃が受けつけなくなってしまった。
そんな親心を全然わかってなかった幼い私は、
ケーキが食べたくなると、保育園の帰りの自転車の上で
「おかあさん、きょうはケーキやさんしまってるんだよね、もうないんだよね」と
まわりくどく母に催促していたらしい。ゴメンね、お母さん。ありがとうお母さん。

221 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/12 21:24 ID:q3nZ/7fA
ここに書きこんでホロリとしてたら、
当の母から「パソコンもたいがいにせんねっ!」と怒られました。(`ε´

222 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 01:37 ID:aDJ142KQ
参観日の思い出・・・

友達「おい関口ィ、お前んちの母ちゃん来てる?」
ぼく「・・・ん。アレ・・」
友達「婆さんジャン!!ゲラゲラ・・」
ぼく「・・・ん・・今日、母さん仕事だから婆ちゃんが来たの」

ぼくは母さんが43歳のとき生まれたので。
ホローリ?

223 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 02:02 ID:LFtrYjv7
私が大学2年の冬休み、4歳年下の弟は学校でイジメに遭い、数年間
引き篭もって、鬱状態になっていた。
母は持病の気管支拡張症が悪化し、「非定型コウサン菌」(字がよく分からん)
という菌にやられてしまい、入退院を繰り返していた。

母が入院中のある日、私はケーキを焼いて
「一緒に食べよう」と弟の部屋へ持っていった。弟は
「姉ちゃんのケーキはうまいなあ」と嬉しそうに食べた。
食べ終わってから、ポツリと
「お母さん死んだらどうしよう」と言った。
「大丈夫だよ、死ぬような病気じゃないよ」と私が言うと、弟は
「俺、怖いんだ。いつかお父さんもお母さんも死んじゃったら
俺どうしたらいいんだろう。俺がいたら姉ちゃんだって結婚の条件悪くなるよ」

この言葉には驚いた。
元々ちょっとボーっとしたところのある弟で、しかも鬱で精神科に通っている状態で、
まさか私の将来のことを心配してるとは夢にも思わなかったのだ。
自分のことだけで苦しいだろうに。

224 :223:02/03/13 02:03 ID:LFtrYjv7
「そんなこと気にするような男は最初からお断りだから大丈夫!
それにきっと治るよ。もっと食べて、元気だしな」
と言ってもう一個ケーキを薦めると、弟は
「姉ちゃんはいい人だな。
うちはお父さんもお母さんもいい人だし、姉ちゃんもいい人だし、
俺さえいなければ、うちはいい家族なのにな」
と言いながらケーキを食べた。
それに対して自分がなんと返事をしたのかは覚えてない。
バーカ、変なことばっかり言うんじゃないよ、とか、そんな返事だったと思う。

それから一週間後、私がバイトに行ってる間に、弟は飛び降り自殺した。
助けられなかった。
もういちどチャンスを与えて貰えたら、どんなことでもするのに。
一緒にケーキを食べたときのことは、10年経った今でもしょっちゅう夢に見る。


225 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 03:46 ID:gxpTKjc8
頼む、ネタだと言ってくれ>223.224

226 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 03:51 ID:LmJKAAOE
>225
あぁ。私もなんてレスしたらいいかわかんなかったよ。。。。。

227 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 05:15 ID:3K3r4Txh
父方の祖父は、父が生後6ヶ月の時に亡くなりました。
享年28歳でした。

だから私の父は自分の父親を覚えていないし、
当然、私もお祖父さんにあたる人のことを知りません。

この前、金庫の中の祖父の遺品を整理していたら、
祖父が25歳くらいの時に書いた日記が出てきました。
猫が大好きで、飼い猫の病死に泣き、「夜中に想出しては嗚咽してゐる。」と書いた祖父。
山菜蕎麦が好きだった祖父。
絵が得意で戦争中の飛行機のスケッチを残していた祖父。
25歳の肺病を病んだ青年の姿が、急に現実感を伴ってに目の前に浮かびました。

私も今、絵を描いて、猫を飼って暮らしている。
見知らぬ人なのに、この人の血は私の中に流れているのだ。と思いました。

早死にの家系なのか、父も51歳の若さで死にました。
今頃は天国で自分より若いお父さんに会っているのかな。


228 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 05:20 ID:3K3r4Txh
父の思い出も書きたくなったので書かせて下さい。
誰かに話すようなことじゃないけど、どこかに残しておきたくて…。

大学院一年目の時、4年間付き合っていた彼氏と別れた。
私はすっかり鬱になって痩せた。でも気力で学校行って勉強していた。
母親には彼氏と別れたことを告げてあったけど、父親には黙っていた。
なにしろ学校を出たらケコーンするつもりで、両親に紹介ずみだったし、心配かけそうで
言いにくかったのだ。
でも、ある日私の留守中に母親が話してしまった。実は私は失恋したのだが、頑張って平常通り過ごしているのだと…。
驚くことに、父は涙をボロボロこぼして、「〇〇(←私)が可哀想だ。」と号泣したそうだ。
娘の失恋に父親が泣き出すとは。
私はその気持ちが嬉しかったのに、「パパやママが悲しむのはやめて!
こういうのは仕方がないことなんだよ!私が普通にしているのにやめてよ!」と怒ってしまった。

そんな父も五年前に他界。
パパ、花嫁姿を見せてあげられなくて本当にごめんなさい。
それから心配してくれたのに怒ってごめんなさい。
でも、パパが泣くほど心配した娘は、素晴らしい人と知り合って、
幸せなお付き合いをしています。生きてるうちにパパを安心させたかったよ。ごめんね。
これからも天国から見守って下さい。


229 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 06:00 ID:gxpTKjc8
ううう・・っっ、みんな、もうやめてくれ、鼻が赤い..

230 ::02/03/13 12:40 ID:9DN4mk9h
みなさん、ここにある体験談の中でいちばん泣けたのは
どれですか?
その記事番号を挙げてください。

ちなみに私は>>193-194さんの話です。

231 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 12:49 ID:lXxLq1+g
>230
ガイシュツだと思うんだけど、書き込んでくれた人たち、
みんな一人一人それぞれの家族との思い出なのです。
どれが一番とか、そういう無粋なことは辞めましょう。

232 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 15:34 ID:raQNMX4D
たいした話ではないのですが書かさせてください。

私は産まれてすぐに近所にある母の実家に預けられました。
家が狭かったので、母は家から実家に通って私の面倒を見る事にしていました。
そのため母は父と二人で産院から家に帰りました。家には私の兄二人が待っていて、
私が来るのを楽しみにしていたようです。でも私の姿は見えません。
兄は心配して、『○○は何処?』と聞くと父はふざけて、『よその家にあげちゃった』
と言ったところ、『お父さんのバカーー!!』と言って号泣したそうです。

大人になってからこの話を聞いてチョット泣けました。たまに「私が死んでも誰も
悲しまないだろうな。」と考えることがあるけど、この話を思い出すと「私が産まれる事を
楽しみに待っていてくれた人がいたんだな〜、こんな私でも心配してくれる人がいるんだ。」
と励まされます。


233 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 19:36 ID:raQNMX4D
良スレあげ

234 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/13 22:19 ID:0GvnINgn
この板 涙が止まりません。塩水でPC壊れるのでは…
 私も家族との思い出はたくさんありますが、最近泣けてきたのは、手紙です。
本州から北海道の大学にいった私は、初めて親元を離れて寮暮らし。すっごく寂しくて
て、毎日「何で私北海道なんかに来たんだろ…」と寂しい気持ちで一杯でした。
そんな私を励ましてくれたのは、母や祖父からなどの手紙でした。
「一日寝る前によかったことを思い出してみれば楽しくなるし、あなたのことだから
大丈夫!きっと楽しい大学生活になりますよ。お母さんはあなたを遠くから応援
してます!ガンバッテ!」
「おじいちゃんはみぎめがみえないし、もうじもかきにくくなっているけど、
。○○、がんばってね。」
 そんな手紙たちが届くと毎日ひっそりと嗚咽してました。
今では一人暮らしも、大学生活も楽しんでます。これもどれもお父さんや、お母さん、
おじいちゃんやおばあちゃんのおかげです。ほんっとうに、こころから、ありがとう。
就職活動、がんばって内定もらって働いたら、みんなに何かあげたいよ。
今でも手紙見ると泣いちゃいます。

235 :223・224さんへ:02/03/13 22:34 ID:u2PqJUFm
鬱で自殺する人は、誰にも止められない。
しょうがないけど、それが現実。
いくら、ガンの人を一生懸命看病しても、ガンで死ぬ人は止められない。
病気だから。

それと同じ。
自分の命を自分で絶ってしまうほど精神が追い詰められたように思えてしまう
のが、鬱って言う病気です。
だからね、病気なんだよ。しょうがないんだよ。

お姉さんに出来る事は、いつまでも忘れないでいてあげる事です。
どんな形でも、思い出してあげること。
年に一度でもいいから、思い出してあげれば、良いんです。



236 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 01:17 ID:JS/wlN6k
母親から電話があって
「1時間もかけてメール送ったよ、ちゃんと届いた?今すぐ見て!!」
と急かされ、面倒くさいけど見てみた
たった2行、俺の健康を気遣う文面。
「言う」が「ゆう」になっていたり、句点「。」が「.」になってたりして
「やっぱ母ちゃんアホだなぁ」と呟きながらなぜか涙がこぼれた

237 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 01:19 ID:okZHArIp
>>236
どうかどうか、親孝行してあげてください・・・。
私のように、満足に親孝行出来ない内に、親が逝ってしまわぬように・・・。

238 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 01:25 ID:vhTM7aQb
ああ、もうやだ。膝の上にティッシュの山が……。

239 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 02:11 ID:W3onojWN
大きなエピソードじゃなく、日常の風景なのだけど。
私は強情でめったに泣かない子供だったけど、
それでも何かを母に話しながら涙声になってしまった時の
「あらあら、どうしたの」という母の独特の声音。
無条件の愛情を感じるあの声音を思い出すとホローリ。

っていうか先日何年かぶりにそれを聞いた。いい年して情けないけど…。

240 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 02:21 ID:7Zi1teBY
あ、ちょっと上にクソ女発見。

241 :コピペ:02/03/14 02:23 ID:srzU5OwT
5年程前、実家のゲーム好きの母親が急病で亡くなった。
葬式を済ませ、四十九日を迎えて姉が俺にくれた
「ワンダープロジェクトJ」。

自分の住まいに戻って、電源を入れると
育ての親が母親の名、ロボットに俺の名前でデータが
残っていた。

母親の死に立ち直れなかったのもあって、声出して泣いた。

242 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 02:24 ID:FRH9Ohvy
いいなあ…。あたしは泣き虫で、よく母に、「よくそんなに涙が出るねえ」
ってからかわれてた。でも、もう泣いてもいってくれないよ…。

243 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 02:34 ID:Hnx5iGAB
>>242
あなたの書き込み見て、また泣いてしまった…。
私も小さい頃は泣き虫で、母に同じようなことを
言われたよ。母は私が小二の時に病気で他界した。
あれから十数年たつけど、今でもたまに母の膝で
泣きたいと思う時がある。一晩でいいから、昔みたいに
私の頭を撫でながら、辛かったことや悲しかったことを
聞いて欲しい…。

244 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 02:53 ID:d/EUHFMr
3年前に他界したウチの祖父はアルツハイマーだった。
ついさっきの事も忘れてしまう、おもらし、徘徊は序の口。
献身的に介護する祖母や母を尻目に
皆が自分を虐めていると泣き叫び暴れる日々。周囲は本当に辛かった。
正直「もうイヤだ。早くお迎えがくれば」と思うことも多かった。

そんな祖父だったが、ある日私の顔を見て
「おお、もう幼稚園に行く時間かな」とニッコリと言った。
私は父親がいないので、父の代わりに祖父が
毎日私を自転車の後ろに乗せて送り迎えしてくれていたのを
思い出して号泣した。

発病して7年間、大変だったけど
おじいちゃん大好きでした...。

245 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/14 23:10 ID:1k/flPSU
ホローリあげ

246 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/16 03:21 ID:o9KPwVfc
>244
私も祖父もアルツハイマーだった。
田舎に遊びに行くと、「おやおや、かわいい子(24歳なのに小学生と思っていたようで)が
いるね、どこの子かな?夜になっちゃったから、泊まっていきなさいね〜」と言ってくれた。
そのたび、「うん、じゃあ泊まっていくね」というとすっごいニコニコして喜んでくれた。

お葬式の日は雨だった。納骨しようと葬式会場(田舎なので自宅)から裏の庭のお墓に
納骨しようと皆が外にでた時、急に晴れてきて、一筋の光りがさしてきた。
ああ、お迎えが無事にきたって安心したよ。
次の年、追いかけるように祖母も亡くなったけど、あんまり間をあけないで亡くなって
よかったね、って思った。(不謹慎、って親には怒られちゃったけど私は本気でそう思ったんで)

今ごろ仲良く天国で畑仕事でもしているかな。だったらうれしいな。
私の事もたまには思い出してね。
私もかわいがってもらって幸せだったな、ってよく思い出してるよ。

247 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/16 03:52 ID:???
うちの親はそういう情をあまり見せない人だったから
そういう思い出って少ないかもしれない。

最近自分が鬱病だということを親にカミングアウトしました。
親は私の話を黙って聞いていましたが手首の傷跡を見て慌てて
私の周りからカッターや鋏などあらゆる刃物を一掃しました。
その時の慌てようとか、その後の折にふれて気遣いとか、
考えるとたまに泣けてきます。
電車の中とか思い出し泣きしてしまいそうになります。
はたから見るとそうホロリな話でもなんでもないんだろうけど
愛されてないんじゃないかと思ってた私にはかなり強力なホロリでした。
まだ思い出にはなりそうもありません。

248 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/16 04:02 ID:???
私の家族の話じゃないけど、
中学3年の時、幼稚園からの幼なじみの子のお母さんが
突然亡くなった。
お通夜はうちの母が手伝いに行き、私は告別式だけ出席した。
その子にはまだ幼稚園生の年の離れた弟がいるんだけど、
出棺の時にその子が棺にしがみついて
「おかあさぁ〜ん!行かないで〜僕を置いていかないで〜
おかあさんなんでしんじゃったんだよ〜またおみそ汁作って
よ〜いい子にするから!」
って泣き叫んで、それを涙をこらえて必死に
「ほら、おかあさんこれから天国いくの、見送ろうね」と
弟を止める同級生の子がかわいそうで、私も大泣きした(泣

249 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/16 11:02 ID:???
248さんのをよんで思い出した。
私の祖父の亡くなったときのこと。
私は6歳、弟は4歳だった。
ガンを患っていて家でずっと闘病しながら亡くなった。
でも子供だから「死」という者が把握できてなかった上に
ちょうど私ははしかにかかっていて隔離されてちゃんと祖父とお別れしたのかも
自分でおぼえてないくらい。
焼却場に皆が行った時も私だけは留守番だった。
葬儀の時って色んな用事もあるし、父も母も親戚の人もばたばたしてて
忙しいですよね。
弟は私と一緒に留守番させた、と母は思っていたらしい。
いよいよ祖父が焼かれる番になった時に
「やめてー!おじいちゃんが焼けちゃうよー!」という弟の叫び声がして
見ると誰が連れてきたのか弟がわんわん泣いていた。
母は幼い子供に見せたくなくて家に置いてきたつもりだったのに
手違いで誰かが弟を連れてきていたのだ。

成人した頃、思い出話として母は涙をこぼしながら話してくれた時、
私も多分子供は置いていこうとするだろうと共感した。
そのことがあったせいなのか、家で飼ってるペットが死んでも
私にはペットの最後の様子や弔ったことなどを教えてくれるのだけど
弟には「ペットが死んだ」というのはいつも時間を置いて
最低でも一月たってから話すようにしていた。
ちょっと思い出したので書いてしまいました。

250 :◆u0p51cCg:02/03/17 05:21 ID:PbKNVeNk
僕の祖父は去年の10月、亡くなった。

糖尿病の為、2日に1度の透析が必要なのに、
祖父の地元(某島)には透析の機械が無い。
どうしても地元で透析を受けたいと、
以前から祖父の地元の病院に透析の機械を設置するように、
島に対し、そういった運動を行ってた。

祖父が糖尿病にかかってからずっと僕の地元の街に住んでた。もう10年近く。
それはもう10年間同居してたのと同じようなことで、じいちゃんには色々お世話になった。
自然と僕は「おじいちゃん子」になってた。

去年、ようやく島に透析の機械が設置されたという吉報が舞い込んだ。
もちろん家族全員喜んだ。「これでやっと島で透析受けれるね!!」って。
免許を取ったばっかりの僕に祖父は
「○○の運転でじいちゃんを島に送っていってくれ」と言った。もちろん承諾し、
祖父も僕も楽しみにしていた。(僕の地元→島 は車で6時間ほどかかる。)
しかし、出発の数日前に祖父は体調不良を訴え、入院した。島に送りに行けなくなった。
その後、体調は治ったんだけど、今度は僕のバイトのせいで行けなくなった。
結局、島への送りは兄がした。 続く↓

251 :250続き ◆u0p51cCg:02/03/17 05:23 ID:PbKNVeNk
無事、祖父は島に着いたものの、やっぱり体調が優れず、島の病院にすぐ入院。
でも念願だった「島での透析」は叶った。
入院中、僕は電話で「バイト休みとってお見舞いに行くからね!!」と約束をした。
その後、祖父はお見舞いに来る親戚に「孫がお見舞いに来るんだ」と嬉しそうに話してたそうだ。
しかしその後、体調不良が原因で病気にかかり、島から僕の地元に搬送され、再度入院。

そして僕がお見舞いに行くと、そこには島に行く前までの元気は無く、かなり痩せていた祖父が居た。
祖父は「○○、じいちゃんはもうすぐあの世逝くけど、兄弟仲良くするんだぞ。お母さんを大切にな。」
と弱弱しく言われた。「そんなこと言っちゃダメだよ、じいちゃん!頑張るんだよ!」と励ましつつ、
僕は久しぶりに人前で大粒の涙を流した。
その一週間後、じいちゃんはこの世を去った。

今までず〜っと気がかりだったことがある。
バイトを休めなかったせいで僕が祖父を島まで送りに行けなかったこと。
祖父自身すごい楽しみにしてたのに。

僕はこの春から大学2年になり、僕の大学は忙しくなる。
よってバイトを辞めることになった。日付的には今日でバイトは最後。
大学が始まるまで少し余裕が出来たので、月曜から3日くらい島に行ってくる。
祖父の写真と共に。
「これでやっとじいちゃんを島まで送れる」と今日思った。

>>249サンの話で祖父のことを思い出したので…。長文&駄文スイマセン。

252 :250 ◆u0p51cCg:02/03/17 05:30 ID:???
うわ、ホント長いっすねw
初めて、書き込みで「本文が長すぎます」ってエラーになったw
自分で読むのもめんどく感じる…。しかも微妙にスレ違い!?スマソ、逝って来ます。

253 ::02/03/19 21:32 ID:rraVXu2Y
ageます。ウルウルウル

254 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 22:34 ID:Kx6evgyo
俺は今、15歳の男です。

父親と仲が悪く、家出をすることも珍しくはありませんでした。
そして、いつものように喧嘩をして家をでていきました。
その日は、昼は晴れていたのですが、夕方頃から雨が降り始め気温も
下がってきました。
僕は、雨をしのげる場所を探し、暗い夜道を歩いていました。
そして、ようやく見つけそこで寝ようとしたのですが、あまりにも寒く
よく2ちゃんねるで見かける、ガクガクブルブルのような状態でした。

寒かった為に、ほとんど眠れず明け方になりました。
雨に濡れていた為、風邪を引いたようで頭も痛かった為、家に帰ることにして、家路を急ぎました。(情けないですが)

家に戻り、鍵を開け、家の中に入りました。
3階の自分の部屋に行き、1階の母の部屋を見たのですが姿がありませんでした。

255 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 22:34 ID:Kx6evgyo
どうしたのかと思い、祖母に電話をしても(年寄りなので早起きです)でなかったのですが、自分でも信じられない程落ち着いていて、風邪薬を飲みそのまま寝てしまいました。

2時間後くらいに目が覚めると母親が朝御飯をつくっていました。
「なんでいなかったの?」と聞くと「近藤さん(友達の母親)の家に行っていたの」と言われました。
息子が家出してんのに、随分と冷たい母親だなと思い祖母の家に行き、真っ先にその事を話しました。
すると、「何言ってるの?お母さんはおばあちゃんと一緒にあんたを探してたのよ」
と言われました。
話を聞くと、一晩中、二人で俺の事を捜しまわっていてくれたそうです。
この事を聞き、母親の愛情と祖母の愛情が深く、深く、分かったような気がします。

弟と、父親は寝ていました。この二人は性格が似ています。
俺は、母親に性格が似ていて良かったと思っています

256 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/19 23:04 ID:???
ばあちゃん、イィ

257 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 00:38 ID:.nDResfY
age

258 :名無しさん:02/03/20 01:42 ID:KFFeuWp.
少し今の自分はパチンコにのめり込んで土日はほとんどパチンコ屋に行っていた。
久しぶりに実家に帰ると両親が「食費の足しにしな」と四つ折りの5千円札をくれた。
そのときはパチンコの軍資金が増えたと喜んでいた自分だったが、パチンコ屋で
そのお金を両替しようとした時にお金を渡してくれた親の顔が浮かび
なんて俺はバカなんだろうって思った。

こんな重たい金、使えないよ。

パチンコを止めた今、
自分の財布の中にはしわくちゃになった四つ折りの5千円札が未だ入っている。

259 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 02:35 ID:PmTa65Rg
「北の国から」で純が上京するときに父さんから渡された
泥のついた2万円を見て涙するシーンを思い出した。

260 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 02:41 ID:???
なんであんなこといったんだろ

261 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 08:37 ID:???
たいした話ではないかもしれないけど・・・。
私が三人目の子供を妊娠した時、それまでにないほどつわりがきつく
旦那にも薦められて実家で暫くゆっくりすることになった。
私は大学進学の時に家を出てからそのままそこで結婚してしまったうえ、
思春期の頃から父親とどうにも話をする事もあまりなかった。
その年頃にありがちな事だったかもしれない。
クチを開けば説教が多かったし、話も長くてウザかったし。
でも子供が生まれたら見たことがないくらいジジバカで無茶苦茶可愛がってくれていた。

その時はつわりで気分が悪くて「食べる」なんて考えたら胸がムカムカしてしんどくて
布団に横になってた。
すると父が部屋に入ってきて「これ」と黙って渡してくれた。
見たら板チョコが二枚。
気分が悪い時にチョコレートなんて見るだけで気分が悪くなってしまったけど
「ありがとう」と受け取った。
「あっちで@@(子供の名前)達といるからな」と言うと部屋を出て言った。
その時は食べられなかったけど、私はチョコレート中毒じゃないかと思うくらい
チョコレートが大好きで、よく家でも食べまくってた。
普段はこんなことしない父なんだけど、私が食事ができずにしんどそうに見えたので
好物のチョコなら食べられると思ったんだろう。
甘い物なんて嫌いな父がどんな顔して買いにいったんだろうか・・・。
あとで母が「お父さんは女の人の身体の事なんてわからないひとなんだよね。」と
私にお茶を入れてくれたときに少し呆れたような顔で話して
私も母とくすくす笑ってたけど、涙がちょっとの間止まらなかった。
しんどかったけど一欠けらでもクチに入れなきゃいけないと思って
無理やり食べたよ。
甘い物嫌いだった父も病気をしてから嗜好が変わって
今では娘が送ったバレンタインのチョコを喜んでばりばり食べるようになっちゃった。

262 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 14:40 ID:Q3/4obeE
みなさん、心が洗われるような話ばかりです。

うちの母が一昨年、上京してきまして、一人暮らしの
私のところに遊びにきました。高校卒業後、即上京した
私はゆっくり母とどこかに二人で遊びにいく、という
ことがなかったので取り合えず、カフェや(笑)、デパート
へ行ったりしてぶらぶらしました。ふと「そういえばお母さんと
映画見たことない」と思い(父とはあるんですが)、
池袋で映画を見ました。ただ、うちの母は首がちょっと難ありでして
体調悪いときは首にコルセットをしているので映画館の狭い座席じゃ
つらいかなと思い、「ちょっと待ってて」と言ってハンズに行って
飛行機内などで使うエアピロー?(あのクビにかけて背もたれにより
かかれるマクラ)を買ってきました。んで映映画館に入り、母の首に
それをかけて映画を見始めました。首からマクラがずれないように座席の
後ろから手をまわして母の頭を軽く支えながら。

映画が終わってあかりが点くと母がぽろぽろ泣いていました。
そんなに泣くような映画でもないなぁと思ったんで「何どうしたの?」
と聞いたら「…あんた、こんな優しい子に育ってくれて…頭ずっと
支えてて…」私もちょっと泣きそうになりましたがぐっとこらえて
「なーに、私も大人になったってことよ!」とごまかしました。

親がやさしくするのって当たり前って思っているけど、親って
子供がちょっと優しくするだけでこんなに感激するのかなぁと
ちょっと感動しました。

263 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 16:31 ID:???
こんなスレがあるとは。。
しかし、ここ仕事中に読むところじゃないなぁー。
涙でにじんで、所長の行き先掲示板が読めねー。。。
おうちに帰って、飲みながら、じっくり読んで泣こう。。。

264 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/20 19:26 ID:???
数年前の受験の時に父がここ逝けって言ってたのに蹴って商業高校逝った事
父が嫌いだったし、親不孝したことには後悔してないけど学校生活はつまらんかった
父が逝けって言ったとこ逝けば良かったとホローリ

265 :れおーね:02/03/21 19:16 ID:sw12z7Z.
父は酒が好きで(肝臓いためるくらいスキ)
家でもほぼ毎日晩酌していた。
野球を見ながら、枝豆をあてに、瓶ビール。
無口な人なのに飲むと上機嫌で、同じ話を繰り返し、
夜も遅くなると半分眠りながらでも、一人しゃべっていた。
機嫌が悪いと絡んでくる事もあったので、誰も相手をせず、
子供はそれぞれテレビを見たり、母は家事をしていた。
私が二十歳になる前、妹は高校生だったと思う、ある日、
そんなに酔っている風でもない父は、
ちょっと嬉しそうに頂き物の安物ウイスキーを出してきた。
どうしたんだろうと見ていると、薄めの水割りを三つ作り、
何も言わず、私と妹に渡した。

266 :reo-ne:02/03/21 19:17 ID:sw12z7Z.
「まずー」
カクテル系やビールしか飲めなかった私にしたら、味気なく、
一口飲んで思わずこう言ってしまった。
「うわ、ほんまにまずー」
妹も同じように言い、私たち二人はそれ以上口をつけなかった。
父はその後、一人でテレビを見ながら、枝豆をあてに、
自分で作った3杯を黙って飲んでいた。
もう少し待ってくれたら、私も妹も弟も、
ビールだろうがウイスキーだろうが、
少々の酒なら酔いつぶれることなく、晩酌にも付き合えたのに、
私達がお酒の味がわかる前に、亡くなってしまった。
私は未だにウイスキーは好きにはなれないが、きっと父も同じだったと思う。
そんな父がせっかく作ってくれたのに、と、
ウイスキーを飲む機会があると、今でも切ない気持ちになることがある。

267 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/21 19:38 ID:???
家族はいません(シクシク

268 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 01:46 ID:FXEff0HI
父を交通事故で亡くした。
49日間、お墓に通ってお経を唱えていたが、
その間必ずアオカエルがいた。
この間、あるつらいことにあい、死んでしまいたくなったときに、
父のお墓にフラリと立ち寄った時、なんとアオカエルがいた。
その後も何度も遭遇し、見守っていてくれてると確信している。
お父さんアリガトウ。
4人兄弟みんな、大きくなったよ。
いつも守っていてくれて感謝しています。

269 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 02:21 ID:p.Vodh2M
俺が高校生の頃、深夜バイトやってて帰ってくるのいつも深夜3:00位だった。
母親はいつも俺が帰ってくるまで起きてて、俺はその事が、過保護すぎると思って
ちょっと嫌だった。
ある晩、いつものように遅くに帰ってくると母親が深刻そうな顔してこう言った。
「高校生なのにこんなに深夜に帰ってきて、勉強もできないからもっと早めに帰ってこれるように店長に言いなよ。」
俺はその言葉が非常にムカついて(過保護が嫌いだったから)つい「うるせぇ!」と言って
側にあった雑誌を母親に向かっておもいっきし投げつけた。
痛がっている母親を無視して「早く寝ろ!」と怒鳴った。
母親は何も言わず、部屋を出て行きトイレに入った。
俺が風呂に入ろうとしてトイレの横を通ると、中から母親のすすり泣きが聞こえた。

子供の前では泣いた姿をみせまいと思う気持ちと、それ程俺を心配してくれてた気持ちを考えて
俺は涙が出てきた。
で、トイレの前で泣きながら座り込んで、母親が出てきた時に土下座して「ごめんなさい」と謝った。

今でも母親の「いいのよ・・・。お母さんも言い過ぎた・」という言葉を忘れない。

270 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 13:38 ID:rDSycePA
いつ読んでも涙がでる・・・
初めて「ホローリ」を読んだ頃から考えると
親と話をする機会が増えたと思う。
心から感謝です。

271 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 18:27 ID:7OvFtLII
さっき、親を煩わしいと思ってしまったばっかりだけど・・・
ここを読むと、親に優しくしよう!と心から思うよ。
親が元気で、生きてる。それって「当たり前」のことじゃないんだよね
今、私はすごく幸せな環境なんだ。

272 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 18:46 ID:OzLxObWk
私がまだ高校生だったとき、お風呂上りにバスタオル体に巻いて居間を通り抜けたんです。
その時父に呼び止められて、「なぁに?」と振り向いたとき…
バスタオルが解けて落ちてしまったんです。

思い出してポロリする家族との思い出

273 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 18:53 ID:???
>>272
ばか(笑)
上から涙ぐみながら読んできて、あなたでボロリと
笑い泣きになっちゃったよ(笑)

274 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 19:31 ID:jNE5kFOY
歳が10歳はなれた姉がいます。
私が3,4歳位のことだと思うんだけど、姉におんぶされて
近所の盆踊りかなんかに連れて行かれた記憶がある。
夜店も出ていて「あれ欲しい。」とかなんとか言った覚えがある。
姉は「お金ないから後でお母さんと一緒になってからね。」
と言ってただ盆踊りや店を眺めてただけだったような。
しばらくして家へ戻ったんだけど中へは入らず
姉は外から居間の中を窓越しに窺ってた。
父と母の怒鳴り声が時々聞こえて、また暗闇の中を戻って行った・・
という記憶がある。
祭りの夜に親が喧嘩を始めたので姉は私を連れて逃げ出したみたい。
両親は今でも仲が悪くていいかげん慣れたけど
その時の私はまだなんだかよく物事がわかってなかった。
そんな小さい私を家から連れ出して、まだ少女って言っても良い年齢だった
その時の姉の気持ちを思うとどんなんだったんだろうとホロリとくる。

275 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/22 20:17 ID:QS6Hzdqo
スレ脱出
。    ∧_∧。゚
 ゚  (゚ ´Д`゚ )っ゚
  (つ   /
    |  (⌒)
   し⌒^  

276 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 12:32 ID:X6MJwAzg
age

277 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 13:52 ID:Mtkvs2mg
>>269
母ちゃん大事にしろ〜
>>274
姉ちゃん大事にしろ〜

278 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 14:01 ID:???
ムナクソわりぃスレだな、きっと偽善者どもの集まりなんだろうな。

279 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 14:25 ID:???
>278
読んでいて不覚にもついホロリとしちゃったんだね
ほんとにムナクソ悪かったらカキコミすらしないもんね
ホロリとするのは恥ずかしいことじゃないんだよぉ〜

280 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 18:53 ID:???
マジ泣きage

281 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 19:38 ID:ijSZ/jNE
このスレ、ホローリどころか号泣だよ!!
ティッシュ何枚あっても足りないよ! ウワァァァァァァン!!! ヽ(`Д´)ノ

282 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/25 21:23 ID:mNltw3jM
この前じいちゃんの家に行ってきた。
下宿してるからいいもの食べさせてやろうってことなんだろうけど
あんなに食べれないよ。
でもありがとう。
休みになったら必ず行きます。

283 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 03:31 ID:bLs6IMCY
以前、父方の田舎に帰ったときのこと。もうじいさまは既に他界してばあさま一人で
住んでる、四国の田舎。色々あって仕事をやめてくたびれ果てて帰省した。
ばあさまが一冊のノートを持ってきた。とても、古いノート。筆で「○○(漏れの名前)」
それは、漏れが生まれる少し前から生まれて幼稚園に通うまでの、ばあさまの日記だった。
漏れが生まれた日は記録的な大雪だったこと。
死んだ母方のじいさまは5メートルの長さの廊下に「孫が寒がるといかんから」と5つも
ストーブを置いて家中あっためようとしたこと。
死んだ父方のじいさまは大好きな酒を減らして赤ちゃん用品を山ほど買ったこと。
共働きの両親は片道2時間の実家に漏れを預けて毎日そこから出勤してたこと。
どうしても漏れの面倒を見きれないときは親戚が交代で面倒を見てくれていたこと。
漏れの将来について一晩中話し合ったこと。(学校の先生にしたかったらしい)

284 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 03:32 ID:bLs6IMCY
毎日欠かすことなく、ばあさまの日記は綴られていた。
・・・本日、一層寒く、爺は○○が風邪でもひかぬかと気が気でない様子。父は
爺はちと心配が過ぎる、己が酒量の心配でもしたが良いとたしなめており、それが面白いの
か○○がきゃっきゃと笑い・・・
ああ、俺こんなにも祝福されて生まれてきたんだ。皆の希望だったんだ。
日記を読むまで、気づかなかった。そう思ったら自分が情けなくて、うれしくて、
さびしくて、涙が止まらなかった。家族の大切さが4半世紀生きてきてようやく
わかった。もっとがんばろうって、素直に思った。
長文スマソ

285 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 14:13 ID:SoA3DWUI
じっちゃん・ばっちゃんage

286 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 14:38 ID:ebCC5/vA
2月、父が病気(大腸ガン)で死んだ。
会社勤めのオイラは毎日会社帰りに病院へ・・・

男同士ということもあり、どうでもいいような会話しかきなかった。
父の葬式の後、母親が
「一日中エラくて、寝ていた日もいつもあんたが来る時間になると、
突然起きて、『○○はもうそろそろ来るかな?』『今日は遅いな、事
故にでもあってなければ・・・』って言ってたんだよ!」
と教えてくれた。

たいした話もしてあげれなかったけど、オイラをいつも待っててく
れたんだな、オヤジ・・・

287 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 17:27 ID:CYKHUD6k
父親が転勤の多い仕事をしていたので、小さい頃は2年おきに引越しをしてました。
弟は人あたりもよく明るい性格なので、環境が変わってもすぐに馴染めるのですが
私は人と接するのが苦手だったので、引っ越す先々でいつも苛められたり辛い思いをしていました。
小〜中学校の頃は、それでも自分なりにがんばって学校へ通っていたのですが
高校にあがってからは、とうとう力尽きて学校をほとんど休むようになりました。

母親はそんな私を気遣って「ムリしなくてもいいんだよ」と言ってくれていたのですが
父親は部屋に閉じこもる私が気に入らなかったらしく
毎日のように言い争ったり、時にはつかみ合いの喧嘩をすることもありました。

それでもなんとか高校を卒業して、実家を離れて一人暮らしをしながら専門学校に通って就職。
しばらく働いたけど、未だに人と接するのがニガテなのをひきずってる私は
日に日に溜まっていくストレスに押しつぶされそうになっていました。

そんなある日、出張で私の住んでる街に出てきた父と居酒屋で飲む機会が。
仕事のこととか当り障りのない会話をしていたら、突然父が泣き出したのです。
あまりにも突然だったのでビックリして絶句していたら
「おまえの学生時代、あんなに嫌がっていたのに無理やり学校行かせて、ごめんな」って
何度も何度も謝り始めて。
それまで、父がそんなこと考えていたなんて全然知らなかったら、かなり面食らいました。

それまで、自分がこんな性格になってしまったのも親の責任があるってちょっと恨んだこともあったけど
父の涙を見た瞬間に、なんだかそんな感情吹き飛んじゃった。
あの時、殴られながらも嫌々学校にでてったおかげで
今(なんとか、ギリギリなんだけど)社会生活送れてる私がいるわけだし。
「当時は嫌だったけどさ、父さんがそうしてくれたおかげで今の私がいるんだし。
 ま、いいんじゃないの?」っていうのが精一杯でした。

そのうち、ちゃんとした言葉で気持ち伝えるから。ごめんね、お父さん。

288 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 23:29 ID:uCJKa8zc
年の離れた兄には手を一つあげたことのない父。
だが私には「女だから」といって、眼鏡を吹っ飛ばすほど殴った事もあった。
性格が似すぎていて 衝突することも多かったのかも。
今、遠くの実家の母から父が救急車で運ばれた事を聞いて、連絡待ちです。
・・・また東京にでてきたら優しくするから
このままいっちゃわないでね。父。

289 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/27 23:41 ID:iqh41bsM
1年前に亡くなったおばあちゃん。
晩年は入院ばっかでほとんどお見舞いにも行ってなかった。
最近、日記を見つけて読んでみた。
「○○ちゃん(私です)大学合格!コングラツレーソン!」
なんだよそれ!ツレーソンってなんだよ!…って笑いながら泣けてきた。
今週末お墓参り行ってこようと思う。

290 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 00:05 ID:wzkUrTjI
脳血栓で倒れた祖母は半年ほど入院生活を送った後、なくなりました。
まだ中学生だった私は、すっかりボケて言葉も出なくなり体も動かなくなったという
変わり果てた祖母を見るのが怖くて辛くて、なかなか見舞いに行く気になれませんでした。
母に「たまには顔を見せてやんなさい。もう誰が誰だかもわかんないけど」と説得され、
しぶしぶ病院を尋ねたところ、私が病室に入って行って祖母と目があったとたんに、
祖母が「うわーーーーーーー!!!」と声をたてて泣き出した。その時祖母が食べていた
クッキーはぜんぶ口からこぼれ落ちた。
私も同じぐらい「わーーーー!」と大声をたてて泣き出してしまいました。

291 : :02/03/28 00:09 ID:WKEGiEdM
2年前の春、父が交通事故に遭い、
いつ亡くなってもおかしくない状態になった。

父の会社の人がお見舞いにやってきた時、私の顔を見て
「こちらが御自慢のお嬢さんですかー。
 部長は飲むといつもお嬢さんの話をされるんですよ」と言った。

普段、父が私を誉める事は殆ど無く、むしろ憎まれ口ばかりであったので
あまりに意外で言葉を返す事が出来なかった。

292 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 01:57 ID:VhUs24so
両親と祖父母は、私にやたらと食事を勧めた。
腹は減ってないのか、食べたいものはないのか、あったら何でも言いなさい、何でも食わせてやる、
食べなさい、食べなさい、もういいのか、遠慮するこたない、まだあるから、心配するこたないから・・・
いつもこんな調子だった。
何を遠慮して、何を心配することがあるのか、子供だった私にはさっぱり判らなかった。
両親は食べたくても食べるものが無くてひもじい思いをし、祖父母は食べさせてやりたくても食べさせて
やるものがなくてつらい思いをした世代だった。ずいぶん後になってからそのことに気が付いたとき、
食事のときにかけられた言葉の記憶が、次から次へと溢れてきて、涙が出てきた。
暮れに実家へ帰ったとき、両親はコタツの上いっぱいに料理をならべて満足そうだった。酔った父は、食べ
るものが無かった頃の思い出にちょっと触れてから「でもこうしてお前にうまいものを食わせてやることが
できて、俺は今とても幸せだ。なぁ、かあちゃんヨ」母は「そうだねぇ。あ、まだあるよ、よそおうか」
私は、言いたい事はたくさんあったが、ただ食うだけだった。何か言えればいいのにと思う。

293 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 09:38 ID:PQ1/iadg
>>292
ウチもいっしょやねー
感謝の気持ちはあるけど、何も言えずに食べるだけ。
帰り際に食料イッパイくれるけど、
去年定年退職した自分達の為に使ってほしー
でも貰って帰る・・・
週末また帰ろかな

294 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 14:41 ID:fBjrNQH2
以前帰郷したときに、母が呑みながら昔話を始めた。

私が3、4歳のときの話。
実家は会社を経営していて、母も事務仕事が毎日忙しく、私はあまりかまってもらえなかった。
母は仕事するときにいつも同じジャンパーを着ていたのだが、ある日、そのジャンパーが見当たらなかったらしい。
ひょいっと置きそうな場所を探してみたがどこにもない。
んで、その時二段ベッドの上の段で昼寝していた私に聞こうと思って覗いてみたら、
母のジャンパーとズボンをきちんと人の形に置いて、その上にすーかすーかと寝ている私がいたそうな。
私は多分そのジャンパーに一番母の匂いがするんで、それを持ってったんでしょうな。
母はそんな私を見て「かまってやれなくてごめんね」と泣いたんだと、目をうるませて話してくれた。

酒が入っての昔語りとはいえ、30年近くそんな呵責を母が抱いていたのかと思うとたまらなかった。
大丈夫だよ、ほっといても結構いい娘に育ったでしょ、と冗談にするのが精一杯だった。
その日は二人してうるうるしながらずっと呑んでたな。

295 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 18:20 ID:UOOszNug
ダメだ…このスレ始めから読んでて、涙とハナミズ止まらない(TT)
ちょっとPCから離れて、気持ちがクールダウンしてからまた来よう…。

296 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/28 19:35 ID:IRBRPmh.
私が小5の時両親が別居する事になった。
母の引越し当日、父はふててパチンコへ行き
もうすぐ引越しが終わるという夜やっと戻ってきた。
父は母には無言だったけど
私には「ほら、今日はこれしかとれなかったけど」と
言って板チョコを差し出した。
そして風邪ひくなよとも言われた記憶がある。
ああ、今日で本当に父とはお別れなんだなーと
感じて鼻の奥がつーんとした。
引越し先のアパートの冷えた夜
布団の中で涙が止まらなかった。
母には父は良い夫じゃなかったけど
私と弟は可愛がってくれたから辛かったよ。

297 :れおーね:02/03/29 00:40 ID:.OLE7i.2
おばあちゃん。
一昨年、手術した時は、痴呆で点滴を抜いたり、置きあがろうとするから
タオルでベッドに体を固定されてたね。食事だけが楽しみなのに、絶食させられて。
でもね、その姿で、付き添いしている私に小声で
「○○ちゃん(私)食堂に行って、看護婦さんに内緒で、一膳だけご飯を頂きにいこう」
って誘われた時には、半泣きで笑っちゃったよ。
ばれるよ。内緒って何やねんって。涙。。。
痴呆も進んで、もう私が誰かわかんなくなっちゃったから、話も出来ないけど、
働いてるお母さんの代わりに林檎をすりおろしてジュースを作ってくれた事、
そうやって大事に(初孫だ)育ててもらった事、感謝してるよ。
おばあちゃんと一緒に住んでいたからこそ、知る事が出来た事もたくさんある。
痴呆症で生き続ける事は、幸せかどうかわからない。
正直、そんな姿を見続けるのはつらいんだけれども、
また、おいしい物を食べられる事もあるかもしれないから、長生きして。

298 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/29 22:05 ID:GX1mRD4M
両親が保育園児の頃に離婚した。
何故か小さい頃の記憶があんまり残ってない私に唯一? 残ってる父親の記憶。
当時住んでたアパートから車で、母親も三人で隣駅のデパートに行くことになった。
でも、父親は私だけ乗せてデパートに行った。
幼い私は母親が居ないことも気にせず、そのデパートにあった噴水の中に
投げこまれた小銭に興味を持ち、そのまま落下した…。
そんなことになったから、父親が慌てて家まで連れて帰って、
置いてけぼりをくらった母親に文句を言われてたような記憶がある。

今考えると、それが父親と一緒に居た最後なのかなと思う。
なんで別れちゃったのか未だに母親にも誰にも聞けないし、
もう20年近くも会ってないから、何処かで会っててもきっと分からない。
でも、おとーさん、娘は二十歳になったよ。今は大学に行ってるよ。
おかーさんは娘を養うために一生懸命働いてるよ。
…一回ぐらい顔を見せてあげたいと思うのはいけないことなのかな。

299 :おさかなくわえた名無しさん:02/03/30 10:37 ID:???
もし居場所が分かっているなら、会ってみたほうがいいと思うよ
両親は別れても親子は親子なんだから ヽ(`Д´)ノウワァァァァン

300 :おさかなくわえた名無しさん :02/03/30 12:08 ID:/kni0hpI
おい、おまえら。こんなに泣かされる筋合いはないぞ。
家族を大切に...

301 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/01 10:30 ID:O61ATMF2
age-

302 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/01 13:29 ID:???
テキトーにMP3をみつくろってBGMにしてこのスレ見てたら…
「母を訪ねて三千里」のテーマソングが流れてきたぁ。うぅ〜。
なんちゅータイミング…悲しい。









でもその後に流れてきたのはキン肉マンのテーマだった…。(´д`)

303 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/01 15:25 ID:???
母親は犯罪犯して離婚、その後私にも黙って再婚。氏んでこい。
父親、こないだ電話かかってきたらネットの出会い系(結婚の)の会社から。

別にもう16だし親が再婚したって構わないけどちゃんと言ってほしいし
正直家族でロクな思い出ねーよ。正直このスレ羨ましい。

304 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/01 16:05 ID:g4h.ujhg
留学から帰ってきた日のこと。
最寄のバス停まで、母と弟が迎えに来てくれた。
母は私を見るなり、hugしてくれ、目に涙をためて、
「おかえり」と言った。
家に帰ると父は焼きそばを作っていた。
普段そんなことをする人ではないのに・・・。
たぶん私が帰ってくるまで落ち着かなく、手持ち無沙汰だったのだろう。

人と接するのが人より少し下手で、半ヒッキーの私が留学したのだから
両親はかなり心配したんだと思う。
海外だから、言葉の違いや、文化の違いもあるし。

いつも心配ばっかりかけてごめんね、お父さん、お母さん。

305 :おさかなくわえた名無しさん :02/04/02 21:56 ID:25N0lSbE
私が10歳の秋両親が離婚したのですが、その数ヶ月前の夏初めての家族旅行をしました。
出かける前はまたいつもと同じように両親が喧嘩をしていて出発時は険悪なムードでした。
「喧嘩するぐらいなら家族旅行なんて計画立てるなよ」と思ってはいたのですが、
気の弱い父方の祖母も同伴だった為、何とか場を和やかにしようとおちゃらけて
目的地へ着く間笑いを一生懸命採りました。現地へ着いた時には皆出発前の険悪ムードも忘れ、
私と妹の欲しがる物、欲しがってもいないのに思い出にといろいろなものを買ってくれました。

その当時から嫌いだった父もはじめて父親らしく、旅行先の建築物についていろいろな由来とか、
どうでもいい話をたくさん教えてくれました。そのときに教えてくれた事は今でも鮮明に覚えています。
みんなで美味しい物を食べたり温泉に浸かったり、ホテルのふかふかのベッドで寝たり。
たくさん贅沢をしました。
家に着いた時、あまりにも楽しかったその家族旅行が終わってしまうのが寂しくて泣いてしまいました。

その数ヵ月後、祖母が入院したのをきっかけに、両親の中は益々険悪になり、
あっという間に別居、離婚となりました。
離婚の話を母が入院中の祖母に話ししに行ったのを最後に祖母とはあれから会っていません。
父とももう13年間連絡をとっていません。
この書き込みをしている今、祖母には会いに行こうかと思えてきました。
大きくなった私を見てもらいたいです。
今まで会いに来なくてごめんねと一言誤りたいです。

ヘタな長文ごめんなさい。

306 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/02 22:20 ID:???
>>305
今行かないでいつ行くんだ!!

307 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/03 01:49 ID:2vry9r3I
>>305
亡くなってから悔やんでも遅いと思うし、
会いに行く気になったんなら絶対会いに行って欲しいな。
・・・と普通に思ってしまった。
偉そうに言ってスマソ。

308 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/03 01:59 ID:PE.JlCm6
私が4歳くらいの時兄ちゃんが悪い事すると父が倉庫へ閉じ込めていたらしく、
その度にねぇやめてやめてお兄ちゃん閉じ込めないで
とお父さんを叩きながら訴えた自分にホロリ

309 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/03 02:01 ID:???
スレ、全く読んでないけど・・良スレの予感。。。

310 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/03 02:29 ID:???
>309
今更何を。

311 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 18:01 ID:1NSro9lU
223、224で陥落。
ああもうTT

312 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 18:44 ID:???
去年、失業した。本当に…途方に暮れた。
正月、実家に帰ったとき、弟(ちゃんと独立して
一人暮らし)が黙って「ねぇちゃん、これ」と言って
封筒をくれた。開くと中には10万円。
「なにこれ、いらないよ」と言うと、無愛想に
「…貰えよ。」「いらないよー、弟にお金なんてさー」
「…俺、ねぇちゃんに何にも返してないしよ。一生に
一回ぐらいいいじゃん、貰っとけよ」

弟の「何にも返してない」という言葉の意味は後で母親に聞いたら
弟が受験の頃、私が色々書類・受験校の資料など世話をしたのを
さしていたようで。当時、母は入院、父親は仕事で忙しく、あまり
そういったことにも疎いため、私が全て手配したのです。受験校の
近くのホテルやらなんやらまで。そんで両親が私が失業して
困っていると話したようで。

「まぁそこまで言うなら貰っておくよ」と言ってありがたく貰いましたが
帰りの新幹線のトイレで声なき号泣いたしました。

313 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/04 19:05 ID:???
>312
家族っていいね…。 ホロリ

314 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/05 00:27 ID:8ap4nBAc
>>312 「声なき号泣」っての、なんかいい。わかる。

315 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/05 03:35 ID:???
我が家は正月以外行事をしない家。
毎年クリスマスは、母が子供らを連れてデパートでプレゼントを買うだけで終わっていた。
ある年、当時厨房の兄と父を残して例のごとく出かけて帰ってきたら、居間に鉢植えのモミの木が!
父は「届いたんだ」と言うだけ、兄に誰からか聞いてもヘラヘラしてて答えない。
父は付き合いが広いため母がちゃんと答えろと兄を問い詰めてたら、突然父が、
「悪かったな!俺だーーーっ!」と一喝、手にしてたビールをカッと飲み干し、
さっさと布団に入ってしまった。
「お父さん、ホントはやりたかったんだね。素直じゃないね」と後で母は涙していた。
翌年からは例年通り、いつも「一家団欒?くだんねぇ」と言ってた家族サービスの下手な父。
これからは親孝行しようと思った消防の頃の思い出でした。
(今は微笑ましい笑い話になってるけどね)

316 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/05 03:38 ID:???
書き込んで見たら読みづらいね。ゴメン・・・

317 :298:02/04/05 22:48 ID:???
>299
居場所はわからないんだ…自分が厨房の頃に、
弁護士事務所から父親のことで電話がかかってきたのは知ってる、
でもそれだけ。
いつか機会があったら、と思ってるけど…どうなんだろ。

どうでも良い事の上に遅レスですいません…
でも今まで一度も誰にも言ったことがなかったので。

318 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/06 16:06 ID:l2LsG8sE
子供の頃、父親が作ってくれるナポリタンのスパゲティーが大好きだった。
喫茶店のスパゲティー食べると思い出すなぁ...。
もう亡くなっっちゃったけど、来月の命日にはお墓参りに行こう。

319 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/06 17:36 ID:???
オマエら、なんでオレを泣かすんだよぅ。

320 :投稿者:02/04/06 21:09 ID:???
>319
ごめんよぅ、ほら、タオル。

321 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/07 01:15 ID:???
>>319
間違えた。それ雑巾だ。
タオルはこっちだ、ホレ。

322 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/07 22:55 ID:Jao7gPwk
あげ

323 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/08 21:44 ID:54HI69Vs
思春期真っ只中、私は父を毛嫌いしていた。
無口でおとなしい父は私を叱ることもなく、仕事が休みの時は学校まで
車で送ってくれた。当たり前のように後部座席に乗り込む私。
ある日、それが生意気なことだと知った私は、助手席に乗ってみた。
やっぱり会話は無いままだったが、私を送って家に帰った父は
「今日○○(私)が助手席に乗った!」と、とても嬉しそうに母に報告したそうだ。

一人暮らしをして、家族の有難さが身にしみてからは普通に話せるようになったけど、
こんなに早く逝ってしまうのならもっと親孝行しておくんだった。
お父さん、ごめんよ。

324 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/08 22:12 ID:DiZY0RfA
こっちにもタオル!!(T−T)

325 : :02/04/09 00:00 ID:2PPCHgDU
当方14歳のガキですが
このスレみて泣きまくったので
自分の思い出話もひとつ。
父方の祖父は長男である私を非常にかわいがってくれて
よくせなかにおぶって庭を散歩してくれたりした。
それから何年もたってほとんど話もしなくなって、
何気なく栃木県に旅行に行ったときに買ってきた
孫の手をプレゼントしたらとても喜んでくれた。
それから2年後の僕が12歳のときに他界。
あっけなすぎて全くショックもなかったのだが、
棺桶の上に2年前にプレゼントしたその孫の手が
丁寧に置かれているのを見て、一気に泣いてしまった。
おばあちゃんはまだ生きているけど、
毎日その孫の手を使ってくれていたらしい。
たった500円ほどの孫の手だけど、
死んでしまってからやってもらったことを思い出して
ああ、もっと話したかったと思ってるよ。
遊んでくれたこと、みんな覚えてるよおじいちゃん。
見せられなかったけど、いい中学にも入ったし幸せになるよ。

326 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 00:04 ID:c0fEpWUA
俺はこのスレを読んで、GWに年老いた親を温泉に連れていく決心をしたのであった。

327 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 01:45 ID:RnCZXmV6
ああ、2ちゃんがあってよかったなって思ったよ。 >326

328 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 02:28 ID:PwR8cHuQ
たまには帰省しよう。

329 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 03:06 ID:QLhN/8mk
あれは、私は感受性豊かな中学生の頃だった。
私は小さい頃から家族が仲がいいっていうのがひそかな
自慢で父親っ子だった。そんな私が中1の夏に仕事がうまくいってた父に
女にできて、ある日なにもいわずに出て行ってしまった・・。
学校ではいたって楽しくふるまっていたが、帰ってきて働かざるをえなく
なった母が仕事で帰ってこない誰もいない部屋に帰って来るたび
ひそかに涙を流していた・・。

それから3年がたち、やっと傷もいえてきた頃
ひょっこり父が家に帰ってきた。仕事に失敗してひげもぼうぼう
別人のようだった。家には私と父の二人きり。母も弟もまだ帰ってこない。
私の中で、怒り、悲しみ、憎しみ、愛しさが入り混じり立ってられないほど
だった。父も私も無言・・。どうしたらいいか・・
私は 台所に立ち父が好きだった 玉ねぎとそうめんのはいったみそ汁を
1杯作り差し出した。
1口食べ父の目から 涙が一つこぼれでた。
また、これで家族が1つになったと思った。

330 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 03:12 ID:jizC/qgU
ひとり暮らしを始めて、一年がたちました。
毎月一度来る、母親からの手紙。
それが今月は、父親からのものでした。
しかも、手書きではなくてPCで出力したもの。
「お前とメールがしたくてパソコンを買ってみたけど、まだよくわからない。
 この手紙を書くだけで2時間もかかった」
いつもどおりの不粋な言葉。しかし、父は私のことなんて
まったく気にかけていないと思っていただけに嬉しかった。

331 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 03:17 ID:qc/evL4E
このスレを読んで思った。明日は両親に電話しようと・・・・。

オヤジ、オカン、じいちゃん、ばあちゃんの思い出がそーまとー
の様に甦ってくるよ・・・・。泣けてくる。

332 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 05:13 ID:???
家族話に感銘をうけ不覚にも誘発。厨房長文文字のため読み飛ばし推薦。

俺が生れる前から祖母は居て(当たり前だが)、事さえあれば自分に飯を食うように言ってきた。
俺がよく学校をズル休みしている時も、わざわざ部屋にまで来て
移動販売の冷凍魚やらトマトやら、色々なものを置いていった。
眠りを妨げられるうえ、すぐに食えない物がほとんどでいいかげんうっとしくなって
一度祖母に当り散らした事があった。
その頃は俺も厨房で、良くは覚えてないがとにかく「ババア」とか「死ね」とか
当時嫌な事もあったせいで相当なことを言ってしまった。
厨房時代の反抗期と重なってそうなったのか、言ってしまった後に
言わなければ良かったとは思った。けれども結局、最期まで謝る事は無かった。
翌日になって縁側で豆を干している祖母が笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってくれたのが
俺のそんな心配も打ち消してくれた。

そしてそんな事がありながらも、俺は高校を終えようとするまでになり
進路やらなんやら毎日毎日決まった事を話す日々が続いていた。
しかしそんな当たり前も生活も、少しずつ崩れていたのかもしれない。
夏が終る頃に、俺が学校から帰ると祖母の額に大きなたんこぶが、
「どうしたん?」と尋ねればなんと数メートル下のがけ下に落ちていたそうで
母が帰宅したあと俺と祖母は慌てて病院に行った。
下が田んぼだったのが良かったらしく重大な傷は無く俺たちはひとまずほっとして家路に着いた。
で、それで終るかと思ったらいつも決まって来るはずの祖母が来ない、
なぜだろうと隠居の方へ行ってみると、明かりを全部消してテレビを見ている祖母の姿。
すぐに病院へ行って見てもらったところそれは痴呆、落ちたショックにより
細胞の一部が損傷した為だと言われた。

333 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 05:14 ID:???
その後親戚がかわるがわる看病に行ったがその甲斐も無く、
祖母は俺が卒業する前に旅立ってしまった。
俺が祖母と再会するのは葬儀の日だった。
なんか外がうるさいと思ってみればもうセッティングはすんでおり
既に人の影も見えている。
その後の事は覚えていない、丁度少し前に父が機械で足を怪我しており
母と親戚だけで全てを行なった。
父の事故は結構大きな物で、後少し機械に巻き込まれれば足切断どころか
生命にも関わる問題だったし
今考えれば祖母が父を助ける代わりに逝ってしまったのかも知れない。

一段落した頃、俺も含んだ家族と親戚で内輪だけの晩餐を楽しんだ。
最期の化粧をした祖母はすごく綺麗だったとか
機械で編集したとは言え、遺影の祖母は今撮ったような写真だとか。
--とにかく祖母の話で持ちきりだった。
で、俺がそろそろ帰ろうと思ったとき、こんな話がでた
祖母は過去に、戦争で二人の子どもを餓死させてしまった事。
その影響で父や俺に飯を食えといっていた事。
そしてその祖母が今、こうして孫の俺を生れさせてくれたという事。
俺がまだ五歳の頃だろうか、ごはんに御菓子を挿しひどく怒られた事があった。
俺は不覚にもこみ上げる物を我慢できず、トイレと言ってそこから抜け出し泣いてしまった。

それから数年がたった今、前までは線香さえ上げなかった仏壇に手を合わせ
時々祖母に今までのことを謝って、ありがとうと言っている。

334 :悩みを書かせてもらいます:02/04/09 07:55 ID:bC8sm83g
私は大変厳しい家に育った為、感謝どころか鬱陶しく感じ、五年間音信不通で生活して
きてしまいました。
でもこのスレを読んで今までいかに両親のマイナス面しか見ていなかったかと言う事
ことに気付いて、今まで一切思い出す事も無かった楽しい思い出ばかり思い出されてきて
涙が止まりません。
そこでようやく決心が付き連絡を取ろうとした所、引越しをしてしまっていて連絡が取れず
やっと親の私と連絡が取れなくなった時の気持ちがわかりました

お父さん、お母さん、騙されて生活苦しい時もあったけど、騙す側になるチャンスは
沢山あったのにどうしても騙す側にはなれなかったのは教育のお陰だと思って感謝しています。

みなさん、どうすれば会えると見つかるとおもいますか?
目撃ドキュソ以外で方法ないかなあ。どこか良いスレあったら教えて下さい。

長々とスレ違いごめんなさい。

では次の方みんなをモット泣かせてあげて。

335 : :02/04/09 10:49 ID:???
>>325
その歳で家族の大切さに気付くとは・・・
俺なんか実家出て苦労しても気付かず
数え切れない家族からの援護も気付かず
このスレ読んで初めて気付いたよ

みんなホントにアリガト。

336 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 17:30 ID:U2y57OZ2
実家で犬を飼っていた。家族みんなでとても可愛がっており、
動物嫌いな祖母もいつのまにか進んで散歩に連れて行くまでに。
しかしある日、祖母が散歩中、紐を離してしまい、犬が逃走。
数日後、交通事故で死んでしまった。当時祖母のことをよく
思っていなかった私は祖母を口には出さないまでも激しく
嫌悪し、顔も見たくないと思った。犬の遺体は父が山に運び、
埋めた。花がたくさん咲いている場所に好きなものと一緒に埋めたという。
その話を母としていたら「お父さん、犬が死んだとき、
悲しくて悲しくて泣きながら埋めたんだって。あんな悲しいことは
ないって。うちに帰ってきたときはお父さん、平気そうにしてたけど…
子供にはあんな悲しい姿は見せられないって、だから一人で勝手に埋めに
行ったんだって。」その話で私も泣きそうになったが…。
数年後祖母とたまたまTVを見てたら犬が死んでしまうと言う内容の
話で私はついポロリと泣いてしまった。すると祖母が小さい声で
「○○ちゃん、犬のこと、ごめんな」と言った。祖母はずっと
そのことを気にかけていたのかと思うと何だかあの頃の自分がとても
情けなくなった。

337 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/09 17:43 ID:???
祖母殺しの男の子と同じ年だもんなぁ・・・>325

338 : :02/04/09 18:52 ID:9SjKLtX2
>>327
そんなヤツと一緒にするなよ。

339 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 01:14 ID:Qldw8WDM
うちの父はタクシーの運転手で、朝の5時に出て行って次の朝の5時に帰ってくる。
だから顔を見ることが全然ない。
休みがあっても、テレビのある自分の部屋からでてこない。
そんな父に声をかけることが出来ない。
この前久々に見た父は、記憶にあるよりもずっと痩せてて、白髪も増えてて、髪の毛も減ってて、
なんだか知らない人のようだった。
母とは仲が悪いけど、私にはいつもやさしいひとで、たくさん幸せをもらったのに、何一つ返せてない。
今はまだ元気だけど、このままいつか思い出になってしまうのかと思ったら涙が止まらなくなった。
今のうちに、もっと話ししておこう。

主旨がずれてすいません。

340 :329:02/04/10 01:59 ID:6SFZcwqw
私がOLになり始めの頃だった。父も帰ってきてまた楽しい家族生活だった。
私は 自由に使えるお金が入ってくるし 彼氏はできるはクラブにはまるはで
毎週末は 帰りが夜中14時頃だった。それでも帰るといつも本を読んで
起きていた。家族はうまくいってると思っていた。
母は 自由に使えるお金がある為 パチンコにはまっていた。
自分の居場所が見つけられなかったのか、母にあいそをつかしたのか
父はやはり新しくできた女のもとへ・・。家を出て行ってしまった。
ほうぼう探してやっと、女の家を見つけおしかけた。
喫茶店で父に会い、好きな人ができた。おまえも大きくなったし理解してくれ
と言われた。 でも私はこう言った。

「もう、親子でもなんでもありません。今日で縁をきります」

父は人目もはばからず涙を流しながら、「母とは他人だがお前には
おれの血が流れてるんだぞ」と。私にとって父の2度目に見た涙でした。
 私はだまって席を立ちました。

あれから3年たちました。今父がどこに住んでるのか知りません。
お正月に少し電話で話しましたが。私は今でもあの喫茶店での父の顔が
忘れられず、追い詰めてしまった事、縁を切るといったこと後悔してます。
若い方には、特に親を大事にして欲しいです。ほんのボタンの掛け違いが
取り返しのつかない事もあるんです。 

341 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 03:03 ID:i3FtXoa.
大阪で一人暮らしをしている私のところに田舎から両親が遊びに来た。
1泊2日なのに妙に大荷物の父。
登山するひとが背負うようなリュックがパンパンになっていた。
私の家に入るなりリュックを開け、中から出してきたものはチンするご飯やレトルトのカレーの山。
「一人暮らしで大変だろうから」と、わざわざ実家の近くのスーパーで買ってきてくれたらしい。
私は「そんな重たいもの、大阪のスーパーで買えばよかったのに」と笑ったが、
父の気持ちがうれしくて泣いた。
群馬からチンするご飯を背負ってきた、ちょっと間抜けな父がとても愛しく感じた。

342 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 04:58 ID:heXm6fh.
>>334
警察で相談してみたら?なりふり構わず調べるべきだよ

343 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 06:47 ID:mx.flKJY
うちは父親が船乗りでめったに家におらず、姉は高校のとき精神的に
少々おかしくなった時期があって部屋にこもりきり。
んで、私は父と姉と仲が悪く高校入学と同時に家を出て寮住まいだった。
その後、姉も私も進学で県外に出てしまい、数年間家族4人めったに
顔をあわせることがなかった。

けど先日帰省したら、たまたま父も姉も帰っていて顔をあわせた。
ぎこちない団欒だったけど、家族でこたつ囲んで夕食を食べて
テレビ見て、しょーもない話して。
そのとき何年かぶりに本当に普通の家族の形を見た気がして何故か
胸が熱くなった。
んで、テレビ見て爆笑してる父母姉の姿を何気にデジカメで写してみた。
あとでPCに入れたの見たら、なんか「家族っていいなぁ」とかしみじみ思った。

ま、こんなことオカンなんかに言うた日にゃ爆笑されるだろうけど。

344 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 13:05 ID:???
20才を過ぎた頃から家族の仲は
良くなったけど父とはサシで話しをするという事は
あまりなかった。
あるとき、たまたま父と2人で話す場面になり色々と話をした。
話すといえば、政治の事とかこの時もそういう他愛もないお話を
していたんだけど、どういう訳か家族の話しになった。
色々あったし、これからも心配な事とか
たくさんあるけど、
自分は家族皆(父・母・兄)を尊敬しているんだよーみたいな事を
父に言った。
父はうんうんと頷いていた。
私の方は、なぜかヒートアップしてきて
「自分のお父さんがお父さんで良かったと思ってる」
と言ったら
父の目に涙がひとすじ。
泣いた所なんか見たことないのに。
私もつられて涙が溢れてきて……。
なんでこんなこと言ったのか。
でも、ホントのことなんだけど。

345 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 13:23 ID:???
自分の家族の事じゃなくてゴメソ。

ケコーンして初めて主人の地元北海道へ。御両親は亡くなっています。
お墓参りに行くので近くのお店でお花やお線香を買いに行きました。
でも主人は「線香なんていらない」・・・「?」と思ってお墓につくと
義父さんがいつも飲んでいたというホワイトリカー(安いお酒)をお墓にかけて
お線香のところには自分で火をつけた煙草を。

「こっちの方が親父は喜ぶよ」と一言だけ。

義母さんには私がお花を買いました。
男の親子ってこんなんなのかな?なんだか言葉以上のものを感じました。

346 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 14:21 ID:???
仕事前に泣かせないでくれ

347 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/10 20:59 ID:???
いい話だ…
お前ら最高です。

348 :AU:02/04/10 23:43 ID:3MFFDxBI
作り話はないよな?

349 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/11 00:16 ID:???
>>348
嘘は嘘と…(以下略)

350 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/11 00:17 ID:GDS7GGYo
小学生〜高校生まで何かと親(とくに母)に反抗していた私。
私が反抗すると母は「私のお父さん、つまりアンタのおじいちゃんはねお母さんが高校生の時に亡くなって
おばあちゃんが苦労してお母さんを育ててくれたからおやに反抗できなかった」と言うのです。
その頃は「何回も同じこと言わないでよ!その話前も聞いたよ!!」と母に怒鳴りつけていました。

私が専門学校に入ってしばらくして、母の集めている小説が入れられた本棚(扉が付いてて立派な物)を
見る機会がありました。
そういえばこの本棚、私が生まれた時からあるけど、よくよく中を見たことがないなと思っていました。
すると、たくさんの小説に混ざって何冊かの古い本が出てきました。
母が小学校4〜6年くらいの学校の記念文集でした。
→つづく

351 :350:02/04/11 00:35 ID:GDS7GGYo
私は文集を開いて読んでみました。
みなさん遠足に行った思い出とか、友達と遊んだこととか、子供らしい楽しそうなことばかり
書いていましたが、うちの母の作文のタイトルだけ「お父さんの入院」でした。
読むと、祖父が病気で入院してから祖母が働きながら祖父の看病に行っていたため、
母は鍵っ子になり、家に帰っても外が真っ暗になるまでずっと一人で留守番し、祖母が
帰ってくる時間を見計らって夕ご飯のしたくをして祖母の帰りを待っていたこと、
一人で留守番するのが寂しくて押し入れの中で泣いたことなどが書いてありました。
私が小学生の時は家に帰れば必ず母がいたし、小学生の私が夕飯のしたくなんて
したこともありませんでした。、
そして母が高校に入った年に祖父が死に、母は「私はお父さんが死んで大学にも行け
なかったから子供達には大学でもどこでも好きな道に進ませたい」と何回言っていたのを
思い出して涙が止まりませんでした!!
それ以来、親を大切にしていこうと思いました。

352 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/11 02:51 ID:Y31TZ6Ro
私が一人暮らしをしてから父の仕事の都合で実家が引っ越してしまい、
実家に帰っても家族しかおらず、友達なんて一人もいない状態。
いつも私は育った場所に帰り友達と遊ぶ事を選択しました。

だから実家に帰るなんて滅多になくて、家族をすごく疎かにしていました。
この間私は成人式を迎えたのですが
実家が遠いことと、どこの成人式に行ったらいいのか分からなくて(環境が複雑なもので)
「行かない」とだけ言うと、成人の日には引き篭もっていたんです。
ある種の子供っぽい意地もありました。
すると宅急便が届き、親戚から数枚のお祝い金、衣類とケーキが。
ケーキには「祝・成人」と書いてあって、取り出すと手紙が落ちました。
母親と、父親からそれぞれ1枚づつでしたが、まさか父親が私に手紙を書くとは
思っていなかったのでとても驚きました。
また、内容が「ゆうこが生まれた場所は今、ゆうこが今いる場所です。そこで20歳を迎えられたのを大事に思ってください。」
と書かれていて、涙が溢れました。
私は今住んでいる場所が大嫌いだけれど、父親の言葉に救われた気がします。

353 :・・・:02/04/12 03:39 ID:L/1B4Xh2
母方の祖父が死んだ時だ。その時俺は小学4年生くらいか。
今夜が峠、と言われたのかどうかは知らないが、子供の俺と兄は初めて病室に連れて行かれた。
そこで見たのは苦しむ祖父の姿。祖父はこちらを見もせずにただ苦しんでいた。

次の日の朝、家に両親がいないことに気づき、兄が母の実家に恐る恐る電話をした。
そして、電話を切って、「じいちゃん死んじゃったんだって」と俺に一言。
俺は泣かなかった。もちろん兄も。大人たちが葬儀の準備をする間も、
なにかに焦る衝動に絶えながら、ぐっと涙を堪えていた。

だが、突然母が泣いた。「もっといっぱい遊んでもらえたらよかったのになぁ」と
嗚咽混じりの声で言った。それを聞いて、泣き虫だった俺はとうとう泣いてしまった。
母が泣くのを見たのはあれが初めてだったから。

葬儀では涙が止まらなかった。そんなに祖父と仲が良かったわけではない。
だが、人が死ぬってことは、もう会えなくなることだってことに気づいてしまったから。
本当に悲しくてしょうがなかった。泣いて泣いて、声がかれるまで泣きまくった。

今でもこの話は家族とはしたくはない。昔の弱かった自分を思い出してしまうからだ。
まだまだガキだ、俺は。。。

354 :ちょこっとホロリ:02/04/12 09:53 ID:???
今日は体調が悪い。
で朝から100%のリンゴジュース買った。
そう言えばガキの頃、風邪引いたらオカンがリンゴジュース作ってくれたなー
って思い出した。
何となくホローリ

355 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 00:33 ID:Lre8R0KU
さかなさかなさかんー

356 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 00:53 ID:???
うちの父は母にとてもきびしく、つめたかったが、
ここ数年はそれがひどかった。
で、母はでていく決心をし、
私が一人暮らしを始めた次の日にでていくことになった。
父には内緒。
引越しを手伝ってもらい、
母が帰るとき、玄関で見送ったけど、
なんかちょっと泣きそうになった。
母にあんまり会えなくなるんだなと思って。

357 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/14 01:49 ID:3a/5d81Y
わたし、厨房のとき荒れてて、4歳下の弟を毎日殴ってた。
それから20年経った現在。
弟は何も言わないけど心の中で恨んでるんだろうな、
トラウマになってるかもしれないな、
許してくれなくても、ひとこと謝りたいな、て思ってた。

今日、実家から帰るとき、実家の駐車場からバックで車を
出そうと思ったが、実家が大通りに面していて、そのとき
交通量が多くてなかなか出れなかった。
そしたらたまたま通りかかった弟が、大通りに出て、車を
止めてくれた。わたしが出れるように。
弟に「ありがとう!」て言ったら照れくさそうに笑ってた。
帰り道、車の中でずっと涙がとまらなかった。

358 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/16 16:13 ID:???
工房の夏休み、父の紹介で寿司屋でバイトした。
そこは父の同業者達が集まる店で(父は経営者)
客は皆父の悪口を言っていた。
俺は毎日メチャクチャ辛かった。
ある日、物言わぬ大将が小声で言った。
「皆しておめーのオヤジの首を狙ってんだよ。」
そして包丁を鯛の頭にザックリ入れた。

359 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/16 18:07 ID:???
>358
ホローリ・・・きたの?

360 : :02/04/16 22:32 ID:???
高校の時かな。
ギャンブルにハマって家庭を顧みなくなった父親にニヤニヤしながら
「お金貸してよ」と言われたこと。
思い出すたびに情けなくて涙が出そうになる。もう縁を切ったけれど。

361 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 01:04 ID:???
たしかにホローリとは違うな358の体験は。

ただ他人から親の悪口言われるのは相当ツライね。

362 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/17 10:13 ID:???
ところでこのスレはいつ本になるんだ。
これを読めばツマラナイ犯罪は激減すると思うのだが。

363 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 12:22 ID:???
ほんの少しだけきてたけど、洗濯するほどでもない服って状態の事あるでしょう?
丁度そんな状態のトレーナーをポンと椅子の背に掛けておいたら、
娘がトレーナーを抱っこしていた。
「おかあちゃんのにおいがする〜」って。
同じような状態の旦那の上着も抱っこして「おとうちゃんのにおい」と言って
ニコニコしてる姿見たら、なんだか胸が熱くなった。
「何してんの、アホやなあ」といって笑って娘を抱っこしたけど
その日は一日中幸せな気持ちで過ごせました。
ありがとう、旦那と私の娘であるあなたにどれほど沢山のものを与えてもらってることか。
どうか、ずっと幸せな家庭を維持できますように。

364 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 13:38 ID:fXfksO3I
ageます。
こんないいスレ、みてくれよー!

365 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 17:20 ID:???
>363
いい感じでホローリくるね。age

366 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 18:43 ID:???
この前、おじぃが死んで、おかんに入れる時
時計してたのね。ずーっとつけてたやつ。
それを見つけてこっそり今つけてます。
おじぃの見てた文字盤は、これからはおでが見るのだ。

人が亡くなるのは、その人の出会いのキャパが一杯になったから。
だから、亡くなった人、去ってった人は新しく出会う人の為に
居なくなるとおでは思っているのレス。

367 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 18:45 ID:???
>>363
わーいい話やー。
子供のそういう純粋な気持ちの表し方っていいね。

368 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 20:10 ID:???
>>363
うらやましい。うちの子(小2男児)なんて
「そこにおちてるお母さんのパンツ(済み)かごいれ
といて〜」って言ったら すげぇいやそうな感じで
指でつまみあげてかごにいれてたよ。以後もう頼むのはやめた。

369 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/19 21:29 ID:QP4nCf/g
あたしも片親でばあちゃんに育てられて母親
仕事してたから、よく母親の枕で寝てました。

あんまり愛された記憶出てこないけど
思い出すと泣けるのはきっとそこに愛があったんだな

370 :365:02/04/19 22:31 ID:???
家族の話じゃないんだけど、この間、俺が二十歳になった誕生日に
親戚の男の子(3歳)がうちに遊びに来た。
その子はよくウチに遊びに来る。
自分は小さい子供とかかなり好きなんでよく遊んであげたり
色々面倒見たりして仲いいんだ。
で、誕生日の日に俺のために「はっぴばーすでーとぅーゆー」
って歌ってくれた。
一生懸命歌ってくれた。フルコーラスで。
メロディー間違いながら一生懸命歌ってくれた。
その子の成長に驚いたと同時に、なんかすっげー嬉しかったな。
思い出したからレスしました。

371 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/20 00:08 ID:???
私の夫は小学校に上がる前に母親を亡くしています。
普段は亡き母の話はしないし、両親健在の私には
片親の夫の気持ちは分かりませんでした。

それが先日、私と1才の娘が遊んでいるのを見て何気なく
「○○はママがいてよかったね。パパはママのこと、
全然覚えてないんだよ。」と言いました。

それまで考えたこともなかったけど、幼かった夫の
寂しかったであろう気持ちがその一言で急に伝わってきて、
必死で涙をこらえました。

照れくさくて言えないけど、夫と娘のためにいつまでも
明るく、元気なかあちゃんでいたいと思いました。

372 :265:02/04/20 00:09 ID:QVK2KOBU
>334さん。
265です。実の父とは高校卒業から離れて生活し、後になくなりました。私は30才です。
今、もし「父が死んだのは嘘で、どこかお金を使って逢える範囲で、父は生活している。」
のなら、なんとかして「ありがとうよ。」一言だけでよいので伝えたいです。
イタコに頼んでも良いくらいです。それは出来ない事なので、そう思うのかもしれませんが。
逢ってもし後悔しても、逢わずに後悔する方が、すげー後悔すると思います。すっきりすると思います。
後悔は承知の上で、何とかしてください。出来る範囲で。
状況は親もあなたもお互いに、変わっています。きっと。

373 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/20 01:26 ID:t9tVnDoU
数年前に親父を亡くした。
自分が成長するとともに、親父とはそりが合わず、比較的近くに住んでいながら、
年に1〜2度くらいしか顔を合わさなかったのだが、倒れたとの知らせを受け、
病院に向かったらすでに意識不明で、そのまま旅立ってしまった。

葬儀が終わってから半年くらいの間に何度も親父の夢をみた。自分が中学・高校くらいだろうか。
何か心に引っかかり、葬儀の後もらった遺品の箱を覗いたら、30年以上使っていた腕時計が
あった。古い自動巻き?の国産品でそれほど高い物ではなかったが、会社の功労賞でもらったとか。
手にとって振ると、ジーッという音がして動き始めた。
その日以来、形見の時計を日常使っている。母に聞くと「何度か分解掃除や修理をして大事に使ってた。
何年か前に修理したとき、もう部品がないので、今度故障したらもう直せませんと言われた」とのこと。

40も半ばに差し掛かり、すこし恥ずかしいが、親父の人生の後半生、あまり会話できなかった分、時計
に語りかけて埋め合わせしているような感覚だ。
この腕時計もおそらくもう、何年も持つまい。こいつの最後を見届けることが親父への供養だと思っている。

374 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/20 23:17 ID:uSakNr4g
 小学校に入ったばかりの頃、兄貴とボーイスカウトのキャンプに行った時の話。
うっかり僕が軍手を忘れてしまい困っていると、兄貴が自分の右手のを貸してく
れた。兄貴は、恥ずかしそうに左手の軍手を右手にはめて、焚き火の準備とかし
ていた。全国の兄貴、姉貴の皆さん、弟と妹はきっと感謝しているよー。

375 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 00:38 ID:dfPcnZAw
私が2人目を出産するちょうど1ヶ月前に父は他界しました。
病気が発見された時、すでに余命1ヶ月と診断されていたそうです(告知せず)
きっと家族で過ごすお正月はこれが最後でしょうから入院はお正月明けにしましょう
とゆうことになりその年のお正月は親戚一同で楽しく過ごしました。
集まったみんな、顔で笑って心で泣いて...。

父が入院してから毎週お見舞いに行きました。会うたびに痩せてゆく父、
ベット脇のロッカーをそっと開けると父の一張羅の見慣れたスーツが吊るしてありました。
『あぁ これを着て家に帰ることはもうないんだな...』と思ったらすごくすごく哀しくて
涙が溢れてきました。
父に悟られないよう廊下で泣きました。

私は父と色々な話をするのが大好きでした。父はその日にあったことをおもしろ
おかしくよく私に聞かせてくれて笑わせてくれました。
姉や妹はとても甘え上手です。ベットの父に抱きついては退院したらね...等と
退院した時の話をするのです。でも私はできなかった...生きて退院するはずのない父に
そんな話、できなかった。本当はもっともっと父に甘えたかった。いっぱい話したかった。
姉や妹が羨ましかった...。

ベット脇に立っていると父がそっと私の大きなお腹をさすりました。
口下手な私はココでも気の効いた言葉をかけられなかった...。
さりげなく廊下に出て涙をぬぐうことしかできなかった...。

幸い、父は苦しまずにこの世を去りました。
結婚式の前の晩、シングルベットに並んで手を繋いで寝たこと忘れません。
この時も何も感謝の言葉が言えず『ありがとう』しか言えなくてごめんなさい。

父のお葬式の1ヶ月後に生まれた次男も今年から1年生です。
って知ってるよね?いつでも側に居てくれてるような気がするもん。

長文ごめんなさい。

376 :375:02/04/21 00:40 ID:dfPcnZAw
ごめんなさい かなりの長文になってしまいました。

377 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 04:42 ID:hLLwNoyE
小さいころ、友達はたくさんおもちゃとかファミコンのソフトを買ってくれて
るのに、自分は全然買ってもらえなかった。
そのときはすごく悔しかった。
でもそれは母がオレを大学に入れてあげたい、と思って、
計画的に貯金をしてくれていた為だった。
そのおかげで、私立の大学に通ってるにも関わらず、
普通に生活しても余るくらい仕送りもらってる。
そして最近、母がオレに言った。
「小さいころ、あまり(ファミコンの)ソフト買ってあげられなくてごめんね」
大学進学の資金のため、と分かっていながら、オレの姿を見て
やっぱりつらかったんだ、と思った。
毎月仕送りしてもらってありがとう。母に感謝。

378 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 06:22 ID:Vo/QozzY
>>377のファミコンで思い出したよ。

小学校4年のころかな。
うちにファミコンがあったんだけど、TVと繋げる線の部分が調子わるくて
画面の50%は砂嵐。(ツーコンを微妙に動かすとたまに画面が綺麗になる場合もある)
でもファミコン大好きだったからそれでも毎日あそんでたね。
そんな砂嵐ファミコンで夢中で遊ぶオレにオヤジもブチ切れですわ。
「そんな画面ばっかみてたら目がわるくなるだけだ!
そんなもんもーすてるそ!」と。
うわぁ〜捨てられる。ファミコン捨てられる。。。と一晩中考えてました。
んで翌日土曜日。
学校が早く終わり「よし!ファミコン修理しよう!」と決心。
綺麗な画面で遊べば目もわるくならないからファミコンも捨てられない。
と考えた賢い俺。(修理っていっても分解して中のホコリを取り除くだけ)
んで「いざ分解!」ってときに、いつもは簡単に抜けるTVとファミコンを繋ぐ線が抜けない!
抜けないわけが無いので強引に引っ張る。でも抜けない。足でファミコンを固定し、コードを両手でひっぱる。
すると線はブッチーーーンと途中でちぎれましたわ。

379 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 06:23 ID:Vo/QozzY
「終わった。。オレのファミコン人生はもー終わった。。線がちぎれちゃファミコンできねー。。
こんなことならあの砂嵐のほうがよかったな。。」
と肩をおとして落ち込んでるとこにかーちゃん帰宅。
母「どぉ!?ファミコンなおってたでしょ!?ふふふ。
おとーさんが今朝直してくれてたよ。お礼いっときなさいよ。
・・・あれ?どした?」
!?どゆことだ!?
聞けば接続が悪くなっていた端子を本体内部のボードにハンダで直結したそうな。
オヤジにすごく悪いことをした気がした。
落ち込んでるとこにオヤジ帰宅。
「とーちゃんありがとー!」とくるのを期待してたであろうオヤジ。
しかしそこには半泣きでしょぼくれたバカ息子とブッチーーンとなった哀れなファミコンの線。
絶対に怒られる!と思って覚悟してたのに、怒るどころかむしろ穏やかな顔で
父「あー。なんか書いておいておけばよかたなぁ。」
そーいってニッパーやハンダゴテをとりだしてもくもくと修理開始。
その姿をずっと見ながら、恥ずかしくて口にはだせなかったけど
「オヤジごめんな。ありがとな。」ってずっと思っていた。

実家の押入れに眠っているそのファミコンは
最近のPS2なんかよりも何倍もかっこいいぜ!

380 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 12:46 ID:???
>>379
最後の2行がぐっとくるぜ

381 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 12:51 ID:???
>>379
ちょっとうるっときた。
かっこいいお父様だね…。

382 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 18:54 ID:lCWgfdWA
小3のときだったかな〜。
うちは3人兄弟で漏れは末っ子。
兄貴とは9歳と6歳離れてて、おかんも高齢出産だった。
周りの友達とかの母ちゃんと比べてもうちのおかんが一番年食っててそれがすげーコンプレックスだった。
ある日、それですげー悩んで急に泣き出しちゃって、おかんに
「どうしたん?」て聞かれて「もっと早くに産んでくれればもっと長く一緒に生きられるのに」
っていったら、おかんも泣き出して、
「あんたが二十歳になるまでは絶対に死なない」って言ってくれた。
いま考えると結構ハズかしいなw。
漏れは今17だけど、おかんも元気だし(54歳だったかな)、親孝行してあげたい。

383 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 21:03 ID:???
幼児のころから、母には虐待されて育った。
子供らしい些細なまちがいをしただけで、一晩中、執拗に殴られた。
髪を掴まれ逆さに水風呂に突っ込まれて、呼吸がとまったこともある。
立てた襟に首をひそめて、絞められた痣を隠しながら学校へ通った。
ようやく18歳になり、私は待ちかねたように家を出た。

何年か経ち、母が倒れたと病院から電話があった。
深夜病院に着いたのは、緊急手術が終わったあとだった。
倒れたときの意識状態が悪く、おそらくは・・・と言葉を濁して
執刀医が去ったあと、私はICUの前で立ち尽くしながら夜を明かした。

朝になり、体がもたないよ、と知人がマクドナルドを買ってきてくれた。
私は礼を言って受け取り、病院の待合室で食べることにした。

ああこんな味なのか、と思いながら、少し苦笑した。
いい年をして、そういうものを食べたのは初めてだったからだ。
なぜだろう・・・と考えて、稲妻のように思い出が駆けめぐった。

服は全部、型紙から起こした母の手縫いだった。
子供には少しでも安全な食べ物を、とずいぶんな手間をかけて、
母は無農薬の野菜や無添加の食べ物だけを買い集めていた。
おやつはいつも手作りで、出来合いのものを食べさせられたことは
一度もなかった。
ファストフードを食べない習慣が、いつか私にも受け継がれていた。

少し性格が弱く、生真面目なだけがとりえの母が、完璧な母親らしく
あろうとして追い詰められていた苦しみを、理解してあげられなかった。
母は母なりの地獄を抱えながら、精一杯愛そうとしてくれていたんだ。

外来患者がざわざわと行き来する待合室の長椅子で、声が漏れないよう
マクドナルドの紙袋をきつく顔に押し当てながら、私は黙って泣いた。

384 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/21 23:38 ID:kIwxvToI
>>383
いい話なのでageときます。

385 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 01:07 ID:???
私は皆様ほど大した話ではありませんが。

数年前、突然夜に病気にかかってしまいました。
我慢できる範囲だったので朝を待って病院に行くことになったのですが
苦しむ私に一言父が「大袈裟だな〜」と言い放ったのです。
本当に辛く、苦しかったのにそのように言われ、すごくショックでボロボロ涙が出ました。
結局父の車で朝一番早くからやってる病院に行きましたが、
父は私のことが全然心配じゃないんだとがっかりでした。
そして病気も思ったより大変な状態で、入院こそしなかったものの
身体に管が通った状態で帰宅し、家でしばらく静養することになりました。

病院に行った次の日。
父が昼休みにひょっこり帰って来ました。
「何か手伝うことあるか?」
特に何もなかったし昨日のことで父に対して軽蔑の念を抱いていたため
「別になにもない」
と答えました。
すると父は「俺も昔、似たような経験したことあってさ」と語り始めました。
昨日のことを何も考えずベラベラしゃべってくる父に更に腹が立って無視していると
「そん時も大変だったけど、耐えられる範囲だったからさ、
だからお前の病気、大したことないって思っちゃったんだよね。
うん、だから、昨日、ごめんね」
そういうと父は「じゃあ、行くわ」と家を出ていきました。
わざわざ私に謝るために昼休みに家に帰ってきてくれたことが
嬉しくて、ベッドで寝ながら泣きました。

386 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 02:01 ID:3.pP0LZA
>334
役所に行って、住民票の移転先を教えてもらったりできないかな?
早くご家族が見つかるといいですね。

387 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 21:35 ID:???
>386
行政書志に依頼するのも良いぞ
詳しくは法律板で聞くとよいと思われ

388 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/22 23:14 ID:oZuVKzQ.
シャウエッセンが出始めの頃、(自分は中学生くらいだったかな)
あまりにうまかったので、母親に毎日のようにリクエストしていた。
毎朝、パンとシャウエッセンを出してくれてたけど、私が喜んで
いるから、買ってきてくれてたんだなー、と思うとホローリ。
今結婚して、ダンナの為にスーパーで買い物をしている時に思う。

389 :U1:02/04/23 00:25 ID:saXAVdgw
小6のとき田舎のひいばあちゃんが亡くなりました。朝母親に起こされそれを聞いたとき
まるで時が止まったかのように一瞬自分の周りのすべてが凍りつきました。
当然学校は欠席して田舎へ向かいました。家に着くと親戚一同はすでにみんな集まっていて、
まだ当時幼稚園だった従姉妹が「ちいばあちゃんは眠ってるだけなんだよね?」って何度も僕に聞いてきました。
小さかった僕は何も言うことができずにただうなずくことしかできませんでした。
僕自身ひいばあちゃんの顔を見てると眠っているようにしか見えず。急に目を覚ましたりしないだろうかなんて思っていました。

月日は流れいつだったかは覚えていないけどある日夢の中で僕は田舎にいて、
その夢の中にひいばあちゃんが出てきたんです。
いつも座っていた席にいつのもように座っていて優しく微笑んでいました。
僕は何故だか急に涙が溢れてきて止まりませんでした。
目が覚めた後も夢のことははっきり覚えていて涙が止まりませんでした。
今思えばやけに家の景色も、ひいばあちゃんの姿も光眩かった気がします。
今も田舎に帰って遺影を見るたびに涙腺ゆるみます…
長々とスイマセン。

390 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 00:30 ID:???
>>388
そういうのあるね。
一度子供が好きだというと、そればっかり買ってくるんだよね・・(ウル

391 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 14:39 ID:mmW85OrI
姉は積み木崩しが流行っていた頃そのまんまだった。
青少年何とかセンターとかに相談して先生のいうことを守ったり
姉の暴力に耐えたりしていた。
母は私の前でよく泣き言を言っていたが、厨房だった俺は
親の弱音を見たくなくてつらくあたっていたように思う。
ある日姉が家出をした。当時うちには車もなく、激田舎のため
姉がよく行く繁華街までバスを乗り継いで一時間もかかっていたし
最終バスも午後五時。
毎日毎日会社も休んでしまいにゃタクシーで真っ暗になって帰ってきていた。
何日かして姉は戻ってきたが、水商売したり不倫したり最終的には
未婚の母→略奪結婚してやっと落ち着いて今にいたる。
当時の姉の悪友に「○○(姉の名)が家出した時あったじゃん?
あの時あんたのオヤジ○○を返してくれって土下座しててさ、
そんで、当時の○○の彼氏がオヤジをぼこぼこに蹴ったんだよね。
そんでもじっとされるままになっててさ、返してくれの一点張りでさ。
あたし○○にもうかえんなっていっちゃったんだよね。
親父がかわいそうになっちゃってね」
と、その時の話を聞いた。
姉よ親孝行してくれ、俺もするから。

392 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 14:40 ID:vtyGWcgI
 ↑ ぎゃ―長文スマソ!!

393 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 17:25 ID:7NxP.2i6
みんな家族の思い出があるんだなぁ・・・
どんな人にもドラマありか・・・
涙が止まらないよ・・・

394 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 19:09 ID:2Kb8CH7U
おれが大学4年の時の事やけど、おれは親父とほんとに仲が悪くて
(理由は長くなるから省くけど)2、3年ろくに喋ったこともずっとなくて、
でもさすがに自分ももう大人だし、いいかげん自分から歩みよってこっかなって思い始めてた。
でも、やっぱり急にはうまくしゃべれなくてたまにちょっと話したり、
2、3日話さなかったりしてたんだけど、2月に突然死んじゃった。心臓病でほんとに突然死んだ。
おれは死に目にも合えなかったしどうしようもなく悲しかったけどどうしても実感が沸かなかった。
たぶんおれが、精神的に弱いんだろうけどこれは夢で、起きたらウソでした、ってなるんじゃないかって感じだった。
4月になり就職した会社に初出社する日に母さんが「これ、お父さんがあんたの入社日にあげようと思って買ってたもの。」
ってネクタイを持ってきた。ちょっと、変な柄だったけど親父がネクタイ選んでる姿を想像すると泣きそうになったので、お礼だけ言ってすぐに家を出た。
確かに今考えてもいやな部分はあった親父だったが、自分を育ててくれたのはまぎれもない事実だし、今思えばいいところだっていっぱいあった。
親父はおれが親父のこと嫌ってると思ったまま、死んで行ったのかと思うとほんとに悲しい。生きてる間に色々できたのにやらなかったのは全部おれのせいなんだけどね。
あ-あ、初任給で一緒に飲みに行ったり、初ボ-ナスあたりでか-さんと2人でどっか旅行に連れてってあげたりしようって決めてたのにな。
そ-いった事をきっかけにじょじょに仲直りしようって思ってたのにな。
ま-、今いったってほんとにどうしようもないね。なんかほんとに生きる気力をなくしちゃう感じだよ。
悲しい、悲しい言ってたってどうしようもないしがんばっていくしかないんだけどだけど、それでもやっぱり悲しい。
なんであのタイミングで死んじゃったんだろう。ほんとにあとちょっとでもいいから生きていてほしかったな。
どんな小さな事でもいいから親父孝行して幸せな気分で死なせてあげたかった。
心臓病の原因ってストレスも大きいらしいからおれが殺しちゃった部分もあるんだろうな。
実際、親父に殺すぞとか言ってたし。一生罪悪感を持ったまま生きていくしかないね。
自分の責任だもんな。しようがない。長くなってごめん。

395 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 19:36 ID:oQULCxvw
>>394
あなたの責任じゃない、決してない。
そうとしかいえないが、いつか同じ世界で会えたら
一緒に酒でも飲みながらたくさん話なよ。
罪悪感なんてつらすぎるよ・・・

396 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 21:51 ID:???
二人姉妹なのですが、妹が押さないときはすごいこわがりで、
昔はよくからかってました。
「今夜はきっとおばけがでるね!」っていうとすごくこわがって、
「おねーちゃん、一緒に寝よ!!」
っていってよく一緒に寝てました。

今では私より10センチも背が高く、気も強い妹ですが。

397 :396:02/04/23 21:52 ID:???
×押さない
○幼い

398 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 21:56 ID:???
うちもよく夜中お姉ちゃん叩き起こしてたなぁ、恐い夢見たっていって。
でもお姉ちゃんが中学生ぐらいになると反抗期で、
ブスとかウザイとか罵られ
未だにそれが忘れられないよ。
もっと小さい頃はすっごく可愛がってくれてたらしいけど
それの記憶もなくなるぐらい。

399 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 22:39 ID:kncp1OSQ
小学校低学年の頃。
ハンバーグが好きで、当時一番お気に入りのウサギの絵のついたお皿(直径18cmくらい?)にいつも盛ってたんだけど
ある日、「このお皿くらいの大きさのハンバーグが食べたいなぁ」って言ったら
お母さんが本当に作ってくれました。お皿のウサギが見えない!
すっごい嬉しかったなぁ〜
もちろん一人で全部食べきれないので、家族で食べました。

あんまホローリぢゃなくって ゴメソ

400 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/23 22:45 ID:???
いや!イイ!!!

401 :382:02/04/23 23:31 ID:CEQUywyQ
383最高age

402 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/24 09:52 ID:???
>>358
お父さんは358さんをあえてそこで働かせたのかな?

403 :名無しさん ◆POCHIkas:02/04/26 04:42 ID:???
両親が共働きだったため、小さい頃から祖母に育てられました。
僕が高校の頃には80を越えてたのに、炊事洗濯など家事全般をやってくれてました。
当然、小学校くらいまでは家での遊び相手も祖母で、
昼間は自分の部屋にいる時間よりも祖母の部屋にいる時間の方が長いくらいでした。
高齢にも関わらず、毎日料理してくれる祖母を手伝うどころか
「フランス料理が食べたい」などと我侭を言って困らせたこともあります。
いわゆる反抗期には、祖母に対して八つ当たりしてしまっていました。

そして高校を卒業して大学に進学し、実家を出て一人暮らしを始めました。
ところが、しばらく経って祖母の健康状態も悪化し、
入退院を繰り返すようになっていました。

今年の正月に実家に帰ったとき、祖母は病院に入院していました。
会いに行くと、元々小さな体が更に小さくなっていて、点滴を受けてる姿などを見て悲しくなりました。
でも、そのときは意識ははっきりしていて、僕が見舞いに来たのをとても喜んでくれました。
次に見舞いに行った日には、更に様態が悪化していて、一人ではトイレにも行けなくなっていました。
その日から、学校が冬休みの間、っていっても4日ほどでしたが、
つきっきりで祖母の看病をしていました。
一年前までは家事全般を切り盛りしてくれていた祖母のオムツを脱がせたり
トイレをさせたりするのは、はっきり言って辛かったです。
しかし、段々と事態は悪くなっていって、
3日目くらいには痴呆も進み、僕が帰ってくる前からずっと看病してくれていて、
交代で看病してくれている親戚のおばさん(祖母の娘)たちの名前もわからなくなってしまいました。
だけど、なぜか僕の名前だけは覚えてくれてたらしく、「○○くんが来てくれた」
と嬉しそうに何度も繰り返しつぶやいてくれてました。

404 :名無しさん ◆POCHIkas:02/04/26 04:44 ID:???
だけど、おばさんが「今○○くんは何歳かわかる?」って聞いたとき、祖母は
「8歳」と答えて、「○○くんはかわいいなぁ」と言っていました。

それを聞いたとき、僕は、中学校や高校の頃、気に入らないことがあったら祖母に
当たっていたことを思い出し、申し訳ない気持ちで一杯になって泣きました。
祖母の中で、僕の記憶は8歳で終わったいたんでしょう。
確かに、中学や高校の頃は祖母にひどいことを言ったりしてきました。
祖母に育ててもらっていたのに。。。
思えばずっと愛情を受けてきたのに、いつも文句ばっかり言って、孝行一つしてきませんでした。
小学校の頃、何の屈託もなくおばあちゃんと遊んでいた日を思い出しました。
どうしようもない孫でほんとにごめんなさい。

自分の息子も娘も全員忘れてしまっているのに、小学校時代の僕だけを覚えててくれてたなんて・・・
でもおばあちゃん、大学生を捕まえて「8歳」はないだろ。。。

その後、授業が始まると僕は大学に戻り、普通の生活に戻りました。
そして、3月に、祖母の訃報を聞いて葬式のため実家に帰りました。
看病したときから覚悟はしていたつもりですが、やっぱりショックでした。
おばあちゃん、最後までどうしようもない孫でごめんなさい。

405 :403=404 ◆POCHIkas:02/04/26 04:58 ID:???
長いうえに読みにくい文章でごめんなさい。
しかも日本語わけわかんない。。。
駄レスすみません。でも、このスレ見てたら書かずにはいられませんでした。

406 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/26 10:12 ID:???
>>405
全然問題ない
気持ちが伝わってホローリする

407 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/26 18:38 ID:???
ホローリしたよ。いい話じゃん。いいね。

408 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/27 00:39 ID:???
ホローリっていうか、俺も親にひどいことばっかしてきたな。
今のうちに孝行せねば。

409 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/27 11:54 ID:???
これもいいスレあげ

410 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/27 17:59 ID:???
ここ初めて見たけど涙が止まらないよ…
20過ぎてもまだ両親とは全然上手く行かないけど連休中
実家に帰って話でもしてこようかな…
恨んでばかりじゃ自分もいつか後悔するね…

411 : :02/04/27 20:24 ID:???
俺は家族との思い出がほとんどないから、このスレ見ててうらやましいなって思った。
俺も家族を持つようになったら、こんな体験してみたいなage

412 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/27 23:27 ID:???
おかあさん、昔せっかく買ってきてくれた化粧水いちゃもんつけてごめんね・・

413 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/28 03:06 ID:SkReqw0g
>ALL
ぼろぼろ来過ぎ・・・。

中学生の頃、多感な故の軽い病気で学校で倒れた私。
(その時に学校一、二嫌いな先生に重いとさんざん文句いわれて運ばれた私・・・。)
たいしたことはなかったので点滴うけてぼんやりしてたら
働いてる母が病院にかけつけた。そして私に
「かわれるものなら代わってあげたい」とぼろぼろ泣いた。
(いかん、涙が・・・)
ほんとたいした病気ではなかったのだが心配掛けた。ごめん。
でも、あなたの愛情がすごくよくわかって嬉しかった。
その時の母親の顔は忘れられん。
(いかん、キーボードが見えなくなってきた・・・)

414 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/28 15:48 ID:???
こういうのって地味に、書いてる本人が一番ボロボロ来ちゃうんだよね・・・。
僕もそうだったんだけどさ。。。

415 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/28 17:43 ID:K/jVKnr2
実父は、私が2歳の時にくも膜下出血で他界。
それから4年後、母は現在の父と再婚しました。
まもなく母は妊娠しましたが、母方の祖母が
「いま子供が生まれたら、あの子(私;当時7歳)に愛情が行かんようになる。
かわいそうや」と母を説得し、結局母は赤ちゃんを中絶しました。
父にしてみれば、生まれて初めてできた子供をおろさなければならず
とても悔しい思いをしたにちがいありません。
(初めてこの話を聞いた時は、ショックと申し訳なさで一杯になりました)
ですが、当時もちろん何も知らない私は短気な父のことを
「こわい人」と、内心嫌っていました。
私が10歳、11歳の頃に続けて母は妹と弟を出産。
その頃から、父は少しづつ変わってきました。
母と価値観が違う私は反抗期のせいもあり、真っ向から対立。家の中で孤立する
私を優しく、時に厳しく諭してくれたのは父でした。
不思議と、母よりも父の方が私の寂しさをよくわかっているようでした。
結婚式の日には、生まれて初めて父の目に涙を見ました。
血の繋がらない私を、実の子供と同じように扱い
育ててくれた父に、そして父と私の間に立ち、自ら悪役?を買って出て、
互いが憎みあったりすることのないよう心を砕いてくれた母には、
どんなに感謝してもしきれません。
今は離れた地にいますが、たまに母と電話すると
「パパは一日おきに『○○(私)はどうしてるんや、電話かけたか』って
うるさいのよー。自分でかければいいのにね」と聞かされ、じわっとくるものを
こらえるのにちょっと苦労します。

もう戻ることはないけれど、5人で過ごした実家でのあのにぎやかな日々は、
私の人生の宝物です。

416 :415:02/04/28 17:45 ID:???
あぁ!長すぎて切れてしまいました!
ごめんなさひ・・・

417 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/28 21:29 ID:fUg9oEsQ
>>416全然OKage

418 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/29 00:07 ID:???
もっといっぱいイイ話聞きたいage

419 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/29 16:43 ID:Ig58y9uw
age

420 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/30 21:05 ID:???
良スレage

421 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/30 21:06 ID:a84eJuW2
しまった、下げだった
はずかし

422 :おさかなくわえた名無しさん:02/04/30 22:09 ID:???
もう20年以上も前、私が幼稚園児だったとき、母が入院した。
父はそれまで料理をはじめ、家事全般は殆どやったことがなかったらしい。
毎日の食事のメニューはやたらとパンや買ってきたサンドイッチやらが増えたが、
一生懸命母の代わりをこなしていた。
しかもそんな折、幼稚園の「母親同伴で」という遠足があった。
遠足の直前になってもおやつを買いに行こうととも言ってくれないので心配していたが、
当日はいつもの買ってきたサンドイッチのほかに父が選んで買ってきたと思われるおやつをいくつか持たせてくれた。
自分は仕事で同伴できないから他のお母さん方に何度も「お願いします」と声をかけていた。
サンドイッチもいい加減飽きてたし、おやつもアメばかり3袋!(と他少々)とか子供心にも「?」だったけど、
不思議と寂しい思いはしなかったな。
この時の母の入院がきっかけでそれから父は家事をするようになったそうな。
結婚して3年の私よりも料理はうまいかもしれない。

私も若いときはそんな父ともたくさんけんかしたり、ひどいこともたくさん言ってしまった。
でも実家を出て離れて暮らすと、親のありがたみと自分のしてきた親不孝さはひしひしと感じてしまう。
母が入院してたときの父のがんばりやその遠足のことは、私の大切な思い出のひとつ。
お父さん、面と向かっては恥ずかしくて言えないけど、いろいろとありがとう!

423 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/01 01:17 ID:???
親を大切にしようと思いながらも
いざ目の前にいると憎まれ口きいてしまう。
このスレ見たら、親がいてくれることがものすごく
幸せなことだと知った。
ほんとうに感謝。
連休の家族旅行で目一杯親孝行してこようと思う。

424 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/01 22:54 ID:pwp/BK9M
良スレage

425 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/02 10:56 ID:???
幼稚園の運動会の時だったと思う。
弟は何かの急病で入院してて、母も元々丈夫でないのにいろんなことがあったので
家の薄暗い部屋で寝込んでた。
父は仕事が忙しくて私が起きてるうちには家にはいない状態だった頃。
父が手を引いて幼稚園に連れて行ってくれて、競技に参加したことは覚えている。
お昼時になって周りでは家族でお弁当を広げている幼稚園の園庭から
父は私を連れ出して近くのレストランへ連れて行ってくれた。
私には友達が家族でお弁当を食べていることよりも、
普段一緒にいない父とレストランでご飯を食べることの方が嬉しくて
やたらとはしゃいで父に話し掛けていたけど、父は黙って頷いてるだけだった。
もう20年以上の昔の話だけど、たまにふっと思い出すことがある。
その時の父は辛かったんじゃないのかなあって。
父は勤めにでていたけど、家は父の父が作り上げた家業で、母は必死に切り盛りしてたけど
祖父もガンで蝕まれてて入院したり、弟も急病で入院して、母まで倒れてしまって
途方にくれてたのに、面倒を見なければならない私がいたし・・・。
実家に帰るといつも饒舌な父だから、あの時の妙に寡黙だった父がやけに印象強く残ってる。

426 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/02 19:22 ID:uHm1S/a.
下がってきちゃった テヘ

427 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/02 20:47 ID:???
私は小さい頃、とっても人見知りで、ママがいないとどこにも行けなかったらしい。
それどころか、ママがトイレに入ったくらいで、がんがんドアを叩いて泣き叫んだとか。
おかげでママはいつもドアを開けて用を足していたらしい。
そのせいでうちのママは今でもときどきトイレの鍵をかけ忘れる(W
何度も聞いた話だけど、もうすぐ嫁に行く今聞くと、なんとなくホロリ…

って私だけですよね。すみません…

428 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/03 01:12 ID:???
age

429 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/03 01:58 ID:???
私がまだ幼稚園の年長組の頃。母は出産のために入院しており、
家には私と父が残った。一人弟がいたが母の実家に預けられていた。
私は当然幼稚園があるので家に残ったのだ。しかし仕事人間の父は
例に漏れず食事など作れない…。朝ごはんは毎日食パンかフランスパンに
ジャムを塗ったものだった。それに牛乳。朝はご飯・味噌汁というものに慣れてしまった
私は食が進まず父を随分悩ませたと思う。私が全部食べないと父は心配で
仕事に出て行けなかったそうだ。…しかし今思えばそりゃー毎日毎日パンにジャムじゃぁ
子供は食べないだろうと家族の間では笑いの種になってますが。でも当時はまだ
若かった父なりに一生懸命だったのねとほのぼのします。今も覚えてる、父が「ほら、
○○ちゃん、あーーーんて!一口で食べたらガチャピンに誉められるよ!ジャムも
甘いくておいしいよ!はい、お父さんの真似してごらん!」と言って大口開けて
パンを食べていたのを…。父も警察官で仕事が忙しくて朝はさぞかし早起きがつらかった
であろうに…。(前の日は署に泊まりで寝てないときとかもちゃんと朝起きて
私に朝ごはん食べさせていた)

430 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/03 12:23 ID:???
ここ読んだみんなは、
GWに家族といい思い出作ってるかな〜。
みなしゃん良い休日を!
私は仕事です・・・長い間、実家に帰れなくてごめんね、お父さんお母さん。
来月には何とか帰るからね〜

431 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/03 21:13 ID:???
良スレage

432 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/04 00:49 ID:uahZozCY
最近携帯を持ち始めた母。
弟達にメールの打ち方を教わり、実家を離れている私に
メールを送ってくれる。
パソコン、ゲームもろくにできなくて、私たちにからかわれていた母が
送ってくるメールは、変換も句読点もない。
でもとってもあったかい。
無機質な携帯なのに。

433 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/04 00:59 ID:???
>>432
メールの句読点は不評です

434 ::02/05/04 03:31 ID:???
>>433
ある程度は必要だと思われ。

435 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 04:44 ID:???
実家は個人商店だった。
お袋も実家から少し離れた店に出ていることが多く、物心つく前から、
お袋方のばあちゃんがおれの面倒をよくみてくれていた。
ばあちゃんの家は実家から車で20分程度の距離にあって、
その頃はお袋の兄貴が実家まで送ってくれていた。

おれが大きくなって、自分の身の回りのことができるようになると、
ばあちゃんの出番は少なくなった。
しかし、そのころからばあちゃんは車で20分の距離を歩き、一人で来はじめた。
片側1車線の歩道もろくに整備されていない道を、何時間もかけて歩いて来た。
バスは通っていたけれど、とにかく歩いてきた。数ヵ月に1回くらいの割合で。
ばあちゃんの家にいる従兄弟はばあちゃんを相手にせず、
その家の嫁ともうまくいっていなかったのを知ったのはずいぶん後のことだ。

ばあちゃんの来訪は長く続いた。ただ歳を取るにつれて、お袋の兄貴が送って来たり、
お袋が迎えに行くことも多くなった。1泊程度泊まって帰るのが常だった。
10代も終わりを告げようとしていた頃のおれに対して、
ばあちゃんは何度か部屋のドアをノックし、微笑みながら顔をのぞかせる。
おれは邪険ではないにせよ、つっけんどんな態度をとっていたような気がする。
親父やお袋に反抗的な態度をとっていた手前もあったかもしれない。

ばあちゃんは近くの店で菓子やらパンやらを買ってくる。
おれがいくつになっても「おあがんなさい」といって買ってきてくれるのは、
いつもだいたい同じものだった。そしてジュースといえば三ツ矢サイダーだった。
そんなばあちゃんのことがおれは好きだった。

ばあちゃんに異変が起き出したのはおれが仕事を始め、
一人暮らしをするかしないかの頃だった。
おれの実家に来て、散歩に出かけるとなかなか帰ってこられない。
「どうもボケが始まったらしい」そんな話が出てからもしばらくは小康状態で、
それほど心配はなかった。

436 :435:02/05/05 04:47 ID:???
おれが一人暮らしを始めて2年ほど過ぎた8月中旬、
世間はお盆休みだったが仕事の都合でおれは会社にいた。夕方実家から電話がかかってきた。
「ばあちゃんがいなくなったらしい」しかも昼前から見かけていないという。
「すみません、ばあちゃんがいなくなったらしいんです。帰ります」
あわてて電車に飛び乗り、車でばあちゃんの家に向かった。
大事なものの価値を普段は見失いがちだ。失いそうになって初めて気づく。

ばあちゃんの家につくと同時に、警察から保護されたという知らせが入っていた。
おれは竹やぶのなか、一人で泣いた。
戻ってきたばあちゃんはちょっとビックリしたような感じだった。
照れくさそうにしているようにも思えた。
久しぶりにばあちゃんのそばで寝たが眠れなかった。
発見された場所は知り合いも誰もいない10キロ近く離れた住宅街だった。
発見者によると、ヨロヨロしていて危ないなあと思っていたら、
歩道と車道の段差で転んでしばらく動かなかったので、声をかけたという。
記録的な炎天下の中、どこへ行こうとしていたのだろう。
この日を境にばあちゃんの痴呆が進んでいった。

介護施設から老人病院と送られ、見舞いに行くたびにやせ細っていった。
車椅子から寝たきりへ。思い出も何もかも失って、
あの日から数年過ぎた8月終わりの残暑の中、旅立った。

最近、法事でばあちゃんの家にいった。
昼飯を食いながら従兄弟が「ばあちゃんはいつも同じ菓子買ってきてさぁ」
とウンザリした口調で言うのに腹が立ったが、黙っていた。
飯を食い終わって家の周りをブラブラしていると、
裏の小屋にばあちゃんが愛用していた小さなカートが置かれていた。
バスケットの中をのぞいてみると、ばあちゃんがよく買ってきてくれた
菓子の空き箱が入っていた。
「これになんの文句があるんだよ、バカヤロウ」 ボロボロ涙が出た。

ゴメン書いてたら止まらなくなった。長文すまん。

437 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 05:30 ID:???
ホローリ来た。眠いのに。。。

438 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 06:17 ID:5AojTgtc
ダンナの転勤で生まれ育った東京を離れて大阪に来ました。
引越の日、東京駅まで両親に車で送ってもらい、路駐してるからと八重洲入口までしか見送れなかったのですが、
私達の姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振ってくれました。
母はウルウルしてたし、私も泣きそうでした。
いまでも実家から大阪に帰るとき、駅の改札や実家近くのバス停で、もういいよっていう位、ずっと手を振ってくれます。
それ見るとほんとホローリしてしまう・・

439 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 08:58 ID:y4bMoe7M
>436
泣いた。

みんなそれぞれドラマがあるんだなあ。
親孝行したいときには親はいない、って言葉の意味が骨身にしみるほど
思い知らされるよ。

440 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 15:27 ID:???
オレが8歳のとき母が癌で亡くなった。
5歳上の姉と3人暮しになったが、掃除洗濯食事の用意など
自営の仕事をしながらすべて親父がやってくれていた。
オレ達姉弟の事が不憫だったんだろう。

ある日親父が晩飯の用意をしてる時、炊飯器から保温ジャーに御飯を
移そうとしてこぼしてしまった。親父は、あ〜あと言って拾いながら
涙ぐんでいた。情けなくなったんだろう。
それを見てオレと姉もポロポロ泣いた。

441 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 16:15 ID:???
良スレage

442 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 20:08 ID:???
(=゚ω゚)ノ ぃょぅ!祝ってくれぃょぅ!(=゚ω゚)ノ 
http://caramel.2ch.net/test/read.cgi/candy/1020567282/l50

443 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/05 23:49 ID:???
思い出じゃないんだけど・・・
身内(特に両親)が肩身の狭い思いをしたり、
情けない思いをすると、自分のこと以上につらい。
父が働いてたときのことなんだけど、
父は家族旅行に行っても、会社におみやげを買わない。
私が「会社に買ってけば?」と言っても「いや、いいんだ」の一点ばり。
私が「たまにそういう気遣いをすれば会社のコミュニケーションも
良くなるんじゃない?」というと、さみしそうに
「以前女子社員に出張のおみやげを買っていったことがあったんだけど、
手つかずのまま冷蔵庫に残ってて、そのあと捨てられてた。
それ以来絶対買わないようになった」とさみしそうに言った。
それを聞いて、猛烈にその女子社員に腹がたった。
もし、忘れてたとか嫌いなものだったとかで食べられなかったとしても
買ってきた人にわからないように捨てるのが当然じゃないのか?
父にそういうさみしい思いをさせた女子社員には今でも怒りを覚える。
そしてそれを口に出させた自分にも怒りを覚える。
そのお菓子を見るとそのときの怒りがよみがえってくる。

444 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 01:46 ID:sCHfIiGo
良スレ揚げ

445 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 02:01 ID:???
>436
最後のセリフがいい

446 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 14:06 ID:???
結婚して実家を出るとき、父と母の新婚当時の写真を見つけた。
狭いアパートのベランダで、おそらく結婚祝いの花束を
もって微笑んでいる母、台所で炊事をしている母の後姿、
アパートの前で得意げに立っている父。
「この人と夫婦になれて本当にうれしい!」という気持ちが
古い写真から伝わってきて、結婚する自分の気持ちとも重なって
ホロリときた。

家族との思い出じゃないのでスレ違いsage

447 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 16:49 ID:???
>>446
でもいい話じゃん(w

448 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 19:29 ID:???
俺はじいちゃんっ子だった。高校生くらいになると、
冗談や軽い皮肉みたいなことを言い合うようになって、
お互い笑いあうような仲良しになっていた。
俺が高校卒業してまもなくじいちゃんは癌で入院した。
あっという間に死んでしまった。
俺は今就職活動をしてるんですが、最近夢にじいちゃんが出てきて、
「就職決まりそうか?俺が知り合いにでもあたってみようか?
お前は生意気だからどこも雇ってくれないだろう?」
みたいな軽い皮肉を言われ、俺は夢で、
「じいちゃんのコネなんてたいしたことないじゃーん」
と、生意気な口をたたき、お互い笑う。というのを見た。
このことをばあちゃんに話したら、あんたのことすごく心配してたんだよ
といわれた。
天国でも俺のことを心配してくれてんのかと思い、涙が出た。
もう生意気なこと言わないからもう一度夢に出てきて欲しい。

あんまり泣けないからsage

449 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 19:35 ID:QmA.X0OY
>443
それはその女子社員がDQNでしょう。
そういうのがいるから(私事なので略
ま、変な部下がいたのはお気の毒ですが、
もしそのことを引きずっているのであれば
そんな必要はないでしょう。
明らかに常識はずれのDQNですから。
そういうのがいるから(私事なので再び略
今はのんびりしていらっしゃるんでしょう。
お父様も<443も忘れちゃいましょう。

450 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 19:51 ID:???
>>448
通りすがりに読んで、涙がでちゃったよ・・・

じいちゃん、天国で楽しく過ごしてたらいいね。

451 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 21:46 ID:???
良スレage

452 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 22:58 ID:nQT0eBiA
中学生の頃、母が病気で入院する事になって、冬休み中だった私が
家事を引き受けることになった。
慣れない事で失敗ばかりだった私を見ても、父は怒らず、
「出来る事だけのんびりやっといてくれたらいいから。」と笑っていた。

家事にも慣れて来た頃、私は父が店屋物や出来あいの惣菜などが嫌いなことを
思い出し、「お弁当、作ってみようかな」と思いついた。
手際が悪いから、朝5時から作っても、父の出勤時間にようやく間に合うような有様だったので、
当然見た目も、母の作ったものには到底及ばず、味も自信なし・・・。
でも父は、「今日の弁当うまかった、明日も頼むな。」と言ってくれていた。
(食事の時間、苦痛だったろうな・・・と思う・・・。)

そんなある日、父が忘れた設計図を届けに行く事になって、会社につくと、
ちょうどお昼時で、事務員さんに断って、設計部の部屋に行くと、
中から父や会社の人たちの会話や笑い声がしていた。
中に入ろうとノックしようとした時、父の同僚の人がこう言った。
「最近、なんだかお弁当がいつもと違うようですけど、奥さんと喧嘩でもしたんか?」と。

父は「これは、娘が作ってくれたんだ。」と答えた。(母が入院している事は、
会社の人には言っていなかったらしい。気を使われるのが嫌だったらしい。)
私は凄く恥ずかしくて、泣きたくなった。
私のせいで、お父さんが恥をかいたんだと思った。
その場を離れ、事務所に戻り、事務員さんに設計図を父に渡してくれるように頼み、家に帰った。

453 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 23:03 ID:klL3GZNY
その後お父さんはみんなにうらやましがられたんだよ、きっと。

454 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 23:08 ID:???
>452
お父さんきっと胸をはって「よくぞ聞いてくれた!」って思いながら
「これは娘が慣れない手つきで俺のために朝早くから起きて作ってくれたんだ。
最高のお弁当なんだぞ!」って気分で言ったんだと思うよ。
だってどっから見ても誰が聞いても自慢の可愛い娘を持った立派なお父さんなんだもん〜

455 :452:02/05/06 23:08 ID:nQT0eBiA
父は「これは、娘が作ってくれたんだ。」と答えた。(母が入院している事は、
>>453
ありがとう。でも、もう少し続きます(汗

その日の夜、帰ってきた父はいつものように空になったお弁当箱を私に渡し、
そして、その後で、ケーキの入った箱を差し出した。
「ご飯の後で一緒に食べような。」と言いながら。
辛党で、甘いものなんてめったに食べない父なのに。
箱を開けてみると、中にはショートケーキ、チーズケーキ、チョコレートケーキ、シュークリームなどなど・・・10個も入っていた。
「何でこんなにいっぱい買ってきたの?」と聞くと、
「お前の好きなケーキ分からなかったから、店の人に適当に詰め合わせてもらったんだ。」と。

ご飯の後、二人でケーキを食べていると、父が言った。
「・・・明日もお弁当頼むな。」
父は事務員さんから私が設計図を預けていった事を聞いて、私がお昼の時の話を聞いていたことを察したのだ。
その後食べたケーキの味は覚えていない。
泣きながら食べたので、喉につかえるような感じがしたのは覚えているが。

父は私が高校を卒業した年に、病気で亡くなった。
今でもケーキを見ると、父のことを思いだす。
そして、今、旦那にお弁当を作っている時にも、よく父のことを思い出す。
不器用だったけれど、誰よりも優しかった父のことを。

父が死んだ時、形見分けに、衣類やタイピンなどと一緒に、その時のお弁当箱を貰った。
暇な時に時々取り出して眺めている。

・・・長々と書き連ねてごめんなさい。

456 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 23:12 ID:???
・゚・(ノД`)・゚・。・゚・(ノД`)・゚・。

457 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/06 23:40 ID:???
母親が病気で他界する前に俺に渡した箱、
その中には毎年誕生日に開けるようにと書かれた
封筒5年分。誕生日が来て封を開けてみると、
中には1万円札と俺への手紙が入っていた。
病気でほとんど動けないのに、俺なんかのために...
と思ったら、ボロボロ涙がでたよ。

458 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/07 00:45 ID:???
今日は、母が祖母の家に行ってしまったので、私が晩ご飯を作った。
みそ汁にダシを入れすぎてしまったけれど、それでも父はおいしいと言ってくれた。
なんだか、心が暖かくなった。

459 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/07 14:26 ID:sAKl3Kms
いっしょに住んでいた祖父が亡くなって8年がすぎました。

私ははじめての内孫だったので、とてもとてもかわいがってもらいました。
ある日、おじいちゃんに大きな賞状と銀杯の入った木箱が届きました。
そのころ小学校低学年だった私はなんだかよくわかっていなかったのですが、
国のえらい人からもらったときかされていました。

おじいちゃんは散歩中に転び、そのまま入院。
なぜかそのころの私はおじいちゃんに思い入れがなく、
お見舞いにもあまり行きませんでした。
そんなときにブラジルに住んでいるいとこがおじいちゃんのお見舞いにきました。
たくさんのチューブでつながれたおじいちゃんを見て泣き崩れるいとこを見て
わたしは違和感を覚えていました。

おじいちゃんはそのまま亡くなってしまいました。

そして、この間のシドニーオリンピックの後、金メダルを取った選手がテレビの中で
おじいちゃんと同じ賞状と銀杯をもらっているのです。
おどろきました。
おじいちゃんはそんなにすごい人だったんだ。
ソ連の捕虜になって帰ってきたことで銀杯をもらったらしいのです。

生前のおじいちゃんから戦争の話を聞いた記憶はありません。
もうおもいだしたくないのか、今の平和なせいかつを楽しんでいるのか、
おじいちゃんの気持ちを考えると涙が出てきます。

長々と失礼しやした

460 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/07 15:29 ID:???
もう三年父と会話してない。。。

461 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/08 08:25 ID:sZv6BVN6
みんないいなぁ。羨ましくて涙出た。
皆みたいなイイ話、うちの家にはないよ。。。

462 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/08 09:24 ID:???
>>460 話ししれ!!もし今 お父さんになにかあったら絶対後悔するよ。意地張らずにがんがれ!

463 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/08 10:27 ID:???
私ももう10年近く父親とまともに会話してない。家庭内一家離散。

先日資料に使うために赤ちゃんの頃のアルバムを引っ張り出して置いたら
次の日の早朝父が何度も何度もアルバムを見返していた。
昔は仲のいい家族だったんだよなあ。。。

464 :ウマー:02/05/08 18:21 ID:MpcxFlIg
ageっぞ( ゚Д゚)ゴルァ!!

465 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/08 18:37 ID:NHh9AyPM
結婚するときに、母が着物をくれた。「これもいいの?これも?えーこんなにかわいいのもいいの?
ありがとう!!」と大喜びしたら、母が急に、父にすがって「娘なんて産むんじゃなかった」と号泣。
いつもはものすごく気が強くてバリバリしている母のそんな姿をはじめてみて
なんか、感動した。

466 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/08 21:08 ID:???
>465
一瞬、着物をあげるのが悲しくて
泣き出したのかと思っちゃった…。鬱。

467 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/08 22:54 ID:???
感動age

468 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/09 00:31 ID:???
物心ついた時、仏間には3人の写真が飾られていた。
一人は自分が生まれるはるか前に無くなった祖父。
一人は父の兄(異母兄)写真の隅には若い女の人の小さな写真が入っている。
一人は父のもう一人の兄(同母兄)。

最近になって知ったのは、異母兄は昭和20年3月、南の海で戦死していた。
隅に入れられていた写真の女の人は婚約者で、異母兄を追って自殺したらしい。
そして同母兄は22歳の若さで事故死。父はまだ小学生くらいの頃だったようだ。

何も知らなかった私は必要以上にべたべたと世話を焼く父が嫌いで嫌いで
もう何も構わないでくれと思っていたんだけど、
あれは兄弟も自分の父親も早くに亡くした故の愛情表現だったのだろう。
ごめん、父。

469 :465です:02/05/09 15:55 ID:B6BzHtY2
>466
自分の書き方も悪かったね。実家の母がとっておきの着物をくれたもんだから
はしゃいじゃってさ、自分。
母親の寂しい気持ち全然考えていなかったんだよね。
書き込みと同時に反省。

470 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/09 22:03 ID:2EzzI1pc
去年のゴールデンウィーク前のことでした。
東京の大学に通い、一人暮らしをしている息子から電話がかかってきたんです。
たまに連絡はよこすものの、サークル活動やアルバイトに忙しくて
盆にも正月にも実家に帰ってこない息子だったのですが、
暇だから久しぶりに実家に帰りたいと。
しかし早目に就寝しており、その電話で起こされたため不機嫌だった母親の私は、
思わず「何でこんな時間に電話してくるの。忙しいから帰ってこなくていいよ」
と言ってしまいました。息子は「あーそう」と言って電話を切ってしまいました。
起きた後、せっかく息子が帰ってきたいと言うのに申し訳ないな、
謝ろうかなと思いましたが、なかなか電話をかけられずにいました。
その時、まさかあの電話が息子との最後の会話になろうとは思いもよらなかったのです。
そして電話の件も忘れかけた5月4日の夕方、警察署からの電話で事故のことを知りました。
原付でアルバイト先に向かう途中、トラックと衝突し車輪に巻き込まれたそうです。
私は夫、娘とともに息子が運ばれた病院に駆けつけましたが、
息子は、すでに息を引き取った後でした…。

471 :470:02/05/09 22:04 ID:2EzzI1pc
私は頭がパニック状態で、涙も止まらず、声が枯れるまで息子の名を叫び続けました。
そして息子の葬儀・通夜も終わり、私も少しは落ち着いてきた5月13日のことでした。
私あてに、ひとつの細長い箱が宅配便で送られてきました。
なんと、送り主の欄は息子の名前が、息子の字で、書いてあったのです。
箱を開けると、「お母さん、ありがとう」のメッセージとともに、
たくさんの、色とりどりのカーネーションの花束が入っていました。
事故に遭う前の息子が、母の日に合わせて送ってくれたものです。
今まで、母の日に何かプレゼントしてくれたこともないのに、
大学に入り、アルバイトを始めたので、送ってくれたのでしょう。
私は、その天国の息子からの贈り物を抱えて、
夫とともに、何時間も何時間も泣きました。
あのゴールデンウィーク前の電話、どれだけ悔やんだことでしょう。
あの時、「帰ってらっしゃい」と、この一言を言っていさえいれば、
息子はこの世にいたのかもしれないと思うと、自分が恨めしくて仕方ありません…。
息子の一周忌が過ぎ、今年もまた、母の日がやってきます。
息子からの宅配便は、もう届くこともありませんでしょうが…。

472 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/09 22:06 ID:6vUkGUpY
>>468
泣けた・・・・

473 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/09 22:08 ID:???
>>570-571
なんと言ってよいか…

474 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/09 22:08 ID:???
>470悲しい話です。。。
不謹慎だけど、いいお話ですね。

475 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 01:03 ID:cBAVVrew
俺が小学校の頃、まわりのみんなはファミコンもってて
おれだけもってなかった。すごいうらやましかった。
俺の母は子供におもちゃなんかを全然かってくれない人で
母に言っても無駄だろうと内心あきらめていた。
そんなある日、家に帰るとなんとファミコンがあるではないか!
『ファミコン!ファミコン!』とおおはしゃぎする俺。
『これどうしたん?』と母に訪ねると
『おまえがあまりにもほしそうにしてるから』と笑って答えた母。
たぶんどこかで俺がファミコンほしがっているのを聞いたのだろう。
あまりにうれしかったんでよくおぼえている。
あのときの母の笑顔がわすれられない。

476 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 01:23 ID:???
>>475
おわ〜なんだかいいね!
期待してないのに一番欲しいものを貰ったときっていいよね。
こーゆー話大好きだ!

477 :おさかなくわえた名無しさん :02/05/10 02:18 ID:Qp20jk42
小学三年生の時、親から単身赴任をするかもしれないと聞いた。
なんとも思っていなかったが
明日その発表があるといわれた日の夜
その頃は親と一緒に寝てたのだが
親の背中を見て、急にとても悲しくなって泣いた。
今までの何よりも悲しくなった。
まるで一生会えないかのように。
「お父さん行かないで」と叫びたくなった。
親の背中に抱きつきたくなったが
手を当てることで我慢した。
その日感じた父の背中は今までで一番暖かかった。
その日は寝なかった。
というより、寝ることが出来なかった。

478 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 02:21 ID:h/SDKzM2
>>477
私も夫が単身赴任するというとき、どうしてこれから
生きて行こうかというくらい寂しかった、が、3ヶ月も
したら慣れたよ。しまいには飛行機代もったいないから
無理に帰ってこなくていいよ、とまで言うようになった。

479 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 02:39 ID:???
小学校5年の時の宿泊訓練、
お小遣いは学校で決められてて1500円だった。
たった2日で1500円使っていい、なんていうのは私にとっては大変な事で、
お土産屋さんの中を右往左往してすごく迷った。
家族のみんな用に名物の飴をかって・・・500円
弟と妹にしおりを買って・・・・・・・400円
あと600円の使い道にすっごく迷っていた所に、
かわいい貝殻のハートがついてる指輪を見つけた。
そういえば、お母さん、太っちゃって婚約指輪も結婚指輪ももう入らないって、
悲しそうに眺めてたな・・・と思い出した。
値段を見たら500円。
買えるじゃん!
私は嬉しくなって、その指輪を買った。
帰りの電車の中、残りの100円で買った缶のクリームソーダを飲みながら、
お母さんが喜んでくれるといいな、とそればっかり考えてたよ。

480 :479:02/05/10 02:59 ID:???
おうちに帰ると弟と妹が話を聞きたくて集まってきた。
母親も、リュックから洗濯物を出すのに、居間に来た。
まず、名物の飴を出す。その飴は美味しいので有名で、みんな喜ぶ。
そして、弟と妹にしおりをだす。
しおりってそんなに使わないだろうけど、綺麗に切り細工してあるしおりで、
弟たちはしげしげとその細工を眺めて嬉しそうにしていた。
最後に、母親に包みごと指輪をあげた。
母親は最初にこにこしながら包みを開けたけど、
指輪を手にとって眺めて、「こんなおもちゃの、いらん」と言った。
それは、照れてるとかそういうんじゃなくて、ほんとにいらないっていう表情だった。
その夜はひとり、布団の中で泣いた。

今思えば、確かに子供3人も産んだ大人がおもちゃの指輪なんて要らないだろう。
けど、「ありがとう」の一言くらい欲しかった。
母親の喜ぶ顔を見たくての一心だったのに。

それ以来、私は母親に心を開く事はなくなった。

481 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 03:01 ID:shgtvLSY
>>479
ほのぼのしてて、いいねー。イイ子なんだなーって伝わってくるよ。
お母さんは、喜んでくれた?きっとあなたのお母さんなら、喜んでくれたよね。
私なんて、小学校2年のとき年子の妹と共に貯めた、なけなしのお金でネックレスを
買った(当時で4500円。今23歳です。)のに、しかも、雑貨屋とかじゃなくて
大人の人が入るようなアクセサリーショップで、「ガキが何の用よ?」って目をした
ドキュソ店員に応対されながら購入したものだったのに、メチャクチャ喜んでくれた後、
母から言いにくそーに「でもね・・・アクセサリーは自分で買うから、もういいわ。」
って言われたよおお!!いかにも、気に入らなかったってニュアンスだったから
当時は本当に悲しくなって、陰で号泣しちゃったよ。
まあ、母のことは今も昔も大好きなんだけどさ。

482 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 03:08 ID:???
俺には10歳離れた兄がいる。この人は人が良いを通り越して怒ることも知らない人だった。
俺が8歳のとき、兄はうちの地域で一番の学校でトップの成績をとって、日本で3本の指に入る大学に推薦で入学した。
兄とは帰ってくるたびファミコンをやったり、キャッチボールをしたり、ゲーセンに連れて行ってもらったり。
でもさすがに大学院に入ると、以前のようなペースで帰ってこなくなった。

そんな折、今度は7歳離れた姉も大学に入学、上京することになった。
この姉も面倒見がよくて、受験勉強中も俺にかまってくれた。
たまに東京に遊びに行くと嫌な顔ひとつせず付き合ってくれる人だ。
そして母親と引越しを手伝っていざ帰郷…その新幹線の中では涙が止まらなかった。

…なんて幸せな兄姉を持ったんだろうと思った。
普段はどんな話を聴いても泣かない男だけど…本当にいい思い出がなければ、涙なんて出ない。
その後1週間は夜な夜な泣いていた。

あれから数年経って、兄は某大手企業に就職、先日結婚した。
姉もある店の副店長をまかされたようだ。
そして俺は今、東京方面の大学を目指している。
(両親には悪いのだが)人生で最も「好き」で「尊敬」する、彼らに近づくために。

483 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 03:21 ID:???
>>481
タイミング悪いのぅ

君たちに対する自慢とかじゃないけども
うちの母親の誕生日に、父親の帰りが遅いということで俺は早めに夕飯を食った後、
こっそり家を出てケーキを一切れ買ってきた。
後で母は父と一緒に一切れのケーキを泣きながら食べてくれた。

人への思いやりとか、やさしさとかにすげぇ意識を傾けるようになった気がする。
>>480>>481のお母さんは少し配慮が足りなかったみたいだね・・・

484 :481:02/05/10 03:31 ID:AXMmDuDM
うわあ・・・まさか479のオチが自分と同じとは思わなんだ。
479さんは母親に心を開かなくなり、私はますますベタベタしたところが違うけど。
私は、根っからの甘えん坊だった・・・てゆうか、現在進行形。(W
母は自分に正直だったいうだけだし、父はものすごい過保護だから
483のようなエピソードもたくさんあるのよ。
でもやっぱり、いつまでも鮮明に覚えているのは、嫌な思い出のほうなんだよ・・・。

485 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 05:49 ID:???
大好きだった母方の祖父。結婚式のときにはもう弱っていて花嫁姿を見てもらえず、
亡くなったときも私一人県外に住んでいて死に目に会えなかった。結婚式の時の
一番いい写真を棺に入れたけど、直に見て欲しかったよ。

初出場の全日本大会は、よりによって祖父の命日。
法事には行けないが、じいちゃんに捧げる一勝を挙げたい。
明日出発。じいちゃん、行ってくるよ。

486 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 23:49 ID:???
age

487 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/10 23:58 ID:???
小学生の時、母親の誕生日に服を買った。
当時の私は自分の欲しいものも何にもなくてやたら貯金してたから小学生としては金持ちの方で、
自分ひとりでデパートに行って、子供服のお店で160のベストを買った。
今考えるとすっげぇいらないと思う。
それをあげたら苦笑しながらも受け取ってくれたし、
授業参観の時にさも今脱ぎましたって感じで脇にそのベストを持っててくれた。
口が悪くてめちゃくちゃ怖かった母親だったけど…いいお母さんだったんだなぁ。ほろり。

488 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/11 23:11 ID:???
ホロ〜リage

489 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/11 23:19 ID:dR66.kpk
「子供のセンスで大人のために選んだオシャレモノ」って、大人にとって
けっきょくは「こんなもんいらないよ・・・」ってレベルなんだよね。
着てくれたり使ってくれたりするのは、優しさもあるかもしれないけど
相当の勇気も伴うと思う。私はセンスがありませんって公言するようなもんだから。
いくら良い親でも、できることとできないことがあるだろう・・・

490 :479:02/05/11 23:28 ID:???
>>481
あら。タイミング悪かったね・・・なんかいい話でなくてごめん。
でも、481さんのお母様は一応でも
>メチャクチャ喜んでくれた
っていうのがあるのがその後の母親との関係が違うところだと思いますね・・・

491 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/11 23:56 ID:???
私の祖父はとにかく家族を愛して止まない人だった。
学はないけど、がむしゃらに働いて一代で会社をたてて
自慢の祖父だった。

しかし、私が小学三年生の頃、肺がんで寝たきりになってから
祖父は痴呆になってしまった。大好きだった祖父の面影は無く、
惨めで怖くてそんな祖父を見るのが嫌でだんだんお見舞いにも
行かなくなった。その時には私の名前さえ忘れていたのだから・・・

そんなある日、祖父が危篤との連絡があり祖父の下に一族が集まった。
でも皆現実を受け入れたくなくてテレビを見たり、悲壮な感じはなかった。
私も雑誌を見て母の誕生日プレゼントを吟味していた。その結果淡水パールの
ネックレスが良いという結論に達し、喜んでもらおうと祖父の枕元にいる母に
報告した。するともう何も分からないはずの祖父が

「亜紀、いくらいるんだい?お母さんに贈ってやりなさい」

それが祖父の最後の言葉だった・・・
すがり付いて泣く母等を私は呆然と眺めていた。涙も出なかった・・

何でもっとお見舞いに行かなかったの、どうして一瞬でも鬱陶しい
と思ったのだろうと今でも後悔しています。皆さん大切な人が
生きている間に精一杯想いを伝えてあげて下さい。
長文スマソ

492 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/12 04:35 ID:???
まるで昼寝でもしているようにしか見えなかった。
でも、血の気の失せた弟の顔は、朝見た時とは明らかに違っていた。

先天性の心臓疾患だった。弟は生まれてきてから半年も経っていない、あまりに早すぎる別れだった。
体を覆うようなたくさんの花に囲まれた弟の胸元に、僕は二つの紙飛行機を置いてやった。
一つには僕の名前を、もう一つには弟の名前を書いた。
死ぬということがどういうことなのかいまいち理解できなかった僕にも、それが永遠の別れであることはなぜか本能的に分かった。
でも、僕達は、遠く離れていても兄弟だから。
二度と会えなくても、この世で二人の兄弟だから。
僕は、その飛行機に幼い願いを込めた。
僕達の絆が離れませんように。

弟と同じ遺伝子を継いでいる僕に心臓病の疑いがかけられたのは、いつのことだったろうか。

弟との絆は、あまりに色濃く僕の体に焼き付いていた。
いつの日か、僕も、もしかすると弟と同じようにして二度と覚めない眠りについてしまうのかも知れない。
幼い日の願いはあまりに残酷に、僕の人生を蝕んでいる。
でも。
僕はもう一人の自分の死を幼い頃に見ている分、死に対して落ち着いた考えを持てたような気がする。
決して怖くはない。
一度しかない人生、どこまで行くことができるかは分からないけれど。
僕は精一杯、生きようと思う。

生きて生きて生き抜いて、いつの日か眠りについたなら、
紙飛行機に乗って、弟に会いに行こう。

493 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/12 05:11 ID:???
>492
感動したよ…

494 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/12 20:20 ID:???
母の日上げ

495 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/12 23:20 ID:???
うちの父も心臓疾患。
子供達(3人姉妹)に病気が遺伝していないか、生まれるたびにとても心配していた。
先日、次女である妹(すでに成人)に、先天性の心臓疾患が見つかった・・・
>492が人ごととは思えない。

496 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 00:37 ID:???
>>482
悪いけど、そんな話じゃホローリできない。
どのへんに感動すべきなのかもわからない。
一生、自分の頭の世界だけでリスペクトしてろ。

497 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 00:41 ID:???
>>482
上京してくる人ってみんなこんな決意を胸にやってきてるの?
時代劇見てるみたいだよ。ちょとこわいな・

498 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 00:58 ID:LZwrAyWA
私の母のいとこにあたる叔母Mおばさんの話です。
私が1才半を過ぎた頃に妹が生まれました。
その頃から家におばあちゃんや親戚がきてもみんな私に目もくれず、
生まれたばかりの妹のほうに一目散で「あっ笑った、かわいい!」
少しでも私が話すと「うるさいxxちゃん(妹)が起きるでしょ、もうお姉さんなんだから」
と何も悪くないのに叱られてばかりいました。
そんな中、母のいとこのMおばさんだけは違いました!
誰にも相手にされない私を見たMおばさんは
「OOちゃん(私)が何も悪いことしてないのにかわいそうだ」と唯一遊んでくれました。
その後も「この子(私)人見知りなのに私にだけなついてくれたから嬉しい!
私は妹のxxちゃんよりOOちゃんのほうが大好き!」と言って、
妹よりも私のほうを特にかわいがってくれました。
妹はいつもイタズラをしたのを私のせいにし、そのたび私が親に叱られました。
親は見てもないのに私が「xxがやったの!」って言っても「妹のせいにするな」と怒りました。
ある日Mおばさんが家に遊びに来た時、また妹が私のせいにして母に叱られました。
するとMおばさんは母に「ちょっと待って、今のOOちゃんがするところを見たの?
見てないのにどうしてOOちゃんがやったなんて言えるの!今のはxxちゃんが悪い!
ママもxxちゃんもOOちゃんに謝りなさい!」と母と妹を叱ってくれたのです。
<つづく>

499 :498つづき:02/05/13 01:07 ID:LZwrAyWA
Mおばさんはいつも私の味方になってくれ、いちばんの理解者でした。
13才の時、私は生理がきました、Mおばさんは「OOちゃんも大人の仲間入りだ」と
レストランに連れて行ってお祝いしてくれました。
そして私が家から遠い私立の女子高に合格した時ものすごく喜んで
「よかったよかった、遠いけど気をつけていくんだよ」と言ってくれました。
その年、Mおばさんは吐血で病院に運ばれて末期の肝臓ガンと言われました。
私が高校2年の時、Mおばさんは亡くなりました。
私のことをいちばん理解してくれたMおばさんには今でもこれからも、
感謝の気持ちでいっぱいです!

500 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 01:20 ID:a2A3b4iQ
>498,499
やだ、涙出てきそう・・・。Mおばさん、ステキ!
私も第一子だし、下の子ばかり可愛がられて、何でも自分のせいにされて叱られる
っていう経験をイヤというほどしてるから、
Mおばさんのような人の存在がどんなに心の支え・救いになるか、よくわかる。

501 :498:02/05/13 01:36 ID:LZwrAyWA
>>500
レスありがとうございます。
Mおばさんがいたから今まで何があってもがんばれたと思います。
おばさんがいなかったら、今の私はないと思います。

502 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 14:14 ID:???
age

503 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 15:00 ID:FRpFEUpw
父はクリスマスが嫌いだった。
子供の頃から「サンタはいない」と教えられていた。
誕生日プレゼントは買ってくれても、クリスマスはケーキ止まり。
かといって熱心な仏教徒でもなかった。仏壇で手を合わせる姿など見た事も無い。
子供の頃、それが不思議でたまらなかった。
高校生の時、祖母が亡くなり過去帳を見てわかった。
父は思春期に実父(私の祖父)を亡くしていた。
私の祖父の命日は、クリスマスだった。
母子家庭になった後、一家の家計を支えたのはまだ若い父だった。
そしてやっと自分の家を築いた。
クリスマスなんて祝える気分じゃなかったんだ、毎年。
でも多くを語らない人なので何にも知らなかったよ。
お父さん、ごめんね。

504 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 15:04 ID:???
小学生の時、父がガンで亡くなった。
母に「顔を見てあげなさい。」と言われ
白い布を取ろうとしたけど、怖くて取れなかった。
その場にしゃがみこんで号泣してしまった。

505 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 17:30 ID:???
里帰り出産をして、出産後もしばらく実家にいた。
4月なのに初夏を思わせるような天気だった日のこと。


母方の祖父が、娘(祖父にとっては曾孫)の顔を見に来た。
春にしては少しまぶしい日差しの中、祖父は縁側にあぐらをかいて座り、
娘を抱っこしてくれた。
娘はすやすやと眠っていた。
せっかく祖父が来てくれたので、娘が起きた顔も見て欲しくて、
私は眠る娘の頬をつついて「起きて〜」と言ってみるが、娘は起きない。
「せっかく来てくれたのに、寝ててごめんね。」と祖父に言った。
もともと無口な祖父は、何も言わずに、
娘を抱っこしがら、娘の顔を覗き込むように眺め、満足そうに微笑んでいた。


…と、そこで私は目が覚めた。隣では娘が眠っていた。
祖父が遊びに来たのは夢だったのだ。
寝ぼけた頭で良く考えて、祖父は6年前に亡くなっていたのだと気付いた。
亡くなっていた事を忘れるくらい鮮明な夢だった。

夢だったけど、祖父は本当に嬉しそうだった。
夢だったけど、祖父に喜んでもらえて嬉しかった。
夢を通じて、娘を見に来てくれたのだと思いたい。

里帰り出産を終え旦那の元へ帰る日の前日、母の実家の祖父の仏壇へお参りにいった。
「また遊びに来るからね。そしたらまた娘を見に来てね。」と願いながら手を合わせた。


思い出とは違うのでsage

506 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 19:13 ID:LjjuIn7M
>>505
泣けた・・・・

507 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/13 21:28 ID:U/Ef9mSo
みなさんほど劇的なシーンじゃないのですけど、自分の思い出が蘇ってきてうるうるしてます。
高校生の時、なにげにソリの合わない担任の先生と母親との三者面談。
年齢的に反抗期だったのか、いい娘じゃなかったのに、「お家ではどんな様子ですか?」の問いに、
母が「この子は家の手伝いもよくしてくれるし、兄弟の面倒も良くみてくれるし、
あんまり物を欲しがったりもしない本当に良い子です。」とサラリと言ったのに、すっごーいびっくりした。
だって全然そんなんじゃなかったんだもん。
いつも兄弟とケンカして怒られたりしてたのに…。
人前で平気で自分の娘をほめる母親に、こっちが赤面したけど、とっても嬉しかった。
母がどういうつもりでそう言ったのかよくわからないけど、本当にそんな娘になろうって、素直に思えました。
それ以来、先生の私に対する態度も少し良くなった気がした。
直接的に誉められるのも嬉しいだろうけど、間接的に誉められるのも嬉しいものですよね。
あの時の気持ち、思い出したわ。
両親が元気なうちに、親孝行します。

508 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/14 00:06 ID:kMcwLkmA
>>503
泣けました!!

509 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/14 21:20 ID:RaB5mT5g
親父の仕事の関係で漏れは餓鬼のころから引っ越しばっかりだった。
地方大学に入学し、一人暮らしを始めてから卒業、就職とずっとその
地方の片田舎に住んでいる。もう10年くらいだ。

親戚が亡くなって、葬式のときに5年ぶりくらいで親父に会った。
その晩は親戚で飲んでたが、漏れと親父だけを残してみんな寝てしまった。

親父「仕事はどうだ?」
漏れ「いや、待遇悪すぎてねえ。隙をみて転職するよ。」
親父「首都圏に出てこないのか?仕事先もそっちより豊富だろ。」
漏れ「うーん、気が進まん。」
親父「何だ、女か?」
漏れ「ま、それもあるけど漏れって餓鬼のころからずっと引っ越し続きだったろ?
それで今の所はもう10年なんだけど、今までで1番長く漏れの住んだ土地なんだよね。
友達も結構いるし、付き合いの長い友達って今までずっと欲しかったからねえ・・・」

まあ、単純に面倒だっていうのが最大の理由なんだけど、何気なく言ったそんな
言葉で親父はうつむいて黙り込み、「すまん」とつぶやいた。
そして少し間があいてから「俺のせいだな・・・」とだけ言った。

昔あれほど恐かった親父が、漏れのろくに考えもせず発した言葉でこんなに
シュンとなるなんて・・・
ごめんよ親父。そんなつもりはなかったけど責任感じさせちまったな。許せ。

510 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/15 03:25 ID:752dOTqU
つい最近の話なんですが、父の帰りが遅く母と妹と3人でテレビを見ながら夕飯を食べていた時のこと、
母がサラダを食べながら
「同じに育てたのに姉のOOは野菜が嫌いだし、妹の△△は肉と魚がダメだし、お母さんのせいだね。」
と急に泣きそうな声で言い出したのでビックリしました。
元々私の野菜嫌いの原因は小学校1,2年の時にいた栄養士さんの作ったマズイ学校給食なんですが、
母は今までずーっと自分の育て方&料理のせいだと思っていたみたいなんです。

私と妹で小学校の給食があまりにもマズかったこと、それで私は野菜が嫌いになったことを説明すると
母は涙を流して「じゃあお母さんのせいじゃなかったんだね?よかった」と言いました。
母が今までそんなことを気にしていたのかと、私も涙が出ました!

511 :おん:02/05/15 04:43 ID:Dc22VfBE
家族じゃないけど、家族のお話なんで。
「ドラえもん」の中で、しずかちゃんがお嫁に
行くときにお父さんにこう言った。「お父さん、今まで
育ててくれたのに私はお父さんになんにもしてあげてない…」
するとお父さんは「子供は生まれてきてくれただけで嬉しいんだよ。」
…みたいな会話があった。号泣しましたとも。これを母に見せたら
母も泣いてた。父は絶対に大泣きするのでまだ見せられない。
コワモテだが、涙もろいのだ。

512 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/15 04:48 ID:sSI2wDsw
俺は母親が嫌い。
今まで一番の母親への暴言は大喧嘩の末、俺が言った
「おまえなんかから生まれるんじゃなかった」。
さすがに母親も頭にきたらしく「お前なんか生むんじゃなかったわ!」と俺に言った。

最近、おば(母の妹)から聞いたんだけど、
昔、俺か弟の育児休暇をとった後、母が会社に戻ってみたら母の机がなくなってたらしい。
子供生んだ女がのこのこ戻ってくんじゃね〜、みたいな会社側の嫌がらせだったようだ。
しかし、そんな嫌がらせにもめげず、俺たち兄弟を食ってかせるため
必死に会社にしがみついて、今でも働いてる母親に感謝。(ちなみにうちは母子家庭)

ごめんよマミー。早く就職して、自立して見せます。

513 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/15 05:43 ID:2MjYSJ8U
10年近く入退院を繰り返していた祖母が亡くなった。
葬式の準備から骨上げまでものすごく忙しく、
両親と私を含む三人姉弟は、看取った時を含めて一週間近く不眠不休で頑張った。
寂しい、悲しいなどと言う余裕も無く。
全てが終わり、五人が一つの部屋で半日以上死んだように眠った。
そして昼過ぎにみんなが目覚め、なんとなくぼーっとしていた時、
不意に姉が「これでほんまに五人家族になってしもたんやなぁ…」と漏らした。
この言葉で祖母がいなくなった事を実感し、猛烈に寂しく、そして悲しくなった。

514 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 18:17 ID:OvAWyEDw
今から10年程前ちょっとした言葉の食い違いから両親と4年間連絡を絶っていた時期があった。
その当時は、あんな親なんかいなくても自分ひとりで生きていくつもりでいた。
しかし、自分も年齢を重ね社会にでていろいろなことを学ぶうちに、いつまでこんなことを
続けるのか?という気持ちが生まれ始めてきた。
しかし、親に大見栄を切った手前、自分から連絡することが出来ずにいた。

そんなある日、父から手紙が届いた。
「もう充分だろう。一度帰って来い」と…。
父は、私の居場所を知っていたのだ。
知っているのに知らないふりをして見守っていてくれたのだ。
そんなことも知らずに、一人いきがっていた私。なんて子供だったのだろう。
家の中では気の強い母の尻に敷かれていた父。
しかし、私と母がどんなに衝突しても私の味方についてくれた。
そのとき、今までのことを素直に謝れる気がした。実家に帰る決心がついた。

懐かしい玄関の前に立ち、チャイムを鳴らすとあの頃よりもちょっと老け込んだ母と、
大きくなった弟が、あの頃のように出迎えてくれた。四年前の空気が変わらずそこにはあった。

そして、何気なく玄関を見渡し、私は動けなくなってしまった。
そこに飾ってあったのは、私が高校生のときに授業で作った七宝焼きの皿だった。
上を見上げると、私の作った壁掛け時計もある。…四年前と変わらずに。

母は、こんな私の作ったものを変わらずに飾っていてくれたのか。
それを見て何を思っていたのか。
私はといえば、実家に関するものはすべてしまい込み、それについて考えないように、
いや、あえて嫌いになろうとし続けてきた。私は何をしていたのか…。

涙をこらえて、こう言うのが精一杯だった。
「ただいま…」
涙で曇って顔は見えなかったが、お帰りと明るく言う母の声は何も変わるところはなかった。

あの頃のことの反省の意味もこめて・・・。

515 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 21:40 ID:Ms8H8rY2
今、俺は入院している。
11月からだからもう半年。
少し長くなるが今までの事を書きたいと思います。

俺は今年二十歳で高校卒業後、上京し専門学校に行っていた。
高校時代はあまり家にもいない学校も嫌いな、世間一般で言う不良のようなものだった。
家族の仲はそれなりに良かったが母親とは喧嘩ばかり。
上京してからも1ヶ月に一度連絡をするくらいでろくに親の事なんか考えてなかった。

初めての夏を迎える頃右足の付け根に痛みを感じ出した。
医者に行くと「股関節の炎症。」
しかし何度医者に行ってもいっこうに良くならずむしろ痛みは強くなるばかり・・。
11月になると痛みの余り学校に行けなくなることもあった。
そしてある朝起きると痛くて動けない。
立てない。パニックになった俺は親に電話をしたところ
「救急車を呼びなさい!!」と。
俺は人生初の救急車を体験し近くの病院に運ばれた。
母は心配し、来ると言っていたが大したことは無いと断った。
1週間ほど入院をすると痛みも薄れてきてそろそろ退院かなと思った頃、
母から電話が来た。
「先生に呼ばれたから明日朝一の飛行機で行くから。」
次の日母は俺の前に心配そうな顔をして現れた。
「大丈夫だって。」
俺がそう言うと母は
「元気そうだね。安心した。」
そう言った。

516 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 21:52 ID:Ms8H8rY2
その後、母は医者に「お話があります」と呼ばれた。
「じゃあ行って来るね」
20分位たつと、俺も看護婦さんに連れられ母と医者の待つ部屋に呼ばれた。
そこには顔が引きつった顔の母がいた。
一生懸命に平静を装っている。
そこで俺は医者に次のようなことを言われた。
・足に腫瘍がある
・ここではその腫瘍について分からないから大きい病院に移って検査しなくてはいけないこと。
・それには故郷の大学病院に行くのがいいということ
俺は唖然とした。
母は「とりあえず帰ろう」と言う。
結局、説得され帰ることになった。

517 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 22:08 ID:Ms8H8rY2
俺は「腫瘍」というものが何かよく分かっていなかった。
だから軽く検査してまた1ヶ月位したら戻ってこれるな。と思っていた。

しかし転院後、すぐ検査をし主治医に言われた言葉は
「良性とも悪性とも言えない。だけれど3ヶ月点滴をして無くさなければならない」
俺にはそれだけで大ショックだった。
しかし家族の「3ヶ月頑張ろう!」と言う言葉に励まされて頑張った。
母は実家から1時間半もかかる病院まで毎日来てくれた。
吹雪の日でもいつも笑顔で来てくれた。
治療の点滴の副作用は強く、激しい嘔吐、髪は抜け、体力も落ちた。

もうお気づきの方もいるかもしれないが抗がん剤治療である。
しかし無知な自分は何も気づかずに3ヶ月間頑張った。
気づかないというより気づかせられなかった。
家族が隠しとうしたのである。
そう。俺は悪性だったのだ。体中に転移し、医者から家族に言われた言葉は
「3ヶ月持つかわかりません。」だった。

518 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 22:25 ID:Ms8H8rY2
その事を聞いたのは2月だった。
その時、3ヶ月で奇跡とも言う位に薬が効き、転移していた所は全て消え
元の腫瘍も5分の1まで小さくなっていた。
それで母は俺に癌の告知をした。
俺は涙が止まらなかった。
それは自分の病気のことよりも今まで俺にばれないように隠してくれた母のやさしさに気づいたからだった。
父も妹にもそうなのだが、何より余り仲の良くなかった母に申し訳なかった。
いつも隣にいて、たわいも無い話をするのがどんなに大変だったのだろうか。

しかも東京の病院から隠したのである。
治療がつらく母に当たっても何一つ文句を言わずただひたすら励ましてくれた。
俺は初めて家族の愛を知った。

それからも治療はうまく進み、ついに「完治します」という言葉が医者の口からでた。
あと3ヶ月ほど治療が続くが、俺はそれを乗り超えたときに両親にに言いたい言葉がある。

「俺を生んでくれてありがとう。」

519 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 22:27 ID:Ms8H8rY2
>>515>>518
下手な文を長々とすいませんでした。
読んでくれた人ありがとう。

520 : :02/05/16 23:27 ID:???
>515
ほぼリアルタイムで読ませていただきましたが感動しました。
自分の知ってる人で25歳という若さで癌で亡くなったモーグルスキーヤーが居ます。
(直接会ったことはないけど)
http://sports.2ch.net/test/read.cgi/olympic/1014526970/
彼の事を思い出してまたホローリ・・・
闘病生活、大変でしょうが頑張ってください。マジで。

521 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/16 23:27 ID:PLnunvic
>515-518
治療、辛かっただろうね・・・
お母さんも辛かっただろうね・・・
あなたが早く良くなって元気な顔を見せるのが
一番の親孝行だよ、無理しないで完治させてね。

522 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/17 01:57 ID:???
>515-518
とにかく、よかった良かった。
おめでとう!

523 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/17 11:26 ID:Jafz7IK.
>>492
なんかドラマか映画になりそうなお話ですね!
泣けました!!

524 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/17 23:14 ID:???
>>515-518
感動しますた。あともう少しの治療、がんばってください。

525 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/18 04:04 ID:???
中学生の頃、夕方になると痴漢や変質者が出ると噂がたち、
ついに実際に被害にあった生徒がいた。暴行を受けたわけでは
なかったが跡をつけてきて後ろから抱きつかれた。が、すぐ後ろから
歩いてきた男子生徒に助けられたのだった。(犯人は捕まった)
その話を父と母と朝食をとりながらしてたら母が「もうその話はやめなさい」
と言い出したので「なんで?」と聞き返したら黙っているので「私がされた
わけじゃないし捕まったんだからいいじゃん」と言うと母が半泣きになり
「でもあなただったかもしれないでしょ!中学生が襲われたって聞いて一番
先に自分の娘のこと考えてお母さん心臓止まりそうになったんだから!」
と言った。あのあとの沈黙は…重かったなぁぁぁぁ。「親の」というより
「女親」独特の心情というか。今でも思い出しては「親って本当に
子供のこと一番最初に考えるんだな」って関心&感動するよ。あのときの
母の泣き顔で搾り出すように言った言葉・声が忘れられない。

526 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/19 15:34 ID:???
age

527 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/20 02:33 ID:???
今、このスレ毎日みてる人どれ位いる?

528 :のほほん名無しさん:02/05/20 03:28 ID:???
夜中に号泣しました… 。・゚・(ノД`)・゚・。

529 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/21 22:44 ID:???
高校時代、母親が嫌いでした。
嫌いというか、うざったいというか、まあそんな感じで。
特に受験期なんて「うるさい。默って。」位しか口にした覚えがないです。

そして、大学に受かって、一人暮らしを始めて2年半位。
いい加減反抗期(?)も過ぎて、どうにかコミュニケーションをとろうとしていた時期。
実家の妹からの電話で、どうも母親の調子が悪いということを聞きました。
私は、母と電話を代わって貰い「早く病院行って見てもらいなよ」と言いました。
家族らしい会話の仕方が分からなくて、凄くたどたどしい言い方だったと思います。
母は「病院に行って、もし入院でもさせられたら嫌じゃない」と言って笑っていました。
ちなみに、妹に聞いたところによると
母は「『お姉ちゃん、急に良い子になってびっくりした』って言って笑ってた」そうです。

それから何ヶ月後の年末、久しぶりに私は実家に帰りました。
出迎えてくれた母の顔がいやにこけていて、見た瞬間恐怖を感じたのを覚えています。
「まさか」とか思いつつ、その正月は父が、私と妹にお年玉を渡すのと一緒に
母にペンダントを贈ったりして、凄く「家族」というものを実感した数日でした。
父が母に何かを贈るのなんて初めて見たんです。

そしてその年の4月11日23時半くらい、父からの電話で、母が亡くなったことを知りました

530 :529:02/05/21 22:45 ID:???
本当は全然急じゃ無かった筈なんですが、その時の私には急で、全然実感が湧きませんでした。
その日は遅かったので、寝て、起きて、準備して、電車に乗って、
ホントにその間、泣きもせず、喪服が無い…なんてことを考えていました。

でも、実家のある駅まであと10分位になった時、急に
「次に帰ったら、グラタンとロールキャベツ作って貰おう」
と思っていたことを思い出して、そしたら馬鹿みたいに涙が出てきました。
悲しいとか淋しいとか後悔とか、全部いっしょくたになって。

母は、その頃もう、滿足に食事をしたり、歩いたりも出来ないくらい悪かったそうです。
父は、同じ家にいた自分が助けてやれなくて、と泣きました。
私は、そんなこと、全然知らなかったんです。

あれだけ兆候はあったのに、どうしてもっと気にしてあげられなかったんだろう。
私は、ひねくれたまま家を出てそのままで、「ありがとう」の一言も言ってないです。
高校時代、ずっと酷いことしか言わなかったこと。
それでも母は一度も本当に怒ったりしなかったこと。
私が母の体を心配した時の母の言葉、手料理、小さい頃抱きしめて貰ったこと。
ふとした瞬間に思い出して、泣きたくなります。

531 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/21 23:08 ID:???
>>516-518
多分俺と似たような病気かな。
俺は膝に腫瘍が出来て腿半分から下切る羽目になったよ。
手術後母が「ごめんね、ごめんね」と言って泣いてたのが忘れられない。
なかなか病院に行かなくて悪化させた俺が悪いのに。退院するまで8ヶ月
かかったけどその間ずっと母が世話してくれた。薬の副作用で1日5,6回吐いたり
それが1週間続いたりしたけどその処理してくれたのも母だった。
 まだ退院して4ヶ月くらいだけど思い出すのは自分の苦しさより母の泣き顔とか
世話してるときの姿だったりする。

 518を読むと腫瘍も縮んでるみたいだしよかったね。薬の合間に外出して
気分転換するのもいいよ。看護婦さんに言われてるかもしれないが水分は
吐いてでも摂取しとけ。3ヶ月短くないけどがんばってね。

532 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/21 23:15 ID:???
age

あげといてなんだけどこのスレsage進行?

533 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/21 23:43 ID:???
>515−>>519
病状が回復してきて良かったね。

ところで、がんの告知って本人はされない方がうれしいの?
私は自分がそうなったら、ちゃんと教えて欲しい。
でも親の立場から考えると、子供がそうなった場合(考えたくないけど)
やはり隠すだろうと思う。

534 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/21 23:50 ID:???
最近、息子が反抗期に入ってきた。
いつもトゲの刺さったような言い方。
親でも腹が立つ。
そんなに生意気なことばかり言うなら、自分で生きていけと言ったりもする。

ここに書かれてるように、親というのは、子供の踏み台でしかないのだろうね。
死ぬ時にやっと「母さん・・・」と反抗期から抜け出られても、寂しいものだね。

535 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/21 23:57 ID:EVK3dbCY
>>534質問
それでもやっぱり子供ってかわいいもの?
たまには本気で憎かったりするの?

536 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 00:03 ID:???
>>535
めちゃくちゃ可愛いよ。
苦労はさせたく無い。

そりゃ、本気で「このやろー」と腹立つことはあるよ。
向こうも口が立つようになってきたし、
わざと怒らせようとしてるみたいにも見える。

こっちの愛情ばかりが空回りしてるように感じるって言うか、
暖かい目で見てるつもりなのに
「ウザイ」とか言われるとね、ガクッとくる。
こいつ、私が死ぬまでわからんな、とか思うよ。

537 :おさかなくわえた名無しさん :02/05/22 00:04 ID:nVbUCuM6
泣き疲れた(T0T)

515さんとか529さんとかみたいに
辛いのを子供に隠し通す親ってすごいと思う

号泣です

538 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 00:10 ID:r401iP3.
>>536レスありがとう。

今はまだ子供いないんだけど、
この先どうなんだろう、子供出来たら
親らしく出来るのかな、とか色々考えてたので。
参考になりました。
子供も大きくなれば親子仲良くできるんだろうけど。
そのうち、「ウチの子からこんなプレゼントもらちゃった」
なんてレスがみれるの楽しみにしてるんで。

539 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 00:20 ID:PvmYY4FU
>>515さん
本当に直ってよかったね。
折れもココのスレ読んで、親に対するありがたみが分かってきました
いつも、帰郷するとケンカばっかりしてたけど
少し考え直そうと思いました。

515さん親孝行してあげてくださいね

>>534さん
は親父さんですか?
もしそうだとしたら、息子と一緒に酒が飲みたいとかあるんですか?
うちの親父がそうなんで、ほかの親父さんもそうなのかなぁ
と思ったので聞いてみました、差し障りがなかったらご返答をお願いします

親父さんではなかったらごめんなさい

関係ないけど良いスレなんでage

540 :515:02/05/22 18:39 ID:CaHA7p7A
レスをくれたみなさんあんな文章読んでくれて本当にありがとうございます。

>>533
今、一緒の病室にも膝から下を切った人が二人いますが、義足をつけて毎日リハビリ頑張っています。
毎日話しをするので痛いほど辛さはわかります。
俺も同じように母の泣き顔だけは忘れません。
それと、外泊できるときの喜びも。
お互い親孝行頑張りましょう。

>>533
俺は告知されて本当に良かったです。
それは失ったものより得たものの方が多かったからです。
この病気にならなければ分からなかった事の多さに今までを反省しています。

みなさんくれぐれも身体に気をつけてください。俺が言うのもなんですが。

541 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 19:20 ID:LRr1jFws
頑張ってください!
やっぱり最後の最後で、自分のことを大事に思ってくれるのは
親だよね。
私も入院したときつくづく思いました・・・

542 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 20:51 ID:???
>>538
こちらこそレスありがとう。

>そのうち、「ウチの子からこんなプレゼントもらちゃった」
>なんてレスがみれるの楽しみにしてるんで。

当分無理だね。
母の日にも「母さんにあげるだけムダ」とか言って、本当に何も無しだった。

でも親の前でいい子じゃないのは、安心できるから、
自分の全てをさらけ出せてるのかもしれないと思う。

親に気を使う子は、親を困らせまいとして、すごくいい子のふりをして、
その結果年とってからひずみが出る場合があると聞くし。

本当はすごく優しい子なのだけど、今は照れて表現できないだけだと
親としては思いたい。(苦笑)

>>539
親父ではなく、母親です。
文章ががさつなので間違えた?

543 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 21:11 ID:???
>>540
その若さでそれだけ感じるところがあったのだから、
これから先はきっと充実した日々だと思います。

早く良くなってね。

544 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 21:19 ID:???
>>496、497
別に東京に対してどうこう思ってるわけじゃないと思う。
おれも家族が引越しの手伝いをしてくれて
帰ってしまったあとは死ぬほど寂しくなったから。

545 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/22 21:42 ID:???
>>515
おれみたいな他人がなにも言う資格ないかもだけど
頑張ってください。治ってきてよかったですね。

546 :感動 四益男:02/05/23 00:14 ID:???
2chにもこんな超優良スレがあるなんて・・・・
今まで、大学生活、アイドル画像、エッチネタ、アルバイト
就職etcの中でオナニーしてた自分が恥ずかしくなりました。

547 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/24 19:29 ID:???
ここ好きなんだけど。

誰かまたいい話聞かせてー。

548 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/24 21:24 ID:???
定期上げ

549 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/24 21:31 ID:xPjxA4oM
スゴイ情報!
http://homepage3.nifty.com/pine2/

550 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 00:06 ID:???
↑せっかくの優良スレを広告で汚すなヴォケ!!

551 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 00:16 ID:???
放置出来ない糞馬鹿

552 :sage:02/05/25 01:16 ID:8OmB9UCk
ねえお姉ちゃん
お父さんと私はまだ待ってるんだ
早く帰ってきてね
天国にしか住めないなんて堪えられないでしょ
今年も北海道にみんなで行けたらいいね

553 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 01:22 ID:???
GWに実家に帰ったとき、母に「コレ見てごらん」と言われた。
それは父の日記だった。ちょうど私が生まれた年のもの。
「いいの?見ても」と聞くと「このあいだ見つけてお父さんと二人で
見たから。いいんじゃない?おもしろいよ、昔のこと色々書いてあって」

内容は日々の何気ないこと。大きいテレビを買ったとか洗濯機が壊れて
夫婦ゲンカしたとか、となりの家の猫がうちで一晩寝たとか…。そんな
中に私が生まれた日のことがあった。私は生まれたとき、仮死状態だった
そうで、その時の話は母から何度も聞いたことがあった。生まれたとき
産声をあげなかったこと、医師が必死で処置をしたこと。
父の日記には「すまない、なにもしてあげられなくて。見てるだけで
こんなに男とは父とは無力なものか…」といったことが書いてあり
私がそういう状態で生まれたことに対して自分がなにかいけなかったの
ではととても自分を責めている内容だった。母に対しても。
そしてその日の日記の最後のほうには「この身が八つ裂きになっても娘と妻を
守る」と書いてあった。そんな決意をして育てて、働いてきたのだな…。

554 :ありがとうお母さん:02/05/25 02:12 ID:???
ありがとうお母さん 私を育ててくれて いくつになっても娘は娘

中学校に入学した時すぐによくなるからと言って ぶかぶかのセーラ服を買ってくれてありがとう
友達を家に連れてくるとすぐに部屋にを覗きに来て 「いつもお世話になってます」と誰にでも言ってくれてありがとう
初めて女の子になった時 私がはにかんでると嬉しそうにお赤飯炊いてお祝いしてくれてありがとう
ピアスをあけるとほんの少し悲しそうな顔をしてたね 折角いい具合に破れたジーパン縫ってくれてありがとう

ありがとうお母さん私を産んでくれて いくつになっても娘は娘

お弁当が美味しかったというと毎日同じおかず うっかりお弁当を忘れた時大声で届けてくれてありがとう
晩御飯は私の好きなカレーライス 次の朝昨日の残りのカレーライス そしてお昼はカレーうどん カレーばっかりでありがとう
門限破ってお父さんにきつく叱られた時も 「お父さんには内緒よ」ってなぐさめてくれてありがとう
一人暮らしを始めたらどんなところに住んでいるのか わざわざ出てきてワンルームの床に布団を敷いて泊まっていってくれてありがとう
月に一度は小包 中身は缶詰ラーメン そしてお米ティッシュペーパーみかん そんなもんこっちでも売ってるけどありがとう
仕事が忙しくて宅配便を中々取りに行けず 中のタマネギ芽を出してて腐ってたけどありがとう

ありがとうお母さん 私を産んでくれて 母さんのような女になりたい

555 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 02:50 ID:NBBs9l5Y
三人姉妹だったから、男の子のつもりで父の釣りやアウトドア趣味に付き合って男の子みたいだった私。
両親から、そんな私への10歳の誕生日プレゼントは綺麗な小花柄のワンピースでした。
それまでそんな可愛い服なんて着たことなかったから、照れてちゃんとありがとうって言えなかった。
でも、それを着てみせたら、父はとっても嬉しそうでした。

後で母に聞いたら、あの怖い顔の照れ屋の父が、女の子の服の売り場で
1時間以上もかけて選んでくれたんだって。
「あの子は俺が男の子が欲しかったって言ったから、気をつかってるんだ。
 本当は女の子らしくしたい筈なんだから」って言ってたって。
照れてないで、ちゃんと「嬉しい」って言えば良かった。
ごめんね、お父さん。

ちなみに、そんな父が今年のホワイトデーに久しぶりにくれたプレゼントは
キティちゃんグッズでした。
これも、父が自分で選んで、どうしても私にあげたいって言ったそうです。
もう中年のエエ年した私ですが、父の中ではあの頃の娘のままなんでしょうかね?

556 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 03:11 ID:yiXNlQf2
>>554
嫌味を言っているのですか?

557 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 05:01 ID:U236828k
3年前父が急死したとき
父の洋服を知り合いに形見わけした母を見て、パパッ子だった私は
まだ葬式から間も無いのにひどいと泣いてしまった。
母は『タンスの置くにしまってくさるより、もらってくれる人に渡すほうがいい』
と言って、かなり大量に譲っていた。
そんな母を幼稚な私は冷酷な人とさえ思った。

その事を結婚し独立していた兄に愚痴った。
すると兄は一枚のど派手なセーターをみせてくれた。
昔たけしが着てたようなヤカラチックなそのセーターは私が父買ってきたもの。
『コレは特別な物だからって俺にくれた』と兄。

バカな私はサイズもわからず買ってきたので、チョットぶかぶか
でも、周りに娘から貰ったってはしゃいで自慢していた父の姿が浮かんだ。
派手好きだった父はとても気に入ってくれてたな…と
思い出すと涙が出てきた。自分の幼稚さにも気づいて恥ずかしくなった。

3年たった今。
派手好きだった父の服をはずかしそうに、でもとても大切に着てくれてる人が
何人も線香をあげにきてくれる。

そのたびに私は父に会えたような気がする
ありがとね、お母さん

558 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 20:29 ID:n/RDgvkg
私が1980年代後半頃のTV番組や歌が好きなわけ

…それは私の家族が唯一うまく回っていた時期だからかもしれない。
1980年代後半、私は10歳くらいのただの小学生だった。
母は1984年にガンの手術をして長いこと入院していたが、この頃は過去の病気がウソのように元気だった。
父は土地持ちのボンボンで少し世間知らずのところはあったが、ごく普通の父親だった。
私より8つ年上の姉は、大学受験を控えた女子高生だった。

そんな家族が、TVを見たり、ドライブに行ったりして、ごく普通のありふれた生活をして、我が家の80年代後半は暮れていった。

しかし、90年代に入ると、我が家の将来に暗雲が垂れ込めてきた。
父はちょっとした土地のトラブルから一千万以上の金を払う羽目になった。
姉は大学受験に失敗し、結局三浪する羽目になった。その間は毎年、二月の受験シーズンになると家の中がピリピリしだした。
母はそんな心労がたたったのか、ガンを再発し、93年に、中学一年の私と二十歳で結局どこの大学にも行けなかった姉を遺して他界した。

その後も謀ったかのように家に不幸が襲いつづけ、家族の絆はほとんど崩壊してしまった。
今では、たまに口をきいても結局はケンカになってしまう。二十歳を過ぎて、私の周りの同年代の友人たちは皆家族とうまくやっているというのに。
そんな私が80年代後半のTV番組や歌謡曲を探すのは、もう失われてしまった家族の思い出をを取り戻すための、ゴミより下らない無駄なあがきなのかもしれない。
それでも、つい探してしまうのだ。唯一家族がうまく回っていた頃流れていたBGM達を。

559 :558:02/05/25 20:32 ID:???
改めてよく読んだら、あんまりいい文章じゃないですね。長過ぎて省略されちゃうし、いいたい事がいまいち伝わらないし。

文才ネェなあ。俺。

560 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 20:34 ID:???
>>558
なんか文章綺麗ですね

561 :558:02/05/25 20:47 ID:???
>>560
誉めてくれてありがとう。そんな事ないっす。
高校のころ、家族に嫌気がさして小説の世界に逃避していた時期があるんですけど、
一向に上達しなかった(笑)。

雑談スマソ。

562 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/25 23:57 ID:???
>>556
メール欄

563 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/26 23:46 ID:tXq0kPiA
age

564 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 00:09 ID:DpyDiRgQ
いいスレだね。俺も遠い記憶をたどってみようかな。
小学校低学年の頃、なんかの劇をすることになって、俺は狐の役で、
紙で狐のお面を作っていかなきゃいけなかった。でも俺は、昔から色の感覚が弱くて、
(今年の大学の健康診断でも色覚再検査になったくらい…)
なぜか自信を持って狐の顔を黄緑色のクレヨンでぬってしまっていた。
自分ではそんな間違いに気づいてなくて、やっぱりそんな異様な顔色の狐のお面を持っていたら
クラスでぼろくそにいじめられた。
その後はよく覚えてないけど、舞台にはちゃんとした色のお面をつけていた記憶がある。
先生ですか?おかあさんですか?おとうさんですか?おねえちゃんですか?お面作ってくれたの。
どうもありがとう。

565 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 00:36 ID:cn7z5Lks
イイ!

566 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 02:32 ID:P8Ps.2d.
なんかホントに2chらしくなさすぎるよ(w
ということでじっくり読んでいこうと思います。
一気に読むのがもったいない気がして…

自分には、生まれた時から祖父がいなかった。
だから、「おじいちゃんとの思い出」って書いてあると羨ましくも思うんだ。
それに、祖母とも離れて暮らしてるし、遊びに行ってもどこにも
連れてってもらったということもなくて、思い出はあまりない。

父方の祖母は3年前に亡くなって葬儀に出たけど、大往生だからって
村中の人達で明るく送り出したのが印象に残ってる。
昼間から酒盛りしまくりというのもビックリ(笑)

母方のほうは90近くになるけどご健在。皮膚ガンを患ったし、手足も不自由に
なってしまったけど、会いに行くと、とても嬉しそうな顔をするんだ…。
…GW中に行けなくてごめん。夏に行くから…

567 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 03:16 ID:8LWw95XY
皆さんに較べたら思いっきり大した話ではありませんが一つ。
あれは19の夏でした。大学の夏休みが始まって暫くしたころ、
父が糖尿の気が濃くなってきたらしく一週間ほどの検査入院をしました。
丁度、その入院中に帰省した私は何の気は無しに父の見舞いに行き、
適当に顔を見せて早々に帰ろうとしたところ、父が
「コーヒーでも飲んでかないか」というので談話コーナーに行くことに。
元々、あまり言葉を交わすことの少ない親子だったので、
特に会話という会話もなく黙々とコーヒーを啜っていると、
父が突然「お前、煙草持ってないか」と言いだしました。
初めてそんなこと言われました。
そもそも父は高卒で入庁して以来無遅刻無欠勤の謹厳実直な公務員を絵に描いたような人間で、
いくら大学生とはいえ未成年の息子にそんなことを言うとは思えない男なんです。
しかも、検査入院中だったため煙草は止められていたはず。
気後れしながらも当時吸っていた「しんせい」を振り出すと
「『しんせい』か、懐かしいな…随分シブいの吸ってるじゃないか」
と父はニヤッと笑い、一本抜いて銜えました。
私も煙草を銜えそれぞれの煙草に火を点けると、またもや淡々とした時間が流れていきました。
コーヒーを飲み終わり煙草も吸い終えると父は「煙草のこと、お母さんには内緒な」
とそれだけを言い病室に戻り、私は家路に着きました。
話はこれで終わりです。

それだけのことなんですが、ただでさえ不器用である上に自身が幼いころに父親を亡くしているせいか
自分が父親としてどう振舞ったらいいのか考えあぐねているようなところがありった父には、ああいう方法でしか息子への愛情と父親である自分を確認する術がなかったのかな、と
もうすぐ三十路迎え私自身も父親になった今になってみると、あの時の父の気持ちが分かるような気がするんです。

未だにお互い照れ臭くて父とは腹を割った話が出来ないでいるんですが、
帰省する度、孫である私の息子を猫可愛がりする「お爺ちゃんの振舞い方」を見つけた父を見るにつけ、
「果たして自分はちゃんと父親になれるのかな」
と思い、その度にあの夏のことを思い出してしまいます。

スレ汚しスマソ。

568 :567:02/05/27 03:18 ID:???
ああ、長過ぎる、改行多すぎるって注意されちゃいました!
陳謝いたします。

569 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 12:36 ID:o3cwYn/U
小学校に上がる前の思い出です。
「みんなのうた」かなにかにアイスクリームの歌というのがあって、歌詞が

 おいしいおいしいアイスクリ〜ム
 王子様でもたべられな〜い

みたいな歌なんですけど、ある日その歌を母と一緒に聴いていて、私は母に
「王子様に生まれなくてよかったー。」言いました。
母が「どうして?」と尋ねると
「だって、わたしにはお母さんがアイスたべさせてくれるからー。」と答えました。
すると母は急に私をぎゅっと抱きしめ、泣き出してしまいました。
そのときはただ「どうしたの、お母さん?泣かないで?」と言って母の腕の中で
おたおたしていたのですが、そのうちに私ももらい泣きして、最後には
二人して抱き合って大泣きしました。
当時私は、母子家庭のため母の仕事中は託児所に預けられることが多かったのですが
その帰り道のスーパーでご褒美のお菓子を買ってもらえるのが
とてもうれしかったという記憶があります。
あまり裕福ではなかったけれど、
あのとき二人で抱き合って泣いた時の事を思い出すと、悲しいというより
むしろ幸せな、暖かく優しいイメージがうかんできます。

今は私一人東京にいるけれど、成人式には帰って、親孝行したいです。
(2chでこんな事かくとはおもわなかたYO)

570 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 18:54 ID:x3BZlz.2
こんな俺だけれど
誰かを一生懸命愛し
誰かの親にもなって
誰かの祖父にもなって
そして土に還ることができるのだろうか・・・

いや、そうなるためにも俺は今この瞬間を生きていきたい

571 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/27 23:37 ID:lm3udzXY
(TДT)ノ <あげ

572 :569:02/05/28 00:36 ID:5Wm1SJ4g
検索したら、歌詞がでてきました。
ttp://www.google.co.jp/search?q=%83A%83C%83X%83N%83%8A%81%5B%83%80%82%CC%89%CC&hl=ja&lr=
母には、本当感謝してます。
ああ、帰って肩でも揉んであげたい。

573 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 04:06 ID:???
暇だったんで、実家の住所をネットの地図で探してたら、
見つけたんだけど、なんか、私は嫁に行ってしまったことを
自覚してしまって泣きそうになってしまった。

なんてことない地図だけど、近所のおばちゃんとか、小学校の
頃の思い出とか、リアルに浮かんでくるよ・・・。

574 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 10:38 ID:WyRHtyCE
私が小1の時、両親は離婚した。後になって分かったけど、W不倫だ。
父は厳しい人で、いつも母が私をかばってくれた。いつも喧嘩ばかり
の二人だった。けど、ある水曜日。父と母が休みの水曜日。
学校が早く終わって、「二人とも、もしかして、し仲直りしてるカモ・・・!!」
とウキウキして帰ると母の姿はもぬけのカラ。荷物も無かった。私は母に置いて行かれた。
それこそ、何て言ったらイイか分からないくらいショック。ウキウキして、淡い期待
抱いて帰って来た分ね・・。父の目の前では泣かなかったけど、夜ベッドに入って、
急に大好きな母にもう会えないのかと思うと、涙が止まらなかったんだよね。
泣き続けてると様子見に来た父が、いつもは怒ってばっかの父が、ごめんな・・・
って、ずっと頭をなでてくれてた。余計に涙止まらなかった。次の日、父に「お母
さんのコトもう嫌いになったの??」と聞くと、「もうお父さんの前で、お母さん
の話はするな」って言われた。

575 :ちはる:02/05/28 10:45 ID:WyRHtyCE
父の前で母の話はしなかったけど、父が居ない時間を見計らって
母は毎日電話して来た。もちろん、喜んで色々なコト、話した。
ある日、新しいお母さんがやって来た。父から、もう母からの
電話には出るなと言われた。写真も全部捨てられた。私はイケナイ
事なんだと思って、母からの電話は全てガチャ切りするようになった。
もちろん、電話は無くなっていった。

576 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 10:49 ID:mEtusFsQ
>>575 つづく?

577 :ちはる:02/05/28 10:57 ID:WyRHtyCE
そして、私の誕生日が近づいた、ある日。私は小学校の帰り道を
運動会の行進の練習しながら、機嫌よく帰ってた。家まで150m
くらいも所で、道路の真ん中に人影が見えた。母だ!!!私は
ナゼか・・・猛ダッシュで逃げた。わめきながら逃げた。後ろから
母が追って来るのが分かった。でも、今でも分からんが、ナゼだか
私は逃げた。ランドセルをつかまれた。私はランドセルをも捨てて
逃げた。後ろで母が「待って!!!」とか名前を呼んでた。耳に
「ちはる、モウスグ誕生日でしょ・・・!!!だから、お母さんね・・」
っって聞こえたけど、走りまくって家にたどり着いて鍵を閉めて2階の
奥のタンス隠れた。

578 :ちはる:02/05/28 11:13 ID:WyRHtyCE
>>576 長文スマソ・・・。
どれくらい時間がたったか分からないけど、ずっとタンスの中に居た。
しばらくして、オソルオソル玄関あけてみると、端っこにランドセルが置いて
あった。母の姿はなかった。その日夜は父と義母の前で何でもないフリする
のが大変だったYO!!後から親戚のおばさんから、あの日、母が泣きながら
電話して来たコトをおしえられた。私に逃げられたって・・・。
今もナゼあんなことをしてしまったのか・・・まだヨク分からないけど、
お母さん、本当にごめんなさい。あの時のお母さんの気持ちを考えると本当に
胸が痛い・・・。お母さんがその後、精神的にボロボロになって、自殺未遂
までしていたなんて。支えてあげられなくて、ゴメン。薄情な娘でごめん。
いつか、一人前になって、お給料でお母にプレゼントしてあげたい。一緒に
台所に立って、ご飯がつくりたいです。

みなさん、激しく長文乱文すみません・・・。激しくスレ違いだったらごめんなさい。

579 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 11:17 ID:???
>ちはるさん
長文お疲れ様です。
一人前になってプレゼントってのもいいですが、
ただ会うだけでも、お母さんは喜んでくれると思いますよ。

580 :関西より愛を込めて:02/05/28 11:29 ID:???
>>578 ちはるさん
>支えてあげられなくて、ゴメン。薄情な娘でごめん。
いつか、一人前になって、お給料でお母にプレゼントしてあげたい。一緒に
台所に立って、ご飯がつくりたいです。

もう、十分一人前ですよ。お母さんの元へ行ってあげなさい。

581 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 12:49 ID:???
>ちはるさん
叔母が子供と生き別れになりました。
昔は親権は父親が優先だったらしく、叔母は裁判に負けて
娘を夫の方に取られました。
娘が19歳の時に、やっと会う機会ができて、
叔母は喜んで会いにいきました。

でもその子が母親のことを「おばさん」と呼んだと言うのです。
叔母は悲しそうに何回も私に「おばさんと言われたのよ」と言いました。

ちはるさんの話を読んで、子供の方にも愛情はあるけれども
うまく表現できない場合もあるんだ、と感じることができました。
ちはるさんもお母さんに会って、その逃げた時の気持ちを素直に
話してあげて欲しいです。

582 :ちはる:02/05/28 13:04 ID:WyRHtyCE
みなさん、サンクスです・・・。今まで、こんな事、友人にも言える筈なく
誰にも言わずに過ごしてしまいました。多分私にとっても、一生忘れる
事の無い出来事だけど、母にとってもそうなんだろうなぁ・・・。でも、
ココのおかげで少し心が晴れました!!夏のお祭りには帰ろう・・・。

583 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 18:00 ID:???
絶対に会ってほすぃ…。

584 : :02/05/28 19:51 ID:38PFRvcw
ウワァァァン!

585 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 20:30 ID:???
ちはるさん
水を差すようで悪いんだけど・・・・
W不倫だったんだよね?男作って出て行ったお母さんのことどう思う?
母である前に女だったわけだよね・・・・
その後、お母さんは彼氏と別れたのかな?

私なら絶対に会わないな・・・・・
自分より彼氏を取ったお母さんのことを考えるなんて悲しすぎる・・・・

586 :ちはる:02/05/28 21:09 ID:4g9kJhcQ
>>585さん。 ですね。実はソコが複雑。母は今も男の人と暮らしてます。しかも、相手の人には、もぅ捨てられてると同然らしく、母が居候している状態。

587 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 21:13 ID:???
母親の出て行った後の行動から考えると
ただ単純に「自分より彼氏を取った」とはとうてい思えないな、俺は。

588 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 21:20 ID:???
うん、私も母親が「自分より彼氏を取った」とは思えない。
W不倫だったからこそ父親の方が収入有り&新しい母親の
準備OKってことで、父親に親権が渡ったんじゃないのかな。

589 :ちはる:02/05/28 21:28 ID:htdev4lk
実は父と義母とも借金やら何やらで疎遠になってしまいました…。正直どこから糸をほどいて行けばイイか分からん…とっても複雑なので機会があればマタカキコさせて下さい

590 :ちはる:02/05/28 21:33 ID:YiXvceEg
みなさん、暖かいレスありがとうデス…ずっと誰かに こう言って欲しかったのカモ…イイすれ…ここ2chですよね?!ワラ

591 :585です:02/05/28 22:01 ID:???
そっか・・・複雑な心境だね・・・・
お母さんも今はあんまりいい状況ではないみたいだし・・・・
いっそのこと、お母さんと二人で暮らしてみたら?
居候状態でも、まだ男と一緒に住んでいるのは、やっぱりさみしいんだよ
きっと誰かと一緒にいたいんだよ。ひとりはやっぱりさみしいもんね
お母さんだって肉親と一緒に暮らしたほうが絶対に安らぐはず


ちはるさんのカキコを見て、自分がいかに幸せかわかりました。
つらい経験だっただろうけど、私の心にしみました。
お母さんと会える日がくることを心から願っています

592 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/28 22:22 ID:ZUq6Lusk
昔からさぁ、両親がすごい仲が悪くて、仲の良いお父さんとお母さんが存在してる
なんて、お話の中だけだと思ってたんだよ。
今でも忘れない。高嶋まさのぶだっけ?あの人が「うちの両親のケンカを見たこと
ない」って言ってて、ものすごくびっくりしてネタかと思ったことがあるんだ。

それで冷静になって周囲を見てみると・・・仲がこんなに悪い方が珍しいのだね。
私は人との付き合い方もわからず、弟を可愛がる事もしらず、弟が小学生なのに
ノイローゼになるくらいいじめたよ。
頭がはげたり、チックになったりしてたけど、それでも自分のやっている事は
みんながしている事だと思ってた。大学に入るくらいまで、弟と普通に会話を
したことが無かった。

でもね、数年に一度位、普通に話し掛けると弟がすごい喜んで、弟が高校生の
あるひ、売っていた焼き芋を3本買ってきてくれたの。
私はね、「ばか、こんなにいらねーよ。」っていって、残りの2本をたたき
返したんだよ。すごい悲しそうだったけど、見ててイライラしたの。

そんな事がいっぱいあって、弟はものすごいひねくれて育ってしまった。
でもね、言い訳するわけじゃないけど、人を可愛がるって事を知らなかったの。
でも、心から弟に申し訳ないと思う。

今ね、弟が結婚したい彼女が出来て、その彼女を私から守ろうとそれは必死。
いじめるなよって。
いじめてたんじゃない。弟をいじめてたんじゃないけど、もういくら言っても
伝わらないと思う。でも、それほど信頼できる人を見つけた弟に、心底ほっと
している。大事にしていって欲しいと思う。
このまま私や両親を悪者にしても、それでも弟は幸せな家庭を築いて欲しい。

593 :thtttt:02/05/29 01:54 ID:JXMNfWiw
私が15の時、母親が癌になりました。母は入院しました。私は学校が終わると毎日母の居る病院へと足を運んでいました。「気分はどう?」とか尋ねてみると「大丈夫!大丈夫!」と元気に答えていました。そして手術はぶじ成功しました。
それから2年ほど経ったある日、私は戸棚にしまってあった1冊のノートを見つけました。そこには母の字が書いてありました。時期はちょうど癌にかかっていた時のこと。内容は私たち兄妹4人に「もし自分が死んだとき」はみたいな感じ
でかかれていた。洗濯機の使い方。炊飯器の使い方。印鑑の場所。当時3歳だった1番したの妹の髪のくくりかた・・・気丈に振舞っていた母が実は癌という病気に負けそうになっていたのかと思うとなんだか涙がでた。孝行したいときに・・・
なんて言葉があるけどまさにその通りだと思った。

594 :5月病:02/05/29 01:55 ID:uk1BpbuI
15のときなんて盗んだバイクでぶっとばす多感な時期なんじゃないのかね
親孝行なんて子供らしくない

595 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/29 09:50 ID:kn8t8Ky6
行く先も分からぬまま

596 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/29 13:23 ID:eAKX3FaI
〉〉592
あきらめないでほしい。
面と向かって素直にいえないのなら、
手紙でも、このレス見せても良いと思う。
いろんな経験して大人になると、
段々と人の気持ちや立場を理解してあげられるようになると思う。
弟さんも今は許せなくても、
いつかあなたのことを許すかもしれない。
あなたの本心が分かれば嬉しいと思うよ。
いつか心から信頼あえる兄弟になるために。
勇気だしてね、応援しています。

597 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/29 13:43 ID:enxUJM3o
母親の誕生日にメッセージ入りのケーキを買い、
ローソクを点けてハッピバースデイを
歌ったら母がホローリきていた。
こんなことで喜んでもらえるとは思わなかったので、
今度はもっとスゴいプレゼントをしようと決めた。

598 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/29 13:48 ID:???
>>592も幸せになれよ。

599 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/29 14:00 ID:???
>592はそれでホローリとくるのか。
加害者とはのんきなものだ。

600 :名無し:02/05/29 14:40 ID:G1yZHQPg
・・・・>>592
「このまま私や両親を悪者にしても〜幸せな家庭を築いて欲しい」ってとこがよくわからない。
「ホントは悪者じゃないけど、それに甘んじておいてやるよ」という意味にとられかねないよ。
やっぱり一度は「あの頃は悪かった、すまない」と伝えた方がいい・手紙でもメールでも。

601 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/29 15:18 ID:yCa7jsUE
>592
姉貴から虐待された弟の立場から一言。
弟さんにはなるべく関わらない方がいい。そっとしておいてあげて、
陰ながら応援してあげて欲しい。憎しみが消えるまでには虐待された時間と
同じくらいの時間が必要だから。

602 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/30 06:56 ID:???
>>592=糞
市ね
このスレッド読んでいて一番むかついた。
加害者の癖して自分だけに都合のいいノスタルジー(単なる言い訳じゃねーか)語ってんじゃねーボケ
ほんとにいっぺん死んで来い。糞。

603 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/30 09:10 ID:q9vfsRcI
>>592
ワシは中学から高校卒業まで兄に虐待を受けてきた者だが
経験者から言わせてもらうと、やはり何らかの謝罪の言葉が
ほしいですよ正直。

604 :601:02/05/30 10:25 ID:b9f5Uqe2
>>602
まぁ、そんなに罵倒しなくても・・・
一応自分が虐待していたって認識はあるようだから。それが一番大事でしょ。
うちの姉貴は未だに自分が弟に何をしたのか判っていないようで、何かに
つけて口を出そうとしてる。実家がどうしたとか、俺のかみさん、子供がどう
したとか。まぁ、一切無視してるけど。

605 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/30 18:37 ID:S3pUiPp6
息子が何をいっても反対することしか知らない親父に嫌気がさして、金も持たずに家を出た。
母親には心配かけたくなかったので連絡先だけは教えていた。
営業を募集してうる会社がありm寮もあるので迷わずそこに入社した。
完全歩合制だから最初は何も食べない日ばかりだった。
まだ終わってないローンもあり、それも払えず連日実家に催促の電話があったらしい。
母親は何度も帰っておいでと電話してくるが、今帰るのは自分から逃げ出すようでとてもじゃないが帰れなかった。
1月9日、俺の誕生日。まだ、止まってなかった携帯にメールが一通。
親父からだった。

「ハッピーバースデー○○仕事頑張れよ」

思わず涙がこぼれた。
メールなんて出来ない親父が送ってきたメール・・・
なんだか自分がちっぽけな存在に思えてきた・・・

その頃から母親の体調が悪くなり、一番下の弟も学校に行かなくなったらしい。
全て俺の所為だ。それでも帰れなかった・・・

それから半年・・・仕事が上手くいかず、孤独を感じ、初めて俺から電話した。
母親がでた。帰っておいでと言われると思ったが、弱々しい声で「元気でやってるん?
体だけは壊さんでね・・・」

606 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/30 18:38 ID:S3pUiPp6
その後ですぐ、親父に電話してみた。
親父は長距離の運転手をしていて
「明後日、ちょうど近くに行くんよの〜、ジュースのケースが400ケース積まんといけんじゃあ・・・○○が手伝ってくれるとすっごい楽なんじゃけどなあ・・」
駅の公衆電話で、帰宅ラッシュ、そんな中で大泣きだった。
「手伝ってくれるか?」
「うん」
その瞬間に帰る事にした。
家族に迷惑をかけたのに、誰一人として俺を責めなかった。
親父が「みんなも辛かったけど、○○が一番辛かった。だからみんなも何も言わんでやってくれ」
って言ってたことを後で知った。

親父は相変わらず反対する事しかしらない人間だ。
今でもむかつく事はある。
だけど、俺にとっては親父なんだ。
俺はそんな親父を超えることはできないんだろうな・・・

607 :おさかなくわえた名無しさん:02/05/31 23:34 ID:5DWPOXik
>606
激泣

608 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/01 13:25 ID:ytzhYd0s
 

609 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/01 17:31 ID:c.nPTq2A
昔の話しではないんだけど・・・。

我家は母子家庭。
もちろん裕福ではないけど、つつましく暮らせば
生活に困るような事もないような家庭のつもりだったのですが。

ある日、元々指輪など装飾品にそれほど興味のなかった私が珍しく
超々安物の指輪を気に入って購入した夜。
私「ねえ、これかわいいでしょ〜?」(本当に気に入ってたから)
小4の息子「買ったの?」
私「うん、どう?」
息子「高かった?」
私「まっさかーー、500円だったかな」

その後、何故か息子は下を向いて黙ってしまい
どうしたのかと思ってたら
「俺が大きくなったら、すっごい高い指輪買ってあげるから」
って涙ふきふき言われてしまいました。

買えないから買わないのももちろんあるけど、我慢するほど
そういうのが欲しい私ではなかったのに
息子は、きっと勘違いしちゃったんだろうなって。
でもそんな気持ちが嬉しくて、私も泣き笑いしちゃった。

これから先、何があってもこの子がいてくれたら
乗り越えていける、って改めて思わせてくれた夜でした。

610 :◆F.3Y8lA2:02/06/01 19:25 ID:???
初めてこのスレ見て
うちも母子家庭で母には迷惑ばっかりかけて
何にもしてやれてないなあと思ったら泣けてきました。
いつもは、電話かメールで用事は済ませてしまうけど
今から手紙を書いて感謝の気持ちを伝える事にします。
俺も早く親孝行できるようになりたいです。

思い出じゃないのでsageときます。

611 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/01 19:58 ID:/YUkxovA
前スレ見てていろいろ思い出しました

父の会社から家族旅行の費用が出ることになりました
私の予定も聞かれたのですが実験と就活で行けそうにもなく、
先月母には仕方ないからあきらめろと言われました

それがさきほど母から電話がありまして、7月ではどうだ、3月ではどうだと
いろいろ言ってくれたのですが、一度あきらめろと言われた手前意地になってしまい
「無理だからそっちで行ってくれば」と断りました
祖父母ももう長くないだろうから今のうちにみんなで、というのもあり、
久しぶりに家族でゆっくりしたいというのもわかってはいるのですが、
無理と返事をしただけですぐ電話を切ってしまいました

就職もなかなか決まりません(これはのんびり構えるつもりでしたが)
研究室の雰囲気もぶち壊しました(これは前から)
風邪でもひいたのか熱もなかなか下がりません
もうダメです

スレ違いでごめんなさい
それとごめんなさいお母さん、あなたの残念そうな声、本当に申し訳ないです
本当にごめんなさい、ごめんなさい。

612 :611:02/06/01 20:00 ID:???
sageたつもりなのにクッキー切れててageてしまいました
長文駄文スレ違い本当にすいません

いよいよダメですな
イッテキマス

613 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/01 21:28 ID:???
>>609感動しましたage

614 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/01 23:10 ID:???
健康がとりえで辛い悩みもなく気楽に育った田舎から、大学入学で上京した
10年前。アパートも決まり引越しも済ませ、入学式の日を待っていました。
自覚はなかったのですが急激な環境の変化からか、初めて生理の周期が狂いました。
予定の日を過ぎて数日、その気配もなし。

入学式の日、式を見に母が上京して来ました。
母の顔を(当時の私にしては)久しぶりに見たとたん、本当にその瞬間、ドーっと
下っ腹が…(汗)生理が来ました。
今思い出しても不思議な体験です。
私の思い出の中ではいい思い出なのですが微妙に下ネタですみません。

615 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 02:09 ID:KhNbdMYk
当時、厨房。
両親が離婚してからは、母と一緒に住んでいた。

正月、家の電話がなった。
離婚した父親からだった。聞くと、お年玉を渡したいとのこと。
ラッキーと思い待ち合わせの場所にいってみた。

相変わらず、ろくでもない親父だった。無精ひげで、話す話題といったら
いきつけのスナックの女に貢がせてるとか・・そんなくだらない話。
金だけもらってさっさと帰ろうとおもって催促したら
おとしだまが入ってる封筒には「ほのぼのレイク」と書かれていた。

あれから何年もたったが、思い出すと微妙な気分になる。
今は病気になり生活保護をうけているらしい。

父のことは、今はそんなに嫌いではないかもしれない。

616 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 02:23 ID:G.TarXrg
生理ネタはやめてくれ…
男からすりゃ痛々しい

617 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 03:09 ID:???
>615
シンミリ・・・

618 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 05:12 ID:XloOAnGo
小さい頃、折鶴を教えてくれたのは親父。
病床に飾る鶴を折ることになるなんてな。
長生きして俺の子供にも教えてもらいたかったよ。

619 : :02/06/02 20:30 ID:dfswz5mw
>611-612
今からでも間に合うよ、素直になって旅行にいきなよ。
家族そろっての旅行って、きっといい思い出になるよ。
おじいちゃんおばあちゃんも一緒なんて最後かもしれない。
人間ってもろいからいつ大事な人がいなくなるか分からないよ。
後悔しないようにね。

620 :592:02/06/02 20:46 ID:iym25EPE
本当に都合がいいなぁ・・・とは、自分でも思います。
でもね、私は3人きょうだいの真中で、また女で、うちの父親はたいそう私の
生まれたのをがっかりしたらしく、きょうだいの中で私だけだれが見ても
可愛がってもらってなかったんだよ。
姉は、「長女だから」弟は「長男だから」という理由でとっても可愛がって
もらっていて、私は思い出しても涙が止まらないくらい無視というか、
なんかよくわかんないけど冷めた育ち方をされたんだ。

弟はね、何でも欲しいものを買ってもらえたし、本当に可愛がってもらってて、
私はお父さんのお馬さんからもいつもずりおちてて、姉と弟しか乗せてもらって
なかったの。晩年ぼけたおばあちゃんが、いつもいつも泣きながら「あんたは
かわいそうだ」って言ってて、逆にみじめになったりして。

だからスポーツも全然だめな私としては親に認めてもらいたいから、一生懸命
勉強していい高校に入ったのよ。認めてもらいたい一心でね。
親も、私が良い点を取ったときだけは優しくて、「合格したら○○を買ってやる」
って珍しく高いもの(今おもうとなんてことないものだけど)をごほうびに
くれるって言ってくれたし、合格したら認めてもらえると思ってがんばったの。
いざ合格して「買って」って言ったら、
「本当に合格するとは思わなかった。そんなに急にはお金が出ない。」
って言われて、そのまま。

621 :592:02/06/02 20:53 ID:iym25EPE
長くなったので一旦切りました。

親に、一生懸命買ってって言ったら、
「うるさい。点取り虫」
って言われたんだよね。それで、なんか一瞬でふっきれて、
「あぁ、お父さんに好かれようと思うなんて無理だったんだ」
って思って、それでなんか逆に弟の事を冷静に見ることが出来るように
なったんだ。
私自身が今でもその時の事をふっきれていないというのは単なる甘えかも
しれないけど、私が冷たくすれば冷たくするほど、両親は弟にものすごく
優しくて、私にはつらかったんだよ。

私のした事はもちろん何の言い訳も出来ないと思います。
最後の「親と私を悪者にしていいから・・・」
というのは、私の逃げの言葉ではなくて本当の心からの気持ちなのです。
自分の育ってきた環境をすべて否定した方が、幸せになれると思うから。
でも、当時の事をあやまりたくても、産まれて来た時から、私とは
明らかに違う扱いを受けてきた弟に、言い切れない嫉妬心の方が大きい
気もします。

でも、私は結婚して6年経ちますが、子供が出来ません。
やっぱり私は子供を育てない方がいいのかなぁ、とぼんやり思っています。

622 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 21:47 ID:hRsS68jc
末期がんの母が結婚式に最後までいてくれた。
もう車椅子でしか動けなくて、ほぼ寝たきりだったのに・・・
式場(ホテル)内の部屋をリザーブしておいたけど休むことなく
頑張って最後まで見てくれた。
それから容態が進行して3週間後に召された。
結婚式やら仕事やらで忙しくて、姉達みたいに尽くしてあげなかったことが
いまでも悔やまれる。

623 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 22:13 ID:pAjV5rs2
>>592
やっぱりそんな背景があったんだね。
弟との関係より先に、親との関係(というか、それに縛られている自分)を
見つめ直して、自分を癒すのが先決かもね。
ちなみに私も似たような境遇の者だけど、アダルトチルドレンの自助グループで
生き直すきっかけをつかめたYO・・・

624 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/02 23:58 ID:???
両親の帰省で、毎年夏になると祖母の家へ行ってた。そのたびに祖母はいろいろな
料理を作ってくれたんだけれど、ある年ところてんを作ってくれたことがあった。

ところてんを見るのも食べるのも初めてで「これなんて食べ物?おいしいよ」と
言いながら食べた。寒天をところてん突きから押し出すのが見ていて面白くて、
自分にもやらせてくれとせがんで、山ほどところてんを作った。

翌年も祖母の家を訪れたが、自分はところてんのことなど忘れていた。けれど
祖母は覚えていて、かまどで火吹き竹を吹きながらテングサを煮ていた。その日は
ずっと土間で背中を丸くしてかまどに張り付いていた。

「○○に食わせてやりたくてなぁ、ばあちゃんなぁ、一日かけてこさえたんだっちゃ」
まだ小学校にあがるかあがらないかの頃だったと思う。自分はまだとても幼かった
のだけれど、それでもその日の祖母の言葉だけは鮮明に覚えている。

私のためにいろいろと料理を作ってくれて、私が食べている姿を傍で嬉しそうに目を
細めて眺めていて、食べ物に関しては多くの苦労をした経験があるのに、そんな苦労
話を一言も話すこと無く亡くなった祖母のことを思うと、今でも少し涙が出てくる。

625 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/03 00:00 ID:2C3u4aQs
>622
母は娘の結婚式に出られたから満足して天国にいけたんだ。
最高の親孝行だZO

626 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/03 00:54 ID:???
624の書きこみを見ていて突然思い出した。
中学生の頃、田舎の祖母のうちに遊びに行った時に、
オムライスが食べたいとねだって用意してもらった。

そのとき、私が作ってあげる!と頼んで大ハリキリでやってはみたが、
オムライスは…オムラ…オ、オム…?(潰)というものすごい出来で、
焦げてて形も悪くて中味がはみ出してて、すごく落ちこんだ。

んで交代、祖母はオムライスを作るのは初めてだったのに、私が作ったのより
格段に上手くできていた。
しかし祖母はどうしても私の作った方の皿を食べると言って、私が作った謎の
卵ケチャップご飯の方を「おいしい」と言って食べてくれた。

その時以来、私は奮起して料理を…なんにもできなかったのが、なんとか
人並みにだけどできるようになって、今では料理の腕がちょっと自慢です。
他にできることはないけど、料理で困ることはありません!
ばあちゃんありがとう!長生きしてね。
この出来事を思い出させてくれた624にも、ありがとう!

627 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/03 01:04 ID:???
じいさんとばあさんにまた逢いたい

628 :601:02/06/03 09:58 ID:na3k9HmY
>592
うーん、そういう事情があったのか・・・
でも、弟は何で姉からそういう扱いを受けたか判らないよね。
親と自分の関係なんて、親戚や他人には客観的に見えるけど、他の兄弟には
判らないから。とりあえず、今の気持ちを手紙に書いて送ってみれば?
無視されるかもしれないし、時間が掛かるかもしれないけど、やってみる
だけの価値はあるんじゃないかなぁ?(前言撤回してる俺、カコワルイ)

629 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/03 23:20 ID:X0FtJvvI
俺は昔っからばあちゃん子だった。
唯一信じきれる人がばあちゃんだ。もう3年前に亡くなった。

家の家系は癌で死ぬ確率が高いらしい。ばあちゃんも胃癌だった。
実家は山口がだ、親戚のほとんどが大阪にいるって理由で大阪の叔母の家に移る事になった。
三年前の今頃、ばあちゃんに会いに一人で大阪に行った。あんなにふくよかな体だったのにひどく痩せてた。
プリンが好きそうだったらプリンを買ってあげたら一つだけ喜んで食べてた。
ばあちゃんが横になった時に叔母が「あんたが来たから無理して食べたんだろうね・・・」
ほとんど何も食べてないそうだ。二日間ばあちゃんと話した。
帰る時に、外からばあちゃんの部屋を見るとばあちゃんが何度も何度も手を振ってくれてた。
ずっとずっと俺に手を振ってくれてた。

半年後、容態が悪化し、家族と大阪に行った。
体のあちこちに管が刺さっており、生きているというよりも生かされている様に見えた。
意識がないのに、母が手を握ると、握り返したそうだ。
俺は恐ろしくて手を握れなかった・・・
寝るとき意外はほとんど側にいたが、特に変化もなく、一度帰る事になった。

帰ったのは夜8時過ぎだった。すぐに電話がかかってきた。
「たった今亡くなったよ・・・」


今でも悔やまれる。どうしてあの時、一人でも残ると言えなかったんだろう・・・
ばあちゃんの事を思い出すと今でも涙が出てくる・・・会いたいな・・・おばあちゃん・・・

630 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 00:01 ID:8YrQlAnE
>>629
おばあちゃんはきっとそばで見ててくれてるよ^^
お墓参りは欠かさず行こうねー。

ちなみに、癌は遺伝しないとのこと。

631 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 01:48 ID:???
>>592
みんなに責められたり諭されたりしてからの後付けの言い訳は最低。
新でいいよ。書き込みもかまってちゃん且つ自分は実はカワイそうな被害者てか。
そいつも自称。
新で。
いじめっこがいじめた相手自殺させた後「実はあたしもかわいそーなんだよ!」
て言ったとしてそれがなんなんだ。はーおめでてーな。
新で。言い訳はどーでもいい。反省しな。責任少しは取りな。できなきゃ
ま じ で 死 ん で。

632 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 12:16 ID:HXLnLL4g
>>592
気持ちはわからんでもないが、理由はどうあれ、弟の心に深い傷を作ったのは自分だろ?
それで、今は幸せになって欲しいと祈るだけか?
本当に悪いって思うんなら何度でも謝るべきじゃないのか?
思うだけなら誰にだってできるんだよ。
あんたにしか出来ない事があるんじゃないのか?
それをよく考えてみな。

633 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 12:24 ID:???
>592
弟に虐待するような子供だったから
父親にかわいがられなかったのでは?

634 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 15:23 ID:???
当時、白いメス猫(名前をヒメという)を5年くらい飼っていた。
頭も良く、朝はいつも起こしてくれたし、仕事から家に帰る途中でいつも待っていてくれていて、道路を横断するときは左右を確認してから渡るくらい利口な猫だった。
そのヒメが突然帰ってこなくなった。その時ヒメは身篭っていた。
心配と不安の中、数週間が過ぎたある日、近所のお菓子屋の裏で小猫5匹と共に発見!。
元気なヒメとやんちゃな5匹の小猫。
「これじゃ帰れないわなぁ〜」と一安心。
それから、お菓子屋へのお散歩が日課となった。
数週間が過ぎたとある真夜中。
寝ていた僕は急に起こされたような気がして、目を覚ました。
布団の脇には色白の女性が赤ん坊を抱いて座っていた。
その女性は僕の顔を見るなり、笑顔でゆっくりとお辞儀をし、寝起きの僕にはその女性がゆっくりと消えたような気がした。
状況が分からないまま部屋の電気を点けたが、その女性がいたあたりの真上の電球が一つ切れていた。
その日、いつも通りヒメの様子を見にいったが、寝床としている箱のみがあり、ヒメと小猫は1匹もいなかった。
お菓子屋のおばさんに聞いたところ、昨夜、箱から抜け出した小猫が道路に出てしまい、小猫を戻す為、道路に出た途端、車がヒメと小猫を轢いてしまったとの事。
あまりにもショックな出来事。目の前が一瞬真っ暗になった。
そして、昨晩の色白の女性はヒメだったかもしれないと思い始めた。わざわざお礼を言いに来たんだと…
残された小猫はそのおばさんが預かっていてくれていたが、僕が引き取った。
今でも、ヒメの分身が僕の仕事帰りをバス停付近で待ってくれている。
ヒメと違ってそこそこ丸くはなっており、高齢で足はふらついているし、気付くと4匹が1匹になってしまっているが…

635 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 15:25 ID:???
>>643

バカですか?

636 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 15:38 ID:???
>635
未来の643を困らすなよ。

>634
ホロリときちゃったよ。

637 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 15:42 ID:FqfTg81U
>>635は預言者

638 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 15:56 ID:yWyo7Wf2
勤務先で後輩M(30歳手前)が退職をした。
母子家庭で育ち、病弱だった母親の面倒を見る為とのこと。
最後の日、定時になり、Mはあちこち挨拶してまわっていた。
ひととおり挨拶を終えたところで、俺の前に来た。俺は一言「ごくろうさん、おふくろを大事にしろよ」。
Mは突然、顔を崩し、大声で泣き出した。
「すいません、もう限界です」。奴は泣きたいのを必死でこらえて挨拶をしていたらしい。
皆、唖然とした。たちまちMの顔が涙と鼻水で覆われてしまった。
俺はMの背中を軽く叩き、「親孝行は簡単じゃないぞ。でも、人には自慢できる行動だ。負けるな」、そう言って握手を交わす。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を拭ったMの手のひらは熱かった。でも、ちょっと気分的には汚かったが…(藁
その後も泣き止まないMを皆が「がんばれ」「おつかれ」で送り出し、顔をぐちゃぐちゃにしながら帰宅した。
あれで電車に乗ったのだろうか?という周囲の疑問は残った。

639 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 15:57 ID:???
>643
馬鹿なんだ。ドキドキ。

640 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:09 ID:???
>634
猫好きにはたまらん(TдT)ウワーン

641 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:11 ID:???
>>643
いい加減にしる!

642 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:29 ID:???
>>643
ちっともホロリじゃないな
どっちかといえばポロリだな

643 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:30 ID:???
ベ、ベルギーワッフル

644 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:31 ID:FqfTg81U
失格!

645 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:33 ID:1mdeiqGM
プ!

646 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:33 ID:???
>>635
予言は当たった。









と思う。

647 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 16:40 ID:???
君には失望したよ

648 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/04 17:03 ID:???
預言者>>635age

649 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 03:18 ID:???
とりあえず>1-500・゚・(ノД`)・゚・。 もうごみ箱がティッシュでいっぱいです。


厨・工房の辺りからあんまり父と話をしなくなっていたけど、最近、将来のことで相談して以来よく話をするようになりました。
最初に相談したとき、自分自身が結構思いつめてたのと、あんまり真面目な話をしたことが無い相手だったってこともあって、
嗚咽でうまく喋れませんでしたw
でもその後、ちょくちょくそのことについて助言をしてくれたり(こっちから話を振ったわけでもないのに)
今までしなかったようないろんな話をするようになって、なんだか幸せです。
こんな会話今までなかったなーとか思いながら。
あの時、「泣いちゃってうまく伝えられないだろうな」とか「長いこと1対1で話してないしなんか照れくさい」と思いながらも
勇気を出して話してみて本当によかった。
険悪だったわけでもないのに、家族と話すのに勇気がいるなんておかしな話ですけどね。
でも、このスレを読んでて、こういうきっかけがあってつくづくよかったと思いました。

別にホロリじゃないのでsage。また明日続き読みにきます…

650 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 11:56 ID:???
家庭はうまくいっていなかった。
父親は酒を呑んでは暴れるを繰り返し、何度となく包丁を振り回された事もあった。
家の中がきれいだったことはほとんどなかった。
母親の方は日増しに酒、煙草の量が増えて、愚痴る毎日だった。目も虚ろな状態。
俺が10歳のある夜、いつものごとく父親が酒を呑んで暴れていた。
滅茶苦茶に荒らされた家、泣き続ける妹、もはや関心がないように違う方向を見ている母親。
たまりかねた俺は、音楽の授業で使っていた縦笛を持ち父親に思いっきり殴り掛かった。
父親の方はまさか刃向かってくる者がいるとも思わなかったのか、呆気に取られていた。
その目はまるで信じられないものを凝視するような目だった。
「出て行け! てめぇなんか父親でも何でもない! 今すぐ出て行け!」
俺は、震える声を押さえて、張り裂けんばかりに怒鳴った。
すると、なぜか奇声を上げて父親は出ていった。奇声はいつまでも俺の耳にも残った。
あまりにもあっけない幕切れだった。
続く…

651 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 11:56 ID:???
…続き
あれから20数年、残された家族はバラバラになり、それぞれの生活をスタートさせ、落ち着き始めていた。
両親の近況もそれぞれの知人、友人から自然と聞かされていた。
そんなある日、父親がトラックに轢かれ重傷ということを知った。
病院を聞き、果物を途中で購入し、重い足取りで見舞いに向かった。
そこには、哀れな父親の姿があった。
約20年振りにある父親は、人目見て「父親」と分かったが、ゲッソリと痩せており、頭髪も白く、まるで別人のようでもだった。
俺の姿を見た父親は、目を大きく見開き、20年振りの俺の姿を凝視していた。
「久しぶりだな。とりあえず生きててよかったよ」俺の第一声は事務的な口調だった。
「立派になったな。グレなかったか? 金はあるのか? ちゃんと食い物はとっているのか?」
「大丈夫だ、自分を支えるだけで精一杯でグレる余裕はなかった。それにもう社会人だぜ」
この時ばかりは妙に父親が父親っぽく見えていた。今まで一言もそんなこと聞いた事もなかったからだろう。
なんか、親子の会話というものを人生30年にして始めてしている気分だった。
「すまない、本当に… すまない」泣き始める父親。
「そんな台詞、あと15年早く聞きたかったよ」そんな俺の一言に父親は更に号泣した。いつまでも…
その後、父親は同室の人達に「俺の自慢の息子、立派だろう」と声を荒げて、紹介し始めた。
そんな父親の笑顔も初めてだった。初めて「家庭の温もり」を感じたのかもしれない。

半年後、父親は無事に退院したようだ。
でも、あれから連絡は取っていない。
今は生活保護を受けてなんとか暮らしていると風の便りに聞いてはいる。
今度会う時は、俺が「父親」となったときと決めている。
それまでは生きていてもらいたいものだ。

652 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 12:17 ID:???
>650-651
・゚・(ノД`)・゚・。

653 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 13:28 ID:???
>651「そんな台詞、あと15年早く聞きたかったよ」
かっこいい! どこかで使ってみよう。

654 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 14:29 ID:???
マンションを買った。
自分では結構、思い切った事をしたと思っている。
鍵を受け取ったその日に、来年籍を入れる予定の相方と共に、まだ何もないマンションの部屋を訪れた。
ガランとした空間、何もないのでしゃべり声もよく響く。
相方がポツリとつぶやいた。「絶対、あたしより先に死なないでね」
僕は「なんで?」と問いただしたら、「こんな広い部屋で一人じゃ暮らせないから…」
相方の目には涙が滲んでいた。

655 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 14:33 ID:???
>638も(・∀・)イイ!

656 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 15:00 ID:???
>>634
ペットも家族の一員。実感しちゃったYO!

657 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 18:43 ID:E5zPBb9H
人生本当にいつ何が起こるかわからない。
家も隣同士で本当の姉妹のように育った従姉妹
19の時、実家が昔の家から5分のところに移り、里帰りした日
私の大好きな桃があるから食べに来いとの電話
既に夜中の1時半
前なら飛んで行ってたが
面倒だし眠いからと断った
しかも次の日遊ぶ約束もしていたので
そのときでも良いじゃないかと言う事になった
でもその日の朝
交通事故に遭いそのまま帰らぬ人となった
5年経った今でもあの時会いに行ってればと
毎日のように後悔する
たった5分我慢すれば良いこだったのに…
もうすぐまた桃の季節がくる


658 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 21:57 ID:l2qv4F+A
去年新婚旅行に行った時の事。
ダンナが立ち寄る先々でお土産物を買いまくるの。
私はお土産なんて適当にチャッチャッと決めて観光を楽しみたいのに
「これはじいちゃん、あれはばあちゃんに」とか言って
お菓子に置物にハンカチに財布にって
結局ものすごい量になってしまった。(10品以上あったと思う)
なんかせっかくの新婚旅行なのに
祖父祖母のお土産のことばっかり考えてるダンナに腹が立って
夜ホテルでちょっと文句を言ってしまった。


659 :つづき:02/06/05 21:58 ID:l2qv4F+A
そしたらダンナは中学時代の話を始めた。
当時ダンナはいじめられっこでクラスに友達が
一人もいない状況で修学旅行に行って
辛くて辛くて早く帰りたいと思いながら
ほとんど放心状態で過ごした。
で、帰ってきて母親に「お土産は?」と言われて
初めてお土産を買ってないことに気が付いた。
特に祖父祖母はお土産を楽しみにしてたらしく、
その時の落胆した顔が忘れられないと。

だからそれ以来、旅行したらついついお土産を
買いすぎてしまうのだとか。
最後にダンナは「せっかくの新婚旅行なのにごめん」と謝ってくれた。
私も自分の事ばっかり考えててごめんねと謝り返した。
それから旅行を満喫して帰って祖父祖母にお土産を持って行ったら
全部を大事に抱えて離そうとしないの。ほんとに喜んでくれてるんだなあ
と思ってすごくうれしかった。


660 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/05 22:04 ID:RkDs2Nit
>650,651、654、657−659
気持ちが荒んでたので、寝る前に読んどいてよかった。本当にありがとう。

661 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 06:20 ID:dN7kJ3U9
お土産話で思いだしたけど
小学のとき修学旅行で鎌倉に行った
大好きなおばあちゃんに薔薇の匂い袋を買った
たいした物じゃなかったけどすごく喜んでくれた
電話する度にありがとうと言っては
肌身はなさず持ち歩き私を思い出すと言う
だから嬉しくて自分用に買ったやつもあげた
本当に気に入ってたらしく香りが消えそうな頃
何処で買ったか聞かれた
本当に鎌倉まで行くと思ってなかったので
(おばあちゃんは北海道の人)
適当に店の名前を作っていった
”境内にあるばばあの店だよー”
たしか本当の名前はおばあちゃんの何とかだった
1週間後おばあちゃんが遊びに来た
鎌倉に行って来たとのこと
でも一生懸命に店を探したけど見つからなかったと…
もうその店潰れたんじゃないの?と笑いながら言っていた
一緒に言った叔母さんの話によると
不自由な足で
ツアーの自由時間中ずっと探し回っていた
行く人皆にこの辺にばばあの店はありますか?
と必死に¥に聞きまわっていたそうで
その話を後から聞いて部屋でワンワン泣いた
おばあちゃんが帰る日
今度私が鎌倉に言ったら必ず買ってくるからと約束した
一年に一回くらいの割合でこの次はいつ鎌倉にいくか聞いてくる
今度今度といって3年が過ぎた
ある日地震で帰らぬ人となった
突然でサヨナラも言えなっかた
去年日本に帰った際鎌倉に立ち寄った
名前は違ったがその店はあった
店内で同じような商品とおばあちゃんの年頃の定員さんを見て
おもわず泣いてしまった
おばあちゃんゴメンネ




662 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 06:34 ID:8mZSnozC
>>661 おばあちゃんネタには弱いんだよー・゚・(ノД`)・゚・。

   でもなぜ文中に¥←ゴキブリが…

663 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 06:46 ID:U01z9n09
>592のような真ん中っ子は本当に辛いんだって。
みんな責めないでおくれ。
可愛がられている上と下の状態を知っているだけに、ついついいじけた人間に育ってしまう。
僕も両親にはぜんぜんかわいがってもらえなかった。
自分は弟をいじめたりしなかったし、他人もいじめなかったけど、はっきり言って性格は変だ。



664 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 08:29 ID:csTZ+gw7
禿同
弟も可哀想だが592はもっと可哀想だと思える。

665 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 08:33 ID:oUuWo4nN
>>663 には ほう と思うところもあるが・・・
>>664 は・・・ 逆だろ。
592も可哀想かもしれないけど、弟のほうがやっぱり可哀想だ。

666 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 09:04 ID:Wqx4liVL
ゴキブリワラタ

667 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 15:50 ID:N+00+8yK
5年前のこと。
妹が短大を中退した。
たいした理由はなく、なんとなく短大をサボりがちになって
このままでは2年間で卒業できないのが明らかになったから。
かなり無理して妹の学費を用意した父は激怒。
妹は家を出て行くように言われた。
それから2週間で妹はアパートと契約社員で雇ってくれる会社を探し、
家を出て行く準備を整えた。
その間、父と妹はほとんど口をきかなかった。
妹が家を出る前の日の夕食はオムライスだった。
母は私と一緒に夕食の準備をしながら妹にいった。
「お父さんの手前、赤飯を炊くのはできないから
 オムライスにしたの。赤いごはんは同じでしょ。
 自力で会社も探して引越しの準備もして、偉かったね。
 これはあんたのちゃんとした門出なんだから
 お母さんはお祝いするわよ」
妹はすこし泣き、その日オムライスを2皿食べた。
父はオムライスを食べなかった。母の意図がわかったらしい。

去年、妹が結婚相手を連れて帰ってきた。
父は何事もなかったかのように妹と婚約者を歓迎した。
そして、札束の入った封筒を妹に渡して言った。
「お前の短大の学費が1年分余っていた。
 好きに使え」
その日はまたオムライスだった。


668 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 16:18 ID:iACAqMXM
>>667
お父さん(・∀・)カッコエエー!

669 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 16:36 ID:u8gsyEWy
>>663
漏れも真ん中だら592その気持ちはわからんでもない。
だからって許せるものでもない。
592も反省はしてても、弟に対しての行動がないじゃないか。

670 :  :02/06/06 16:48 ID:iYhesNwQ
665に同感。
カワイソウを主張したからと言って非がなくなるわけはない
加害者は加害者。

671 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 19:12 ID:evmnafnP
もう止めなよ…。

672 :長文スマソ:02/06/06 19:21 ID:herS4MOd
今まさに、ここを読んでいる時に母に叱られた。
叱られた内容は、母が茶飲みたい、茶を沸かしてくれと命令、しかし私はにちゃん中、
めんどいと思った私は「お湯だけ沸かしとくから、葉は自分で用意しといて」と居間にいる母に言って自室へ。
うちは狭いマンションで、キッチンは居間から丸見えな間取り。
しばらくして母に「コンロつけっぱなしにしてどっか行くんじゃねぇゴルァ」と怒られた。
私は「湯だけ沸かすって言っただろうがゴルァ」と応戦。
湯だけ沸かしておくねと私に言われていたことはおろか、
茶が飲みたくて私に淹れさせようとしてたことすら忘れていた。それにまたムカっときた。
さらに母は最初電話中だったので、理由を言わずにに私の頭をはたいた。
腹が立っていじけた私は、そのへんに置いてあるのもを荒らし、足にあたるもの全てを
けりながら自室へ行こうとする私。最後に、自分の部屋に入ろうとするとき、
まだむしゃくしゃするので最後に一発…と気合を入れてドアを蹴った。
が、そのときドアに直径15センチの穴ができた。冷静になる私。
さっきまでこのスレ読んで、「家族を大事にしよう」って思ったばかりなのに…。
みなさんは偉いですね、家族をちゃんと大事にして…。
反省してます。スレの主旨と違ってごめんなさい。スレを汚してごめんなさい。

673 :592:02/06/06 19:51 ID:2rDJmDXQ
後付けの理屈じゃないんです。
2ちゃんねるで自分を美化してもしょうがないので。

でも、ここで色々言っていてもやっぱり弟に謝らないとしょうがないのかな。
でもね、弟をいじめたのは私だけで、両親は弟を猫かわいがりしていたし、
私を可愛がってくれたのはおばあちゃんだけだったのです。
もう死んじゃったけどね。
もっと元気なうちに顔を見せてあげれば良かった。
でも、おばあちゃんの家に行く事だけが私の楽しみだったのに、あるひ泊まったら
おじいちゃんにエッチな事をされてしまって、それいらい怖くて行けなくなった。
おばあちゃんは、私に「さみしいから遊びにおいで」って良く言ってくれたけど、
どうしても行けなくて・・・
今は、おばあちゃんが元気なうちにもっと遊びにいっておけば良かったし、
もっと可愛がってもらっていれば良かったって思います。
愛情に飢えてたのかなぁ。今は一応だんなが優しくしてくれるけど。

弟をいじめるような人間だから、親がやさしくしてくれないっていう、レスも
見たけど、ずっとずっと弟をいじめながら自分でもわかってたんです。
こんな事を自分がするから余計弟が大事にされるんだって。
なんだかよくわからないけど、やっぱり弟にあやまるしかないのかなぁ。

普通の家庭に育って、きょうだい仲良しで、両親も仲良しで・・・っていう
子をすごいうらやましいと思います。
でも、なんだかネタくさいので、もうやめます。
いつか弟にあやまりたいです。

弟が、見てくれてればいいなぁ・・・
焼き芋の所だけでもあやまりたいなぁ。

お父さんが死んで、お父さんの事が良い思いでになった時にはじめて
あやまれる気がする。だって、今でもお父さんは、弟にだけすごくやさしい。
自力で大学にも行って結婚もした私にくらべて、弟は私立の理系の大学に
行かせてもらって、今でも超高い車を2年ごとにかってあげてるし。
なんか、スレちがいなので、もう来ません。ごめんなさい。

674 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 20:42 ID:tkgUlm5F
>ここで色々言っていてもやっぱり弟に謝らないとしょうがないのかな。
>いつか弟にあやまりたいです。

アホか?

675 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 21:13 ID:wlFppa4I
>592
解る人には解るからここで謝らなくていいですよ。
親に優しくされなかった人は兄弟に優しく接するのが下手なんです。
親から「家族の優しさ」を学ぶ事が出来なかったから、
どう接して良いのか分からない。
その代わりに「つらく当たる事」は身に染みているから
ついキツイ言動に出てしまう。
「弟をいじめるような人間だから、親がやさしくしてくれない」
じゃなくて
「親が自分に優しくないから、弟に優しくなれない」なんです。
私も妹とうまく接する事出来なくて悩んでいた時に
旦那にそう言われて気が付きました。

> 普通の家庭に育って、きょうだい仲良しで、両親も仲良しで
残念ですが、すっぱりと諦めましょう。
どんなに切望しても手に入れられないモノは有るんです。
その代わりに旦那さまにう〜んと甘えて甘えて
仲良しな家庭を築いて下さい。
(多分592さんは甘え下手だと思うので頑張って下さい)
今はまだ弟さんに謝るのは難しいでしょうが機会はきっと来ます。
どうか、それまでは過去に捕われず、ご自身の幸せを追掛けて下さい。

676 :ぷー:02/06/06 21:44 ID:YHrnqu5T
うちのオトンとオカンは同じ誕生日だ。そしてそれは今日。
せっかく二人で同じ誕生日なのに私は特に祝った事などなかった
そして今年も失業中という事もあって祝う気などなかった。
でもこのスレを最近読みはじめて、いっちょプレゼントでもあげようかなと思った。
失業中なんでたいしたものは買えなかったけど、ちょっと大きめのケーキを買って帰った。
オカンに渡すと最近疲れた顔ばっかりしてたのに嬉しそうに笑ってくれた。
オトンはおいしそうに食べてくれた。

このスレ読んでて良かったです。しょーもない事やけど親孝行できたかな?
早よ仕事さがすからね。もうちょっと待っててくれ。

ホロリじゃないのでsage


677 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/06 21:55 ID:1lgbd4IC
つい今さっきの出来事なんだけど
たった15分程度お父さんが部屋にきてくれた
自分も大変な時期で、忙しいし、いろいろ大変だろうに
暗い夜道をくるまで30分かけて着てくれた。
私が必要で、困っていたものを届けてきてくれた。
冷やしといて食えってスイカモ一切れもってきてくれた
フツーこんなに自分のためにしてくれるお父さんなんていないなっておもう
すごくありがたいし、感謝している。
もっと素直にこの気持ちを表現できたらいいなって思う

678 : :02/06/06 22:27 ID:/KbbF5eE
スイカモー

679 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 00:53 ID:NmO3J0yO
> 「親が自分に優しくないから、弟に優しくなれない」
たんなる甘えじゃないの?

680 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 02:29 ID:m9iJyhF6
>>592
>なんだかよくわからないけど、やっぱり弟にあやまるしかないのかなぁ。

弟に悪いって思ってるんだろ?
だったら謝るべきだ。
それが弟の為にできる事、やらないといけない事であり、自分自身のためでもある。

形だけでなく、本心からね。

681 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 04:59 ID:YdbnkZQZ
この前の正月、て言うか大晦日に久しぶりに実家に帰ってみたら
普通に犬とか飼っててびびったっての。
ゴールデンなんとかの牝で、半年前ぐらいから飼ってるらしい。
俺、全然知らなかったもんな。
最初帰った時、玄関のドアに、犬、って書いたシールが貼ってあったんだ。
なんだろって思って。あれか泥棒とかを防止する為のダミーかって思って、
こんな家泥棒はいるわけねーだろ馬鹿野郎って思ってドア開けたら、わんわんだって。
冗談じゃねー。俺はしまいに怒るよ。
ここだけの話な、俺は長渕ファンのくせに犬とか苦手なんだよ。めちゃ恐いんだよ。
だいたい昔から俺はね、犬を飼ってる家=裕福な家庭ってイメージがあって、
俺んちは経済的にも精神的にも犬なんて飼う余裕がなかったし、
犬を飼ってる奴らは敵だと思ってたし、特にあの車に犬乗せて走ってる奴らなんて
完全に頭がやられてるって思ってたし、そしてなによりそれらが羨ましかったしな。
それがどうだい。俺んちもついに犬だ。ざまーみろ。
しかも犬を飼いたいって言い出したのが父親だって聞いてこれまたビックリ。
俺の父親なんてひどかったんだから。母親に馬乗りになってボコボコ殴ってた人だから。
俺と妹は母親の真っ赤な血を見ていつもわーわー泣いてたわけよ。お母さんが死んじゃうってな。
そんな悪魔みたいな父親が、犬飼いたいだもんな。人は変わるもんだよな。
年賀状なんかに、家族が一人増えました、なんて書いてあって。
父親が犬抱いてVサインしてる写真とかプリントされてて。もうやんなっちゃう。
恥かしいからやめてくれっての。
それならついでに、家族が一人減りましたって俺の写真も載っけてくれってーの。

682 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 06:42 ID:oqTRxMpZ
>>681
ん〜、まーなんちゅーか君のお父さんも愛情を素直に出せない
よくいるガンコ親父だったんじゃないの?
もちろんだからって「馬乗りでボコボコ」は許されないけど。
でもまあ、とりあえず家庭崩壊はせずに子供も巣立って夫婦二人に戻って
ようやくフト我に帰ったのかも。

そういうオヤジほどキミがそのうち孫を連れて帰ったりするようになったら
ビックリするほどジジ馬鹿になったりしてイヤになるほど
孫の写真を飾ったりしはじめるかもね

683 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 07:04 ID:FYaXw2wq
>>681
朝からワロタ!!

うちは中の下くらいの家庭だけど、昔から動物飼ってるよ。山で捕まえた野うさぎから蛇まで。
家族も仲良し。昔からアウトドア一家で、しょっちゅう色んなとこに連れてってもらった。
今でも、帰省したら親子三人(兄は彼女がいるのでついて来ないが)で、日帰り旅行逝くし。
毎日とはいかないけど、よく電話もするし。どうしても欲しいものがある時は、買ってくれるし。
高校受験も大学受験も、全部好きなようにさせてくれた。就活のこの時期、金にならない仕事を
選びそうな私を素直に応援してくれてる。
‥‥なんかこのスレ見てたら、自分ちが如何に幸せ家族なのか思い知ったよ。
この夏帰る時、なにかお土産買っていこっかな‥。
スレ違いなのでsage

684 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 09:31 ID:wLGahZCk
>681
うちの両親も可愛がる対象がないとだめらしい。
私が結婚して弟も就職して家を出て行ったら寂しくなったらしくて
それまで犬なんて飼ったことなかったのに
突然ハスキー犬を飼いだしたよ。
見てると食べる物も人間と同じ物食べてて凄く贅沢してるし
暇さえあれば側にいて話し掛けてるしね。
なので私が帰省すると犬の機嫌があからさまに悪くなるし、私には敵意剥き出し。
理由は子供も連れて行くので父が孫にかまけてしまって、自分を蔑ろにしてる感じるかららしい。
そして私は子供の母親なので諸悪の権限、と犬は見なしてる、と思う。
でも普段は二人と一匹でマターリ過ごしてるんだろうなと思うよ。
犬も年を取ってきて大分性格が丸くなって、子供が行っても穏やかな顔をしてるから。
還暦過ぎた両親とハスキーがいつまでも幸せな時間を過ごせるといいなと
離れてるところからいつも思う。
大型犬は割と寿命が短いので、その事を一番心配してるのもわかってるのも両親だから。
少しでも長くあの穏やかな時間が続くことを祈ってる。

685 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 16:05 ID:M7Bwnnv/
犬はいいよね。
自分とこの犬が一番かわいく見えるのは、「うちの子が一番かわいい」と言う親バカ心理と同じだな。
犬はいいよ、いいよ。うん。

686 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/07 16:16 ID:Dd8BEaSa
age


687 :f:02/06/07 17:16 ID:m50HGuJE
>>672
ワラタ。
DQNだねw

688 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/08 13:55 ID:vBrNhSkZ
大好きなスレなのでage

689 :age:02/06/08 23:08 ID:fGFSahmP
age

690 :ぷっさん:02/06/09 04:04 ID:ujyFZjBu
よく母が言うセリフ、
「65までには死ぬからな、そしたら保険金が1000万おりるからな。」
それに僕も冗談で答える、
「うん、あてにしてるからな。父さんは100万で、あとは兄弟で均等に300万ずつやな。」
年はとったけど(50歳)まだまだ元気な母。
母は冗談で言ってるんだろうか・・・。

691 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/09 11:19 ID:+7fWbH7s
>>672
自分を悲劇のヒロインにしていい気になってるブス(性格はもちろん顔もひねくれたブスで、でも、でもの論調はデブスメルがする)ハケーン

692 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/09 18:44 ID:qUhm851s
>691
はたから見るとお前さんの方がブス
672はどう読んでもヒロインて書き方ではないんじゃ?
ネタぽくて笑えるだけかと。

693 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/09 19:45 ID:Z2TF0n5L
>692禿同

694 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/10 20:27 ID:9eWYs2q9
いいスレage

695 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/11 00:22 ID:3Vjm9MpX
私が小学校5年の時、初めて友達同士で電車に乗って買い物に行くことを許されました。
それまでうちの母もそうですが、友達のお母さん方も子供達だけでは危ないと反対していたのです。

当日の日曜日、私が出かける用意をしていると何故か父も歯をみがいたり、
髪をととのえたりしはじめました。
私は父もどこかに出かけるのかと思っていると車のキーを持って玄関へ行き、
「おいO子(私)、車にエンジンかけとくからな!」と言いました。
すると母があわてて
「お父さん違うの!今日はO子は友達同士で出かけるのよ!」と言いました。
母に話を聞くと前の日父に「明日O子がデパートまで買い物に行く」とだけ
伝えておいたそうなんです。
今まで子供だけで出かけたことがなかったので、父がO子が行くなら家族で行くんだろうと
思い込み、私のために一緒につき合う準備をしてくれていたのです。
いつもは厳格な父が母に注意されてまたスリッパに履き代えながら
「そうか・・・じゃあ気をつけて行けよ・・・」とガッカリして部屋に戻って行った姿が忘れられません。
今思うと今まで親の助けがなければどこにも行けなかった娘が、
急に友達同士で遠くへ出かけるようになって父は淋しかったのかなぁと思いました。
これからは私が両親の助けになりたいです。

696 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/11 00:35 ID:iNKgag7l
>694 最後の行、優。

697 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/11 00:54 ID:Jaus1UuI
小学生の頃、小児ぜんそくをわずらっていた私。
家族で祖父母の家に泊まりに行った時、ぜんそくの発作が出て、
おばあちゃんが腕を振るってくれた料理も苦しくて喉を通らず
おばあちゃんの布団で寝かせてもらった。
その時、ゼエゼエと苦しがる私の背中をさすりながら、おばあ
ちゃんが「かわいそうに…。おばあちゃんが代われることなら、
代わってあげたいよ。」と泣きそうな顔で言ってくれた事。
ぜんそくが治った今でも忘れられません。おばあちゃん…。

698 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/11 01:10 ID:FQ7ahpuB
>>697
ぜんそくが治ってよかったですね!
おばあちゃんのおかげかもしれませんね。

699 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/11 22:57 ID:3pwCTKwZ
ageようYO!

700 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/11 23:00 ID:jTG9cnDs
うんこ

701 ::02/06/12 02:41 ID:OZIoCLpz
家にいると不自由だから突然一人暮らしすることを決意。
あっというまに荷物まとめて出て行こうとしたまさにそのとき
母親の見送るまなざしが涙でにじんでる。危うくもらい涙するとこだった。


702 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 04:02 ID:UKTtNHNh
今日は私の誕生日
16のときから一人暮らしを始め 
家の父親は母親の出す荷物とは別に
誕生日には必ずFAXでメッセージを送ってくる
何気ない一言だけどいつも楽しみにしてる
でも今日はまだ来ない
どうしたのかナーと思いながら少し寂しくなる
Eメールをチェックしたら見なれぬ人から1件
父からである!なんとPCを買ったとのこと
妹にアドレスを聞き1時間もかけてタイプした
メッセージは“たんじよびおめでとう。つかれたのでやはりあしたでんわする。”
父のEメール第一号だ
お父さんありがとう


703 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 10:45 ID:MLN+Tr9v
小学校の先生やってる知り合いがいるんだけど、その人がビーズでできたキーホルダー
持ってた。球状に編んであって、中に色のついた鈴が入ってて、かわいかったから、
「それ、どうしたの?」と聞いたら、教えてくれた。
 隣のクラスの男の子で(以下A君)、勉強も運動も人付き合いも得意じゃなくて、
クラスメイトからはなんとなく嫌われてるタイプの子がいたんだって。6年生なのに、
休み時間になると、低学年の子にちょっかい出しちゃうような。
A君のおばあちゃんはそれを心配して、担任に「あの子はこのまま言って、ちゃんとした
大人になれるんでしょうか・・・?」て、よく相談してたらしいんだけど、ある時、
そのおばあちゃんが「いつも孫が迷惑をかけてるから、これを皆さんにあげて下さい」
って、そのキーホルダーを50個も作って持ってきたんだって。生徒40人に配って、
余りましたからって、その担任が一つくれたらしい。
 この話聞いて、おばあちゃんの気持ちにホロリというかジーンとした反面、
小学生にとっては、手作りキーホルダーよりキャラクターモノのほうが、ずっと
嬉しいんだろうなって思ったら、切なくなった。

704 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 10:51 ID:i2kiiDSl
実母があと一月と診断されました。
色んな思い出があふれて、書ききれない。
何故かちょっとした思い出ばかりが思い出される。

705 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 10:59 ID:UdJae74h
>703  いいおばあちゃんですね・・・ところでそのA君、
うちの子と同じだー!
>勉強も運動も人付き合いも得意じゃなくて、
クラスメイトからはなんとなく嫌われてるタイプの子がいたんだって。6年生なのに、
休み時間になると、低学年の子にちょっかい出しちゃうような。

うちの子は4年生だけと゛まさにこのとおりで私も子供の将来が心配。
でも、迷惑かけてはいないと思うな。キーホルダーを配った後
みんなのA君への対応に変化はあったのでしょうか?

706 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 18:11 ID:kIRmb8Nv
>>702
メールになれてない父親から送られる誕生日のメールは本当に嬉しくなるよね。

707 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 18:49 ID:SFivnHxF
ケッ!風が目にしみるぜ

708 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 18:58 ID:ZWaxwqFR
姉と二人でわりと高い鳩時計買って実家母にプレゼントしたんだけど、母が安っぽいと言った事で私達がキレテ母も逆ギレして、今思えばくだらないが大変だった。実家に帰って鳩が鳴く度に思い出します。

709 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 19:16 ID:JIDyE3PX
そんなもん一個もないね。

710 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 19:24 ID:3USAPjJZ
よく考えたら、うちの家族、平和すぎてホローリときたことなんてないなぁ。
トラブルや事件が起きた時に初めてホローリもあるのかな。
あ。もうすぐヒカルの碁見なきゃ。

711 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/12 20:22 ID:hz6NOhrl
アメリカ人と結婚し、アメリカで永住することに反対していた父。
結婚式はアメリカでするけど、父は頑固として「わしはアメリカなんて絶対
行かん!行きたくもねぇ!」といっていた。
渡米当日の朝、すでに仕事にでってた父に電話して「お父さん?
今から空港に行くから・・・体に気をつけて・・」ここら辺で涙あふれる。
「結婚式に来てくれるの待ってるよ・・・」ここでもうアウト。
号泣してしまった。
そして父が「おう、わかったよ。わかったよ・・体にきぃーつけてな。
○○によろしくな・・・」って父も泣いていた。

飛行機では窓のほう向いたままずっとないてました。
持っていたハンカチが涙でベタベタしてたな。

結婚式は更につらいだろうな・・・お父さん。


712 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 10:42 ID:/OA5Qu/G
>>711
俺も泣けてきた

713 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 14:26 ID:Lnc3cKXm
うちの父はダンプの運転手です。
なので、雪の降る前に(北海道です)東北の方に出稼ぎに行きます。
私が物心付いた時からずーっとそうでした。
11月に入ってすぐに行き、お正月の1週間だけ帰り、
そしてまた帰ってくるのは5月の連休明けだったんです。
そんな訳で、1年の内半分しか一緒にいられない父は、
私の事をとんでもなくネコっ可愛がりしてくれていました。
結婚して8年、2度の流産が続き、そろそろ子供は諦めようと話をしていたときに
ポッとできた子供であるという事も理由の一つだったとは思います。

ご飯を食べる時は必ず父の膝の上。
お風呂に入るのは必ず父と。
寝る時はいつも父の隣で腕枕。
4つ下に妹が生まれ、母に
『お前はしっかり下の子の面倒をみてやれ。上の子は、お前があまりかまってやれない分
俺がずっと可愛がっていてやるから。寂しい思いをさせない様にするから。』
と言って、毎日母の作った二人分のお弁当を持って、ダンプに乗せて行ってくれた父。
ずっとずっと父が一番大好きでした。

でも、毎年毎年、寒くなってくると父はダンプに乗って手を振って行ってしまう。
あれは3年生くらいの時だったかな。
父の出発前日、思わず泣きながら父に訴えた事がありました。
『お父さんはなんで行っちゃうの?行って欲しくないよ。
一緒に雪だるまつくったりしたいよ。
一緒にお姉ちゃん(私)のお誕生日パーティーしたいよ。
大好きだから行かないでよぉぉぉ』
父は、黙ってうん、うん、ごめんな、と頷きながら泣いていました。
それを見てまた何故か私ももっと泣きました。

本当は父も、半年も家族と離れたくなんかなかったんだよね。
でも、私達の為に行かざるをえなかった。
今ならわかるけど、あの時はそんな事まで気を回すことができなかった。
ごめんね、お父さん。
そんな父は、去年からやっと冬場でもこちらで仕事が出来る状況になった。
先月、新しいダンプも買った。
私の二人の子供達は、『ジジのダンプかっこいいねーーー』と言って、
時々平日の幼稚園の休みの日や、昼に帰って来て、
父の時間の都合が付く日にはダンプに乗ってついていく。
昔私達がそうだった様に、景色を見渡してはしゃぎ、
父の歌う調子はずれの歌を聴いて笑い、それを見て父が笑う。

私は色々な事を父に教えられてきたと思う。
年頃になっても父が大好きな気持ちは変わらなかったし、
今でも大好きな父であり、ジジです。

すげー長文スマソ・・・

714 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 14:51 ID:htZClZoy
10年間飼っていた犬が氏んだとき。家族で泣きました。父親の涙を始めてみました。


715 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 19:01 ID:sDpcNsAQ
>>713
泣けた

716 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 19:55 ID:rCAX+V+A
あの・・・
>>682>>683>>684>>685
あのね? これ(>>681)、NOT FOUNDからのコピペよ?

いい人たちだ。


717 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 21:06 ID:4IqsZf+R
・゚・(ノД`)・゚・。

718 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 22:40 ID:LBsURmU5
>>713
すごーーーく素敵なご家族ですね。

ビッグな出来事の思い出もいいけれど、その当時は当たり前の日常だったことが
ずっと後になって思い返してはじめてかけがえのないものだったと気づく、
そういう思い出もものすごく素敵だと思います。
特に家族との思い出に関しては。

こういう家族を作るのが私の理想です。

719 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/13 22:56 ID:/lbmhZbZ
>>713
涙が溢れるじゃねーかよ・・・この・・・父親想いめ!
うわぁぁん・゚・(ノД`)・゚・。

720 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/14 03:54 ID:Vu/ykdkF
俺が就職して家を出て2年目くらいかな。

ちなみにオヤジはアル中。
実家は青森。
普通に俺は家に仕送りしてたけど。

ある日お袋が言うんだ、電話口で。
オヤジが酒を隠し持ってるって。

冬のある日、お袋が、家に帰ってくると酔っぱらってる。
でも、酒をさがしてもない。
お袋が問いつめてもオヤジは飲んでないの一点張り。

庭(田舎の市営住宅につき。と言っても二坪くらい)には白い雪。
春になると、雪が解けて、出てくるんだよ。
説けた雪の下から、ワンカップのビンがごろごろ。

なんか、脱力感って言葉を、電話を持って身に染みて感じた。

俺は酒は普通に呑むけど、弟は一滴も飲まない。
死んだオヤジとは、もちろん酒を酌み交わすことは一度もなかった。

721 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/14 06:00 ID:G17ZgfeA
716どの

自分だけが知っていて他人が知らねえことなんて、
世の中にそうあるもんじゃねえ。

麻雀放浪記(一)青春編よりドサ健のセリフ


722 :713:02/06/14 06:22 ID:RRwAZxaq
レス有難う御座います。
そうですね、あの頃は本当にそれが当たり前の日常だったので、
私も大人になり、そして子供を持って、
改めて父のものすごい大きな愛情に気が付きました。

去年、初めて父と一緒にクリスマスパーティーしましたよ。
私達は父がいなくて寂しかったけれど、
今までずっと父はひとりぼっちのクリスマスだったから。
私も母も妹も、なんか妙にはしゃいでしまってね。
父と私のダンナもお酒のみながら笑ってたりして。
子供達は、もらったばかりのプレゼントで、嬉しそうに遊んでたっけ。

私も妹も共に12月生まれ。
長い長い出稼ぎ人生、本当にご苦労様、お父さん。

723 :おさかなくわえた名無しさん :02/06/15 03:43 ID:MGfujsXY
2時間以上かけて全レス読んじゃいました。
ナケタ・・・
と同時に私もいろいろ思い出したので、駄文ながら書いてみようと思います。

4年前、犬を飼っていました。私も20代になっていて父親とはいろいろあって
あまり話をしなくなっていたので、表には出さないものの寂しかったのかな、
その分犬をとても可愛がっていました。
外犬なのに夜になると部屋に上げて、犬の好物のチーズをあげたり、犬のそばで
寝ころんでみたり。

ところが、その犬が突然具合が悪くなり、何の治療もできないままあっけなく死んだのが6月。
その後・・・蝕んでいた癌が悪化した父が10月に亡くなりました。
「お父さんと**(犬の名前)は、運命共同体だったのかな」、と母がぽつりと言いました・・・。

翌年には父方の祖母(同居)が亡くなり、姉と私は結婚。
かつて6人住んでいたあの家には、母1人が住んでいます・・・
私の結婚が決まった日、「ウチの方は大丈夫だからお嫁に行きなさい」とはっきり言った母。
その日母はいつもより早く寝室へ行ってしまいました。もしかしたら布団で泣いていたのかな。

幸い嫁ぎ先は実家から車で1時間程度の所なので、月に2度は実家へ行ってます。
それがせめてもの親孝行だと思っているので・・・

長くなってすみません。


724 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 00:57 ID:8hlZtvJ7
おじいちゃんがぼけてきた。
昔は頑固でワンマンで、恐かったなあ。

この一年で急速に弱っちゃったんだけど、最近じゃあ徘徊が始まった。
まあ、脚が悪いから家の中だけなんだけど。
車いすで散歩するのが日課らしい。

おじいちゃんは恐いけど優しかったよ。
あたしは初女孫だったんだけど、生まれた日にピアノを買いにいって、有無を言わさず習わされた。
本当はあんまり好きじゃなかったんだよなあ・・・
成人式には着物を買ってくれたし・・・・
そう、あたしの自転車はみんなおじいちゃんがプレゼントしてくれた。今のもそうだ。
ピザが大好きで、チョコはもっと好きで、食べてるの見てたら折って分けてくれた。

耳が遠くなって、目も見えにくくなってきて、歩くのが困難になって・・・
こないだ、お母さんに「○○の後ろにいたのは彼氏か?」って言ったらしい。
「まあ、○○が選んだなら、誰も何も言えないな」って。
何か見ちゃいけないもの見ちゃったのかな〜?誰もいなかったのに(笑

昔からあたしのウエディング姿を楽しみにしてくれてたの。

  ごめんね、おじいちゃん。あたしには今は彼氏はいません。
でも、絶対に絶対におじいちゃんが生きている間に見せるから!!
もっと長生きしてね。



725 :えんらく:02/06/16 01:35 ID:LgCKzcCr
ここまで読んだ。ああ、涙止まらない;;;
じゃ、私の場合....

うちのじいちゃんだけど、大酒飲みだったらしく、私が幼稚園の時には
もう入退院を繰り返してた。

結構大雑把で頑固だったらしいけど、私には優しいじいちゃん
だった。で、よく退院の時に父と一緒に迎えに行った車で、よく帰り
に市場に寄った時に必ずじいちゃんが聞く台詞が

「バナナ欲しいか?」

だった。あれだけ市場にはお菓子やら他の果物があるのに、聞くのは
必ず「バナナ」。昭和40年代後半の話とは言え、その頃でもバナナは
高くなかったはずだが........でもそういう私もバナナ大好きっ子だったので
喜んで買ってもらってた。でも、じいちゃん、結局私が小学2年の時に
亡くなった。

あれから20年以上経つけど、スーパーとかの果物売り場とかで
山積みのバナナを見るたびに、また、食べるたびに、必ずじいちゃんを思い出す。

「じゃぁ、じいちゃん、バナナ食べよう!」

726 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 01:44 ID:/2ebL3rw
私が小学校3年の時です
私は一つ上の兄と遊ぶの大好きで毎日キャッチボールしたり
釣りに行ったり・・・・

その夏いつものように兄と釣りに行きました
そしていつものように何も釣れず坂道を自転車を押しながらアイスを食べていました
私がアイスを食べるのが遅いのと暑さも手伝って道路にボタッとアイスが落ちてしまいました
その時「お兄ちゃ〜〜ん」と呼んだら
兄はそれを拾って
「僕がこれ食べるからお前はこれ食べ」
と言って自分の持っていたアイスをくれました

今でも忘れられない思い出です

727 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 02:04 ID:/2ebL3rw
だめだ・・・・・

酔ってるせいか28まで読んで号泣

またシラフの時に読もう・・・・

728 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 08:35 ID:vNBVHSzB
小学生の頃ドラ喰えが大人気で、俺も大好きでした。
で、あの、"スライム"のぬいぐるみが欲しくてたまらず親にねだりまくったら
そのうちね、みたいな事を言われたんです。でも俺も消防でバカだったもんだから
おながいだから今買って!とだだをこねて、おもちゃ売り場で父にめちゃくちゃ怒鳴られて(´・ω・`)ショボーン

それから数日後、部屋のベッドの上に小さな包みが置いてありました。姉からでした。
開けてみるとフェルトで作った掌大のスライムと、"へたくそでごめんね。ぬいぐるみ買ってもらえたら
捨てていいよ それまで代わりに。おねえちゃんより"という手紙・・・
部屋に閉じこもって号泣してしまい、泣いているのがバレてたので
恥ずかしくてお礼も言えませんでした・・・

思い出して泣けてきた・゚・(ノД`)・゚・
みんな、家族は大事にしようね・・・

729 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 09:37 ID:I9dqEc7z
中学生の頃、陸上部の男の子に片思いしてて
図書室の窓からよく眺めてたんだけど
ある日いつものように見ていたら
友達のグループが女の子一人を呼び出して殴る蹴るをし始めた
(図書室の中で)
七人ぐらいいたし、ひどいなぁと思って
「もうやめたり〜や〜!!」と私も止めていたら
ガラッと戸が開いて先生の集団が入ってきて
私は止めてただけって何度も言ったのに
無理やり手を引っ張られて連れて行かれた
当時、喧嘩ばかりしていたので間違われても仕方ないけど
私に止められた事に腹を立てた友達達も
「○○にやれって言われた」って言い出すし
結局、うちの母親だけが呼ばれて・・・・
でも来た途端に普段、怒ってばかりの母親が先生に
「少しだけ娘と二人にしてください」と言い
私に「ほんまにやったんか?」と聞くので
陸上部を見ていた事も全て正直に話したら、解ったって一言!
次の瞬間、先生の集団に「うちの子の話は聞いたんですか?」
「その場にいた生徒全て呼んでください」って大声で!
親馬鹿&うちの子に限ってと言われればそれまでですが
母の一言で私の無実が証明されました
先生にも
「普段から喧嘩っ早いけど、その都度、この子の話も聞いてやってください」
母が怒りに震えながら言ってる姿を見て
それまでは嫌われてると思い込んでただけに
すごく胸にガツンときた出来事でした・・・

730 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 09:47 ID:NhzubTQ1
>>729
ナケチャッタヨ( ´Д⊂ヽ

731 :  :02/06/16 10:04 ID:1Rnthie8
今日は父の日だね

732 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 17:39 ID:JBJSCaxT
ゴルァ!つまんねえ話ばっかり並べやがって!


ぼろ泣きです・・・

733 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 17:54 ID:ayNM+1jY
10年振りくらいに父の日にプレゼントを買った。
プレゼントなんて言っても全然大したモノではなく、値段も千円弱。

お昼頃、父に「コレ…」とプレゼントを渡すと父は少し驚いた表情を
見せたあと「ははっ」と照れくさそうに笑っていた。

しばらくして、父からメールが届いた。同じ家の中にいるのに…。
メールには「今日はありがとう」と書いてあった。
最近になってやっとケータイを持ち始めた父は、きっと慣れない手付きで
メールを打ってくれたんだと思う。

昔から素直に「ありがとう」や「ごめん」が言えない硬派気取りの父。
だからこそ、このメールが嬉しくて、私は思わず部屋で一人号泣してしまった。

734 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 18:01 ID:IrcrzVly
>>728
号泣
お姉ちゃんもだけど、あなたもスゴーク優しい人だね。

735 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/16 22:40 ID:UqzVTiTE
現在社員寮でフロントのバイトをしている。
寮生さんに、今日レタックスが届いた。
カウンターにおいておいたら、横にモノを置いたときにそれが
めくれて中を見てしまった。
配達指定日が今日、父の日の、その人のお嬢さんからのものだった。

私は父親がいた記憶が自分にほとんどないから、
今いる人は大事にしてあげてほすぃと思った。
いなくなってからじゃなんにもできないので。

736 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/17 20:47 ID:dhlToCgY
素敵な思い出ではないのですが、小さい頃、両親が大喧嘩しました。
ぶち切れた母は、父の大切な釣り道具一式を海に投げ捨ててしまいました・・・
翌日、父は私を連れて流されなかった釣り道具を拾い上げていました。
子供ながらに父がかわいそうで・・・まあ、原因は父にあったのですが。

737 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/17 21:24 ID:957StOHA
>>736 かわいそうなお父さん( ´Д⊂ヽ

私が小学校に入学したばっかりの頃、お母さんがうちのマンションの
ベランダ(11階)から、私が学校から帰ってくるのを毎日見てたんだって。
私は毎日一人で、全力疾走でデッカイランドセルをしょって、マッハで
帰ってくる姿を見て胸が張り裂けそうな思いだったんだって。
私、小さい頃何かが怖くて走りまくってたなー。


738 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/17 22:19 ID:KNaJf8JV
高校を卒業して初めての一人暮らしへの旅立ちの日の朝。
私は前の日に原因は忘れちゃったけどささいなことでお父さんと喧嘩してた。
それでもおばあちゃんに
「お父さんに一言くらいは何か言っていきなさい!」ってうるさく言われて
ちょっと気まずいながらも洗面所で顔を洗ってた父のもとへ。
それでも意地っ張りな私は何ていっていいか分からず、一言
「・・・行って来るね。」ってぶっきらぼうにつぶやいた。

父は何も言わなかった。でも、洗った顔をタオルでごしごしこすりながら
目を真っ赤にしてるのを見たとき、初めて父が泣いてるのに気づいた。
何も言わなかったけど、お父さん実はすごく淋しいんだろうなーって思ったら
私も駅までの道で涙を抑えずにはいられなかった。

739 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 00:49 ID:GxkJI7BR
この前の土曜日、兄の結婚式に逝ってきました。
式の後に両家揃っての写真を撮った後親父が突然、
「俺ら家族だけで撮ろう」と言い出し、写真を撮っりました。
親父は酒、タバコ等の不健康な生活が祟って、昨年脳梗塞で倒れたこともあり、
これが僕ら家族最後の写真になりそうな予感がして、その後トイレでちょと泣いてしまったよ。
漏れが一人離れて暮らしていて、ケコーンもいつになるか分からんから貴重な写真になりそう…
思い出すには早いのでsageときます。

740 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 12:37 ID:RVBPyjbD
父の日にあわせて荷物を送った
本当は半年前に頼まれていた物
ついつい延び延びになってしまった
催促の電話が来る度にめんどくさいなと思ってたけど
こないだ電話があって
“今日火星からやーっと荷物が着いたよ おおきに”
ともの凄くうれしそうだった
そんなに喜ぶならもっと早く送ってあげれば良かったな〜
チクリと胸が痛んだ
だから“ボーナスでたらまたなんか送るね”
と言ったら“今度はもう少し近くから送ってや”
と言われた…相変わらずである
デモ少し親孝行した気分だな〜

741 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 12:39 ID:DWn1535P
大家族スレのアンチはここに書けるような暖かい思い出は無いんだろうな。
哀れな奴ら。

742 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 12:48 ID:YExYUQtE
>741
憶測でものを言えるあんたも十分哀れだよ。

743 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 13:23 ID:F+ezVoOp
先月のこと…
田舎のじいちゃんが危篤だという電話が明け方にあった。
「多分、お昼には…」という実家からの報告。
しかし、その日の午前中は大事な打合せもあり、休む事が出来ない状況でもあった。
落ち着かない気分のまま、午前中の打合せを済ませ、実家に電話する。「まだお迎えは来ていない」とのこと。最後に会ったのは7,8年位前。その時にじいちゃんとの約束で「嫁が出来たら、すぐ報告しろよ」だった。
戦争経験者でもあり、腕にはその時敵の兵士に銃で撃たれたという傷跡も生々しく残っていた。
幼少の頃の僕は、その傷を見るたびに「この人に苦労や心配をさせちゃいけない」と思ってもいた。
そんな僕にも、年内中には約束が果たせる人もできたのだ。
夏休みにやっと約束が果たせると思っていた矢先のことである。
このままでは約束が果たせなくなってしまう。気持ちだけ焦っていた。
打合せ終了と同時に帰宅。婚約者を車に乗せて実家へと向かう。
しかし、今住んでいるところは千葉県、実家は秋田県。とてもすぐに着ける距離ではなかった。
途中、高速道路のSAで連絡を取り、大丈夫である事を確認しながら、ひたすら車を飛ばす。
車中での思いはただ一つ、「生きているうちに会いたい」。
だが、そんな願いは夕日が西の空を覆い尽くし始めた頃に空しさへと変わってしまった。
福島県に入った頃「今、お迎えが来た」と、携帯電話の向こうから小さく告げられた。
その時点で僕はじいちゃんとの約束を果たせなかった男となってしまった。
じいちゃんには申し訳ない事をしたと思いが非常に強くなってしまい、もう泣くしか自分の心を慰める術がなかった。
あの、じいちゃんの笑顔、腕に残っていた傷痕は一生僕の心の映像として永遠に残る事となる。
すまない、じいちゃん…

744 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 13:24 ID:Pizse5TJ
私の結婚式の時の話。
母と以前から「お父さんは涙もろいから絶対泣くよね。」って言ってたが
意に反して、始終苦笑いの父。
まぁ、家では私が機嫌の悪い時はあたりちらしてたし、罵声も浴びせた事も
あったから無理も無いか、と思ってた。
小さい頃から、父の口から妹と弟の話しか聞いた事なかったし、あんまり私
とも話をしなかったしさ。

披露宴も無事終わり、最後、会場の出口でお客様をお見送りする時の事。
終始沈黙していた父が突然旦那の手を取り、涙ながらに、鳴咽にむせながら
「大事に育てました最愛の娘です。どうか・・・大切にしてやって下さい。」
と言った。

すごく驚いた。
どうにも涙が止まらなかった。「お父さんありがとう」を言うのが精一杯だった。

後から母に聞いた話だけど、私が生まれた頃、父は激務の最中で私の寝顔を見る
事しか出来なかったらしい。かわいくてかわいくて一晩中寝顔を見続けていた事もあったようだ。
初めての女の子ということもあって、成長していく私への接し方に悩んでいたらしい。


色々あったけど、お父さんの子で良かったってホントに思う。

745 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/18 13:29 ID:Dpe8p0Bi
金無くて、2日飯食ってない時に
ラーメン奢ってもらった事。
マジ泣きした。

746 :741:02/06/18 16:26 ID:s3a8tmLp
>>742 じゃああっちの338を見てみな
あんな不幸自慢の偏見女にそんな思い出がある訳がない。

747 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/19 09:24 ID:bAB5gMDu

おじいちゃんが死んでもうすぐ1年。
毎年お盆におじいちゃんに会うの楽しみにしてたのに今年は会えない・・・

小学校の頃車で夜中に着くといつも
「枕かしてな、○○はこれで寝てくれるか?」と言って細い腕を出してたっけ。
帰る時はいつも
「また来いよ〜〜」と言って見えなくなるまで手を振っていてた。

そして私も母になった今では、私の子供と遊びながら
「子は宝や ありがたいなぁ ほんまにありがたい」
と満面の笑みを浮かべて言っていたのを思い出しては涙が・・・
「いつも感謝せなあかん、子は親に 親は子に。」
この言葉に何度助けられたか・・・
そしてこの先もおじいちゃんはこの言葉で私を助けてくれるんだろうと思う。
おじいちゃん ありがとう。

おじいちゃんも宝だったよ・・・・私にとって。





748 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/19 13:05 ID:sq9bw2MR
>>747
>>おじいちゃんも宝だったよ・・・・私にとって。

泣けた。 


749 : :02/06/19 23:02 ID:VKk+VbPJ
最近母親の体の具合が悪いらしくて、どうにも不安だ。
「大丈夫よ、大した事ない」と本人は言うけれど
遠く離れてるから実際のところは分からない。
ここに書けるようないい話も思いつかないけど、
そんなことよりちょっとでも長く、元気でいてほしいよ。

750 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/20 17:32 ID:qJU96VB3
めちゃくちゃワラタ。腹痛ェー。

751 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/20 17:34 ID:qJU96VB3
ごめんなさい。誤爆です。ほんとにごめん。

752 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/21 10:24 ID:oGmZGoqJ
俺は一人暮らし。
普段はまったく干渉してこないし、こちらからもめったに連絡を取らないのに、
悩みを電話で相談すると、親身に聞いてくれた母。

数日後、母から封書が届く。
中には、俺の事を気遣う内容の手紙と、壱万円札が2枚。

早速、電話をしたが、泣きそうになってしまうので満足にお礼も言えなかったよ。
あの時はどうもありがとう。
これからは出来るだけ親孝行します。


>>750-751
あまりの場違いさにちょっとワラタ。

753 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/21 17:14 ID:6TOUxOOQ
神が降臨しますた

754 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/21 23:43 ID:xdxa4Owt
小学校に入って、給食に出たミルメークがおいしくて
どうしても弟にも飲ませてあげたかったから
ミルメークの日はいつも「ミルメーク嫌いやねん」とか言って
持って帰ってた。


755 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/22 00:05 ID:z+vlyt8A
一人暮らしをし始めてから初めての帰省。
実家は自営なので家にいる父が
毎日近所のそば屋にお昼を食べに連れて行ってくれた。
二人とも好みが似ているのでいつも頼むのは「とろろそば」二つ。
1ヶ月くらいずっと実家にいて、週末以外はほぼ毎日そば屋にいって
とうとう帰ることになった。
飛行場まで送ってきた父は「時間があるから何か食べよう」と
飛行場のそば屋に入った。
頼んだのは「とろろそば」ふたつ。
食べてるうちに毎日のように二人でそば食べたこと思い出して
我慢してたけど耐えられなくなってボロボロ泣き出してしまった。
そしたら父も目頭を押さえて少し泣いていた。
父の泣いてるところを初めて見た。



756 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/22 00:20 ID:nCSKKKGP
ひさびさに実家に帰ってきたら、弟がケーキを作ってくれた。
昔は6年間も登校拒否でかなり荒れていたのに…

今はケーキ屋で修行中なんて、成長したね。
すっごくおいしかったよ。イチゴのタルト。
あなたがこんな美味しいのを作るなんて、本当にびっくりした。

恥ずかしいのか、私が食べているときは部屋にいたけど。
お母さんに聞いたけど、わざわざ地方に帰る私の為につくってくれたんだね。
朝早くイチゴもわざわざ買ってきてくれたなんて、言わないところがあなたらしい。

昔けんかして3年くらい口をきかなかったこともあったね。
そんなこと思い出しながらたべてたら、なんだかのどがくるしくなったよ。

今度がんばって私がお菓子をつくってあげるね。
あなたが作ったのよりは美味しくないと思うけど。
今まであまり話さなかったことを話しながら、食べましょう。

Tちゃん、ケーキ職人目指してがんばってね。
できそこないの姉より。

2ちゃんねらーの弟だから、読むことを祈ってカキコ。


757 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/22 00:23 ID:zmB4nB7Q
自分にも弟がいるのでホローリしました
弟さん、いい職人さんになれるといいね

758 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/22 03:08 ID:g+MoZFKm
昨日、母の葬式に出たんです。享年54歳。
そしたらなんか自分、涙が一滴もこぼれないんです。
で、よく見たら会ったこともないような親戚のおばさんですら泣いているんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
俺な、親の死を目の前にして放心してんじゃねーよ、ボケが。
目の前に人が死んでるんだよ、母親が。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で葬式か。ほんとありがとう。
パパは息子さんに挨拶してくるから車で待ってなさい、とか言ってるの。いい親父だな。
俺な、親が死んでんだからもっと泣けと。
葬式ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
死に化粧をみた瞬間いつ涙があふれてきてもおかしくない、
泣くか叫ぶか、そんな雰囲気が普通なんじゃねーか。オレ、なんなんだよ。
で、やっと葬式が終わったかと思ったら、なんか次々と母のことが思い出されるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、今さら思い出したところで意味ねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、今度の休みには帰るよ、だ。
俺は本当に休みに帰るつもりだったのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
俺、適当に親との距離をとりたかっただけちゃうんかと。
親不孝者の俺から言わせてもらえば今、若者の間での最新流行はやっぱり、
反抗期、これだね。
親ってのはいつまでも生きているもんだと思っている。これがガキの考え方。
親の期待をかなえたつもりで一人暮らし。そん代わりコミュニケーション少なくなる。これ。
で、「少しだけ仕送りいれといたから」 「ああ、無理すんなよ」。これ最期の会話。
今になって後悔ばかりが思い出される、諸刃の剣
まあお前ら若いもんは、ほんの少しでもいいから親孝行しなさいってこった。


759 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/22 04:16 ID:kCDs2CXk
>>758
ちょぅくっだらないコピペだね
空気読め

760 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/22 08:36 ID:Kn6x8CjC
これコピペなの?
初めて読んだから、758さんの本心だと思って涙が出たんだけど。
でも、これが本当なのか、コピペなのかはわからないから自分の中では
本当のことだと思うことにする。

こんな風に思うのも、さっき実家に電話したときに出た父の声が、
いつもよりほんの少しだけ元気がなかったからかな・・・。


761 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/23 00:24 ID:Di1NkP+Z
>>758
いずれにせよ・゚・(ノД`)・゚・。
これが広まれば本当に孝行者が増えるかも

762 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/26 09:27 ID:vck3o42x
1年間もずっと引き篭もって現在進行形な私にいつも優しくしてくれる両親。
4人兄弟で他の3人は普通に毎日仕事や学校に行ってるのに。
私くらいの年齢(高校生くらい)の子は皆親(特に父親)の事ウザがったりすると
思うけど、私は反抗期殆ど無かったなぁ…。

それと近所に住んでる、体の悪い(この前倒れてずっと入院してました。)
母方の祖父が居るんだけど、そのおじいちゃんは私が遊びに行くといつも
「毎日遊びに来なさい。もうすぐ会えなくなっちゃうんだから」
って言います。やっぱり、もう長くないので…。
普通だったら(ヒッキ−と言うか、プーなので)学校逝けとかバイトしろとか言われるんだろうけど
毎日顔見せに来いって言われてちょっとウルっと来ちゃいます。
それに甘えちゃいけないって言うのは解ってるけど…。

最近は結構会いに行って、一緒にハーモニカやったりしています。
仕事から帰ってきたおばあちゃんに勝手に、(私は言ってもいないのに)
「●●(←私の名前)が今日ご飯食べていきたいって。」なんて言ったりします(w

やっぱ寿命とか病気とかって悲しいものですね。。
出来れば私が結婚(出来るか解らないけど)するまでは生きていてほしいな…


なんかあんましホローリ来ないですね(汗)すみません。スルーして下さい…

763 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/26 13:12 ID:l9KP0MVy
今日は祖父の命日です。

体の弱かった母は、年子で妹を出産してからしばらく入退院をくり返し、
妹は母方の祖父母へ、私は父方の祖父母(と親戚)に預けられました。
亡くなった祖父は足が不自由でしたが理系の研究を自宅でしており、
物心ついてから遊びにいくと、いつもこたつで図面を書いていました。
晩年はアルツハイマーを患い、記憶がかなり混乱してしまいましたが。
それなのに、私が高校に進学する年をきちんと覚えていてお祝いを
出そうとまでしてくれました(後で忘れているといけないから、
同居の伯父・伯母に事情を話して、そのお祝いは預けたそうです)。
祖父には孫(私のいとこ)が10人以上いましたが、幼児の頃に面倒を
みたせいか、私のことは最後まできちんと覚えていて、気にかけてくれ
ていました。
面倒を見てもらった当時のことは、記憶にはありません。
でも、遊びにいくたびに私の成長を喜んでくれていました。

おじいちゃん、大事に育ててくれて、ありがとう。
すっとこどっこいな娘になっちゃったけれど、私はなんとか生きています。


764 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/26 14:21 ID:gHrd692l
ホローリにかすってもなくてすいません。

小学校に入学したての頃、学校からの帰り道家まであと50mといった所で
トコトコと小さな男の子が私の方にかけてきた。3つ下の弟だった。
「何で帰ってくるの分かったの?!」ってちょっと驚いたら
「お姉ちゃん、それ持ってあげるよ!」ってあたしでもまだ大きかった
ランドセルを小さな弟が重そうに背負って帰ってくれました。
家に帰ったらお父さんがいて望遠鏡で私が帰ってくるのを弟と見てたそうで、
(←ちょっと恥ずかしい…通学路が見通しが良かったからだと思われる。)
弟は私に気づいたら走って私を迎えに行ったそうです。
それまでずっと保育園で一緒で、遊ぶ時もいつも一緒だった。
でも私が小学生に上がって急に遊び相手がいなくなっちゃって私の学校が
終わるのが待ち遠しかったみたいです。

その事を高校生ぐらいの時にふと思い出して弟に茶化し半分で話したら、
「しょうがないだろっ!?寂しかったんだから!」って言われて。
あんまり話さなくなっているのに、なんか愛おしさを感じました。

ここにカキコされてる方々同様、口に出しては言えないんですけど、
『家族っていいなぁ』と思います。


765 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/29 13:27 ID:sDQRViMW
test

766 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/30 03:06 ID:cPvbJ+91
今は結婚して親元を離れているが
昔は父親のことをずっと毛嫌いしてたし
しかも雨の日とか送り迎えして欲しい時だけ呼びつけて使ってた。
(挙句の果てには車内は無言になるか文句言いまくり)

それなのに、父親は寝ている時に起こされようが
体調が悪かろうが何も言わず迎えに来てくれた。

ある日、電話口の母親が頼りない声で
父親が入院する事になり、検査次第では最悪の結果になると知らされた。

もちろん検査の日は会社を休んで病院に向かったが
私が来たことに両親は相当驚いて、涙ぐんでいた。
その時に、私はこんな当たり前のことすら両親にしてなかったんだなって思った。
いつも反抗ばかりしてた事を心底反省した。

それからしばらく治療を繰り返し、今は普通の暮らしに戻っている。
私も両親への思いやりを形や言葉にして表現することを始めた。
今ではすっかりホームシックだ(汗)






767 :まだ混乱中:02/06/30 03:12 ID:sJN6ySO9
私は養子でした。そのことをなぜか子供のころを知っていました。
だから、自分でもオドオドした子供でした。嫌われたら捨てられると思ってました。迷惑をかけないように気をつけてました。
でも、交通事故で、私だけが無事でした。
頑張っても私は家族じゃなかったんだ、と思いました。
親戚も「家族みずいらずで……」とか言っていたし。
その後、いろいろあって実の親と暮らすことになりました。
でも気まずくて、この年になるまで、心を開くことはできませんでした。
先日、昔の家族のいとこが、このスレッドを紹介してくれました。
感想は「血がつながっている家族は美しいなあ」でした。
うらやましいと思いながら泣きながら読みました。
そのことをいとこに言うと、「あんたは、前の家族にも今の親にも愛されていた。おじちゃんもおばちゃんもあんたのために一生懸命だった。
みんなあんたを愛していたから、生きていてほしくて、あんたは生き残ったんだ。
それから今の家族だって、あんたのことを心配している。それがわからなかったか?」
と叱られました。
目が覚めました。ぎこちなかったのは私のせいでした。
普通の家族に憧れていたけど、それは私の家族のことでした。
目が覚めたら、家族がどれだけ私を気づかってくれていたか、次々と思い当たることがありました。ひねくれていた私には、当時はわからなかったのですが。
そのことに気付かせてくれたいとこ(とこのスレッド)に感謝します。
そして後悔することのないように、今の親に心を開きたいと思います。
そしていとこと出会えたことを感謝します。私を守ってくれた家族に感謝します。

768 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/30 04:06 ID:QSSXagay
>767
(TへT)イイ…

769 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/30 04:08 ID:bMxWAQQH
>>767
ってか悲劇のヒロインになりたいんだよね?
ガキなんだよ、要するに。

770 :767:02/06/30 08:01 ID:sJN6ySO9
っていうか、悲劇のヒロインになりたかったんだと思う。
過去形。
あのころの自分のガキ、っていうよりアホぶりには情けないやら恥ずかしいやら。
本当に気付かせてくれたいとこに感謝してます。そしてまだ生きている両親に感謝。
思うんだけど、ガキは早く大人になるほうがいいね。愛されていることに気付かないから。
とかいって、親と顔を合わせると喧嘩になっちゃうんだろうけど。それはそれ。ま、感謝している気持ちはあるということで許してほしい。まだ大人になりきってないガキだから。
これから、親に会いに生きます。緊張して寝れなかったよ。どうか、大人になれますように。

771 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/30 08:25 ID:LE9kpjhx
>>770
ってゆうかまだヒロイン願望があるからくだらないこと書き込んでんでしょ?
私こーゆー女見るとムカムカするよ
会社に居るんだよね、ブリッコでいつも他人の気を引きたがる女。
ほんっと、、●んでくれ、、、

772 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/30 13:02 ID:2d+D/1hO
769,771の言っている意味がわかんねー
常人には理解できねー

773 :トロピーカナ100%:02/06/30 13:08 ID:fgrkpbxN
>771
何か嫌なことでもあったの?

774 :おさかなくわえた名無しさん:02/06/30 20:31 ID:TKnxKOOq
>769とか>771は、人に相談されたり愚痴言われたりすると
「面倒くせー」とか思う人なんじゃない?
「一人でやってろ」とか「他人に愚痴るなんてもうアホかバカか」と。

でも辛いことや苦しいことって、人に話すことで
少しは楽になったりしない?
ま、話した相手には迷惑をかけちゃうことになるんだけど。

>769とか>771はそんなことしなくても自分で自分の悩みを
すべて解決・消化できちゃう人なんだね。いいなぁ。

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